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【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア

夏は、高齢者の方にとって懐かしい思い出がよみがえる季節ですよね。

そんな夏のひとコマを、俳句で気軽に表現してみませんか?

俳句はたった17音で作れる、日本ならではの詩の形式です。

難しく考えずに、目の前に広がる季節の風景や心に浮かんだ気持ちを素直に詠むのがコツです。

五・七・五のリズムに乗せることで、情景がより鮮やかに伝わります。

本記事では、夏をテーマにした簡単で親しみやすい俳句をご紹介します。

言葉に季節を込める楽しさを、ぜひ味わってみてください。

【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(31〜40)

うつすらと からかみ青き 五月かな

うつすらと からかみ青き 五月かな

優しく澄んだ初夏の空気を感じさせる言葉です。

山口誓子さんが詠んだこの一句は、ふすまの向こうに見える淡い新緑の景色を通して、5月の清々しい雰囲気を伝えています。

高齢者向けのレクリエーションとしては、この俳句を鑑賞したあと実際に屋外へ出て新緑を楽しんだり、折り紙や水彩画で自分なりの5月の風景を表現する活動がぴったりです。

自然に親しみながら想像力を広げる時間は、心身のリフレッシュにもつながります。

制作した作品を並べて小さな作品展を開けば参加者同士の会話も弾み、季節の移ろいを共に感じる素敵な時間を過ごせるでしょう。

五月雨や 大河を前に 家二軒

五月雨や 大河を前に 家二軒

与謝蕪村は江戸時代中期に活躍した俳人、文人画家で、松尾芭蕉に強いあこがれと尊敬の念を抱き、奥の細道を実際にたどるために東北地方や関東地方を旅したという話があります。

この句の意味は五月の長雨が降り続いて、川が勢いを増して大きくなった川が激しく流れている。

その川のほとりには小さな家が二軒、寄り添って立っている、という内容です。

強まる自然の猛威の前には、たとえ家であっても心細く、なすすべがない存在であることを印象付けるのではないでしょうか。

松尾芭蕉の有名な句にも五月雨を季語としたものがありますので、見比べてみるといった楽しさもありますね。

五月雨を 降り残してや 光堂

五月雨を 降り残してや 光堂

「奥の細道」の一句であり、東北を旅している際に立ち寄った中尊寺金色堂を見て詠んだものと言われています。

五月雨は現代の梅雨を指します。

梅雨は6月に降る印象がありますが、旧暦では5月にあたるため、この名が付きました。

雨は恵みの雨の一面もありますが、水害があったり、交通を滞らせたり、湿気で物が腐る、かびるといった面もあります。

この句ではそうした長雨の中でも、金色堂だけはまるで雨が降っていないように輝いている、という意味です。

現在では世界遺産として登録された中尊寺金色堂。

梅雨の時期に訪れて、松尾芭蕉の気持ちに重ねてみるのも一興ですね。

六月の 氷菓一盞の 別れかな

六月の 氷菓一盞の 別れかな

中村草田男は1901年に中国で生まれ、日本では言うや国文学を研究した人物です。

高浜虚子の門下に入ることで俳句を学び、後に俳人協会初代会長となって俳句界の発展に貢献していきます。

この句は、六月のある日、最後は酒を酌み交わす間もなく、代わりに氷菓子を一緒に食べて慌ただしく別れたよ、という意味です。

男同士が酒ではなく、せわしなくアイスクリームをなめ合っている場面を想像すると、少しだけ、滑稽にも思えますね。

大江戸や 犬もありつ 初鰹

大江戸や 犬もありつ 初鰹

小林一茶は一茶調と呼ばれる独自の排風を確立した、江戸時代を代表する俳諧師の1人です。

江戸時代、その季節に初めてできた、とれた食べ物をさす「初物」は、食べたら寿命が75日延びると言い伝えがあるほど、大変好まれていました。

なかでも鰹は「勝つ魚」というゲン担ぎがあり、とりわけ初鰹は「女房を質に入れてでも食え」と言われたほど、非常に人気の食べ物であったそうです。

そんな江戸の人々がそろって初鰹に熱を上げている様子や、そのおいしさは犬も食べてしまうほどであったという当時の様子が、この句からうかがい知れますね。

明らみて 一方暗し 梅雨の空

明らみて 一方暗し 梅雨の空

高浜虚子は明治から昭和にかけて活躍した愛媛県の俳人で、同郷の正岡子規の弟子となって俳句を学びました。

自分で見た風景の描写を得意とし、自然を題材とした作品を多く残しています。

この句は明け方になり、空が明るくなってきたが、梅一方ではどんよりとした梅雨空が広がっている、という風景を描写した作品であり、皆さんも容易にその状況が想像できるかとおもいます。

良いことの兆しが見えたようでも、見方を変えると暗い部分もある、という例えにも使われるそうですよ。

滝の上に 水現れて 落ちにけり

滝の上に 水現れて 落ちにけり

後藤夜半は明治から昭和にかけて活躍した大阪生まれの俳人で、喜多流の能楽師で人間国宝の後藤得三、喜多流十五世宗家の喜多実の兄としても有名です。

水はひとところに留まるものではなく、常に流れているものです。

滝の始まりから水がどんどんと現れては落ちていき、下の滝つぼにもたくさんの水があって、流れています。

ずっと見ていると、同じ光景に見えるけれども、流れているその水は、先ほど見た水ではありません。

それでも滝は流れ続けています。

という、変わり続けながらそこに存在する滝を表現しています。

見方を変えることで、考えされられる内容になっていますね。

紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

加賀千代女は1703年に現在の石川県白山市辺りに生まれ、幼いころから俳諧に親しみ、湊町本吉などの俳人たちまだんでいたと伝えられています。

この句は、雨上がりの朝、庭に紫や青などの紫陽花が咲いている。

朝日が差し込み、しずくがついている紫陽花が太陽の光を受けて、キラキラと輝いていてとても美しい、という意味です。

現在のように娯楽が多くはない時代であっても、当時の人は自然の調和がもたらす美しさを感じ、楽しみ、表現するといった、すてきな感性があったのかもしれませんね。

葉ざくらの ひと木淋しや 堂の前

葉ざくらの ひと木淋しや 堂の前

炭太祇は江戸時代中期の俳人です。

京都島原の遊郭内にて不夜庵を作り、遊女に俳諧や手習いの教授をおこない、花街の活性化に務めました。

後に盟友であった与謝蕪村と三菓社結成に参加しています。

この句で詠まれている葉桜は夏の季語であり、堂の前に咲いていた桜の木の花が散り、葉ざくらになってしまったという惜しむ思いが込められています。

しかし、かれんな花びらが落ちた後は寂しく見えても、青々とした葉の爽やかさや力強さが感じられるという側面もあります。

日本人の桜を思う気持ちはやはり特別なのかもしれませんね。

さじなめて 童たのしも 夏氷

さじなめて 童たのしも 夏氷

夏の暑い時期には冷たいものが食べたくなるもので、かき氷などもその冷たい食べ物の定番かと思います。

そんなかき氷を食べている子供の姿を見て、ほほえましく感じている様子を描いた、山口誓子さんによる俳句です。

ひとさじごとにスプーンをなめている姿が描かれていて、ここからもかき氷の楽しさも伝わってきますよね。

見たものをストレートに読んだものということで、それぞれの言葉から情景がイメージしやすいところもポイントですよ。