【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア
夏は、高齢者の方にとって懐かしい思い出がよみがえる季節ですよね。
そんな夏のひとコマを、俳句で気軽に表現してみませんか?
俳句はたった17音で作れる、日本ならではの詩の形式です。
難しく考えずに、目の前に広がる季節の風景や心に浮かんだ気持ちを素直に詠むのがコツです。
五・七・五のリズムに乗せることで、情景がより鮮やかに伝わります。
本記事では、夏をテーマにした簡単で親しみやすい俳句をご紹介します。
言葉に季節を込める楽しさを、ぜひ味わってみてください。
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もくじ
- 【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア
- うつくしや 障子の穴の 天の川
- うつし世に 妻はきよけし 夏の月
- おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな
- かたまるや 散るや蛍の 川の上
- てのひらを かへさばすすむ 踊かな
- 七夕や 髪ぬれしまま 人に逢ふ
- 咲きつづく 朝顔市の 朝顔よ
- 四五人に 月落ちかかる をどりかな
- 暑き日を 海にいれたり 最上川
- 涼しさの 腹にとほりて 秋ちかし
- 白玉の 雫を切って 盛りにけり
- 紅くして 黒き晩夏の 日が沈む
- 美しや 月の中なる 盆の人
- 子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん
- あらたうと 青葉若葉の 日の光
- うつすらと からかみ青き 五月かな
- 五月雨や 大河を前に 家二軒
- 五月雨を 降り残してや 光堂
- 六月の 氷菓一盞の 別れかな
- 大江戸や 犬もありつ 初鰹
- 明らみて 一方暗し 梅雨の空
- 滝の上に 水現れて 落ちにけり
- 紫陽花に 雫あつめて 朝日かな
- 葉ざくらの ひと木淋しや 堂の前
- さじなめて 童たのしも 夏氷
- 五月雨を 集めてはやし 最上川
- 入る月の 跡は机の 四隅哉
- 夏草や 兵どもが 夢の中
- 山門の 大雨だれや 夏の月
- 川風や 薄柿着たる 夕涼み
- 暁の 紺朝顔や 星一つ
- 朝顔に つるべとられて もらい水
- 涼風の 曲がりくねって 来たりけり
- 目には青葉 山ほととぎす はつ松魚
- 籠かばふ 鬼灯市の 宵の雨
- 荒海や 佐渡に横とう 天の川
- 薄月夜 花くちなしの 匂いけり
- 長持ちに 春ぞくれ行く 更衣
- 雲の峰 いくつ崩れて 月の山
【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(1〜20)
六月の 氷菓一盞の 別れかな

中村草田男は1901年に中国で生まれ、日本では言うや国文学を研究した人物です。
高浜虚子の門下に入ることで俳句を学び、後に俳人協会初代会長となって俳句界の発展に貢献していきます。
この句は、六月のある日、最後は酒を酌み交わす間もなく、代わりに氷菓子を一緒に食べて慌ただしく別れたよ、という意味です。
男同士が酒ではなく、せわしなくアイスクリームをなめ合っている場面を想像すると、少しだけ、滑稽にも思えますね。
大江戸や 犬もありつ 初鰹

小林一茶は一茶調と呼ばれる独自の排風を確立した、江戸時代を代表する俳諧師の1人です。
江戸時代、その季節に初めてできた、とれた食べ物をさす「初物」は、食べたら寿命が75日延びると言い伝えがあるほど、大変好まれていました。
なかでも鰹は「勝つ魚」というゲン担ぎがあり、とりわけ初鰹は「女房を質に入れてでも食え」と言われたほど、非常に人気の食べ物であったそうです。
そんな江戸の人々がそろって初鰹に熱を上げている様子や、そのおいしさは犬も食べてしまうほどであったという当時の様子が、この句からうかがい知れますね。
【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(21〜40)
明らみて 一方暗し 梅雨の空

高浜虚子は明治から昭和にかけて活躍した愛媛県の俳人で、同郷の正岡子規の弟子となって俳句を学びました。
自分で見た風景の描写を得意とし、自然を題材とした作品を多く残しています。
この句は明け方になり、空が明るくなってきたが、梅一方ではどんよりとした梅雨空が広がっている、という風景を描写した作品であり、皆さんも容易にその状況が想像できるかとおもいます。
良いことの兆しが見えたようでも、見方を変えると暗い部分もある、という例えにも使われるそうですよ。
滝の上に 水現れて 落ちにけり

後藤夜半は明治から昭和にかけて活躍した大阪生まれの俳人で、喜多流の能楽師で人間国宝の後藤得三、喜多流十五世宗家の喜多実の兄としても有名です。
水はひとところに留まるものではなく、常に流れているものです。
滝の始まりから水がどんどんと現れては落ちていき、下の滝つぼにもたくさんの水があって、流れています。
ずっと見ていると、同じ光景に見えるけれども、流れているその水は、先ほど見た水ではありません。
それでも滝は流れ続けています。
という、変わり続けながらそこに存在する滝を表現しています。
見方を変えることで、考えされられる内容になっていますね。
紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

加賀千代女は1703年に現在の石川県白山市辺りに生まれ、幼いころから俳諧に親しみ、湊町本吉などの俳人たちまだんでいたと伝えられています。
この句は、雨上がりの朝、庭に紫や青などの紫陽花が咲いている。
朝日が差し込み、しずくがついている紫陽花が太陽の光を受けて、キラキラと輝いていてとても美しい、という意味です。
現在のように娯楽が多くはない時代であっても、当時の人は自然の調和がもたらす美しさを感じ、楽しみ、表現するといった、すてきな感性があったのかもしれませんね。
葉ざくらの ひと木淋しや 堂の前

炭太祇は江戸時代中期の俳人です。
京都島原の遊郭内にて不夜庵を作り、遊女に俳諧や手習いの教授をおこない、花街の活性化に務めました。
後に盟友であった与謝蕪村と三菓社結成に参加しています。
この句で詠まれている葉桜は夏の季語であり、堂の前に咲いていた桜の木の花が散り、葉ざくらになってしまったという惜しむ思いが込められています。
しかし、かれんな花びらが落ちた後は寂しく見えても、青々とした葉の爽やかさや力強さが感じられるという側面もあります。
日本人の桜を思う気持ちはやはり特別なのかもしれませんね。