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【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア

夏は、高齢者の方にとって懐かしい思い出がよみがえる季節ですよね。

そんな夏のひとコマを、俳句で気軽に表現してみませんか?

俳句はたった17音で作れる、日本ならではの詩の形式です。

難しく考えずに、目の前に広がる季節の風景や心に浮かんだ気持ちを素直に詠むのがコツです。

五・七・五のリズムに乗せることで、情景がより鮮やかに伝わります。

本記事では、夏をテーマにした簡単で親しみやすい俳句をご紹介します。

言葉に季節を込める楽しさを、ぜひ味わってみてください。

【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(1〜10)

山の端に残る暑さや 大文字望月宋屋

山の端に残る暑さや 大文字望月宋屋

毎年8月16日の午後8時から京都でおこなわれる、送り火。

京都市内を囲む山の中腹に巨大な大や妙といった文字の形にして点火します。

反時計回りに、妙法、船形、左大文字、鳥居形に火が灯されますよ。

送り火は、江戸時代から続いているそうです。

送り火を見届けないと、夏が終わらないと思う方もいるかもしれませんね。

望月宋屋が詠んだ「山の端に残る暑さや 大文字」からも、暑いと思っていても大文字を見ると秋の訪れを感じている様子も伝わってきます。

八月の 雨に蕎麦咲く 高地かな杉田久女

八月の 雨に蕎麦咲く 高地かな杉田久女

明治時代は、俳句を詠む女性は少なかったそうです。

そのような時代の中、女性俳人の先駆けとして活躍した杉田久女。

彼女の俳句は、女性ならではの視点で日常を観察する台所俳句から始まります。

その後、生活における素朴な感動を具体的かつ率直に表現した、浪漫的な句風に移り変わっていくことが特徴ですよ。

「八月の 雨に蕎麦咲く 高地かな」の八月は、そばの花が咲く時期の9月中旬から下旬ごろでしょうか。

一面、そばの真っ白な花が咲いた様子が伝わってきますね。

荒海や 佐渡に横たふ 天の川松尾芭蕉

荒海や 佐渡に横たふ 天の川松尾芭蕉

松尾芭蕉が旅の途中に見た景色は、海の果てに浮かぶ佐渡島と、夜空にわたる天の川。

そのふたつが「荒波」ともに一句に並ぶことで、自然と宇宙のスケールが一気に広がります。

佐渡という島の孤絶感に、旅の孤独や人生のはかなさが重なり、夜空にかかる天の川はどこかはかなくも荘巌。

派手な言葉は使われていないのに、視界の端から端まで満たすかのような雄大さがあります。

波の音を耳にしながら、夜空を見上げていた場所のまなざしが静かに伝わってくるようです。

自然に身を任せながら読んだ、旅人らしい一句です。

【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(11〜20)

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声松尾芭蕉

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声松尾芭蕉

この句は、山中の澄みきった静けさと、その中で響く蝉の声を対比的に描いた名句です。

「閑さや」で始まる一句には、言葉では言い表せないような深い静寂が感じられます。

そして、その静けさの中に蝉の声が岩肌にまで届いているかのように感じられる描写は、まさに芭蕉ならでは。

にぎやかな音でなく、むしろその声が、自然の奥深くに溶け込んでいるようです。

派手さはありませんが、歳を重ねた心にスッと入り込んでくるような、夏の名句です。

寺入りの 子の名書きたる 西瓜かな桜井梅室

寺入りの 子の名書きたる 西瓜かな桜井梅室

この一句は、子どもが寺子屋へ通い始めるいわば学びの門出を詠んでいます。

「寺入りの子」とあることで、その日が特別であることがわかりますね。

名を記した西瓜は、手土産か、あるいは通う証として持たせたのかもしれません。

子ども自身の名前が書かれた西瓜を抱える姿は、どこか誇らしくも可愛らしく、家族の期待と少しの緊張がにじみます。

夏の暑さとスイカの涼しさが絶妙な対比をなしており、昔の暮らしの中の一瞬が伝わってくるようです。

素朴な風習の中に、学びをはじまりを記す一句です。

送り火や 顔覗きあふ 川むかひ炭太祇

送り火や 顔覗きあふ 川むかひ炭太祇

8月の終わりを告げる「送り火」は、お盆の風習として多くの人に親しまれています。

この句では、川を挟んで送り火を見つめあう人々の姿を描き、穏やかな交流と別れの情景を映し出します。

「送り火」という季語が持つ郷愁と、向かい合う表情の温かさが、高齢者の方の記憶や思い出にそっと寄り添う一句です。

世代をこえて受け継がれる夏の風習と、人と人との静かな絆。

年齢を重ねた今だからこそ、深く味わえる風情があります。

8月の夕暮れに、ふと心を静めて読みたい句です。

てのひらを かへさばすすむ 踊かな阿波野青畝

てのひらを かへさばすすむ 踊かな阿波野青畝

阿波野青畝が描いたのは、夏の夜に響く盆踊りの一場面。

手のひらを返す、そのわずかな動きが踊りの流れを生み出し、人の輪がゆっくりと進んでいきます。

大きな動きではなく、あくまで一つの所作に焦点を当てていることで、踊りの中にある静かな美しさが際立ちます。

音頭や太鼓の音に導かれながら、踊り手たちはそれを迎え、見えないものとともにある時間を過ごします。

その祈りにも似た雰囲気が、句の中からふわりと立ちのぼります。

にぎわいの中にある、しんとした気配が心に残る一句です。