【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア
夏は、高齢者の方にとって懐かしい思い出がよみがえる季節ですよね。
そんな夏のひとコマを、俳句で気軽に表現してみませんか?
俳句はたった17音で作れる、日本ならではの詩の形式です。
難しく考えずに、目の前に広がる季節の風景や心に浮かんだ気持ちを素直に詠むのがコツです。
五・七・五のリズムに乗せることで、情景がより鮮やかに伝わります。
本記事では、夏をテーマにした簡単で親しみやすい俳句をご紹介します。
言葉に季節を込める楽しさを、ぜひ味わってみてください。
【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(21〜30)
子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん

松尾芭蕉は世界的にも知られる日本史上、最高の俳諧師の一人です。
松尾芭蕉が詠んだ「子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん」からは、元気な子供達の姿も想像できる俳句です。
昼顔が咲く頃は今いまかと待ちわびている子供達に向かって松尾芭蕉が声をかけたようですね。
日常の様子の一コマから、自然や植物を通じて季節が感じられ、松尾芭蕉の優しさも伝わってきます。
ウリを食べる子供達の嬉しい顔も、想像できそうですね。
あらたうと 青葉若葉の 日の光

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍し、後世では俳聖として世界にも知られる日本最高の俳諧師の1人です。
この句は「奥の細道」で詠んだ句で、日の光の輝きや、それを受けて鮮やかな緑を見せる若葉の美しさや、光を受けて輝く様を表現しています。
「あたらふと」という言葉は、「尊い」という意味を表すものです。
芭蕉は旅の途中、日光で見た若葉の萌える季節の美しさとそれを照らす太陽の光の力強さ、自然の壮大さや生命力を感じ、尊いという表現をしたのかもしれませんね。
【高齢者向け】夏の俳句。夏を感じるアイディア(31〜40)
うつすらと からかみ青き 五月かな

優しく澄んだ初夏の空気を感じさせる言葉です。
山口誓子さんが詠んだこの一句は、ふすまの向こうに見える淡い新緑の景色を通して、5月の清々しい雰囲気を伝えています。
高齢者向けのレクリエーションとしては、この俳句を鑑賞したあと実際に屋外へ出て新緑を楽しんだり、折り紙や水彩画で自分なりの5月の風景を表現する活動がぴったりです。
自然に親しみながら想像力を広げる時間は、心身のリフレッシュにもつながります。
制作した作品を並べて小さな作品展を開けば参加者同士の会話も弾み、季節の移ろいを共に感じる素敵な時間を過ごせるでしょう。
五月雨や 大河を前に 家二軒

与謝蕪村は江戸時代中期に活躍した俳人、文人画家で、松尾芭蕉に強いあこがれと尊敬の念を抱き、奥の細道を実際にたどるために東北地方や関東地方を旅したという話があります。
この句の意味は五月の長雨が降り続いて、川が勢いを増して大きくなった川が激しく流れている。
その川のほとりには小さな家が二軒、寄り添って立っている、という内容です。
強まる自然の猛威の前には、たとえ家であっても心細く、なすすべがない存在であることを印象付けるのではないでしょうか。
松尾芭蕉の有名な句にも五月雨を季語としたものがありますので、見比べてみるといった楽しさもありますね。
五月雨を 降り残してや 光堂

「奥の細道」の一句であり、東北を旅している際に立ち寄った中尊寺金色堂を見て詠んだものと言われています。
五月雨は現代の梅雨を指します。
梅雨は6月に降る印象がありますが、旧暦では5月にあたるため、この名が付きました。
雨は恵みの雨の一面もありますが、水害があったり、交通を滞らせたり、湿気で物が腐る、かびるといった面もあります。
この句ではそうした長雨の中でも、金色堂だけはまるで雨が降っていないように輝いている、という意味です。
現在では世界遺産として登録された中尊寺金色堂。
梅雨の時期に訪れて、松尾芭蕉の気持ちに重ねてみるのも一興ですね。
六月の 氷菓一盞の 別れかな

中村草田男は1901年に中国で生まれ、日本では言うや国文学を研究した人物です。
高浜虚子の門下に入ることで俳句を学び、後に俳人協会初代会長となって俳句界の発展に貢献していきます。
この句は、六月のある日、最後は酒を酌み交わす間もなく、代わりに氷菓子を一緒に食べて慌ただしく別れたよ、という意味です。
男同士が酒ではなく、せわしなくアイスクリームをなめ合っている場面を想像すると、少しだけ、滑稽にも思えますね。
大江戸や 犬もありつ 初鰹

小林一茶は一茶調と呼ばれる独自の排風を確立した、江戸時代を代表する俳諧師の1人です。
江戸時代、その季節に初めてできた、とれた食べ物をさす「初物」は、食べたら寿命が75日延びると言い伝えがあるほど、大変好まれていました。
なかでも鰹は「勝つ魚」というゲン担ぎがあり、とりわけ初鰹は「女房を質に入れてでも食え」と言われたほど、非常に人気の食べ物であったそうです。
そんな江戸の人々がそろって初鰹に熱を上げている様子や、そのおいしさは犬も食べてしまうほどであったという当時の様子が、この句からうかがい知れますね。