演歌歌手のデビュー曲
演歌といえば日本人の心の音楽として、老若男女を問わず親しまれてきました。
そして、数多くのスター歌手が誕生したジャンルでもあります。
今回はそんな演歌歌手のデビュー曲の特集です。
今では大御所と呼ばれるような歌手たちの初々しい一面も垣間見えます。
演歌歌手のデビュー曲(21〜30)
金沢望郷歌松原健之

メジャーとしてのデビュー曲は「金沢望郷歌」ですが、インディーズ時代に「小松原たけし」として「旅の終わりに」を2002年に発売しています。
演歌歌手としては、今では珍しく石川県各地で街頭ライブを地道に行い、プロデビューのチャンスを掴みました。
「奇跡のクリスタルボイス」とのキャッチフレーズを持つ美しい声の持主です。
涙を抱いた渡り鳥水前寺清子

威勢のいい歌声と着流しの着物は男姿で、あっという間にスターになりました。
その後はNHK紅白歌合戦の司会や先日、記憶に残るTVドラマの1位に輝いた「ありがとう」の主演として女優としても活躍しています。
女優業はご本人は頑なに「歌が売れなくなるから出ない」とオファーを断り続けたのですが、プロデューサーの執拗な誘いに根負けした形でしぶしぶ承諾した経緯があります。
おんなの出船松原のぶえ

演歌歌手の方って結構九州出身が多いですね。
松原のぶえも九州は大分県の出身です。
素直でクセのない歌声で、演歌歌手の実力派の1人ですが、幼少期から腎臓障害があったそう。
年齢を重ねると共に、ひどくなり、コンサートやキャンペーンなどがある場合は周囲に透析を受けられる病院を探しての活動をしていました。
今では弟からの腎臓移植で、第2の人生を歩まれてます。
函館本線山川豊

鳥羽一郎の実弟です。
この兄弟は、歌手になる前は全く違う職業に就いているのも、興味が湧きます。
兄の一郎は遠洋漁船の乗組員で、豊はなんと自動車整備士として「鈴鹿サーキット」に勤務していました。
「函館本線」はロングヒットとなり、あの「マッチ」こと近藤真彦と新人賞争いをしたほどです。
おしろい花水森かおり

今ではご当地ソングの女王と呼ばれる水森かおりですが、デビュー曲はご当地ソングではなく、一途な女性を歌った演歌です。
水森は将来は「秘書」を目指しており、短大在学中にアメリカ留学もしています。
その時のホストファミリーのパーティで歌を披露し、喜んでもらえたことがきっかけで歌手を目指すようになりました。
ホレました石原詢子

石原詢子さんの名曲『ホレました』。
本作は1988年にリリースされ、彼女の記念すべきデビュー作品として現在でも多くのファンから愛されています。
本作は演歌の要素を踏襲しつつも、全体を通して歌謡曲のような歌いやすいボーカルラインにまとめられています。
なかでも、こぶしに関しては非常にイージーで、本作では難易度の高いこぶしは一切登場しません。
せいぜいが1音階の変化に留まっているこぶしなので、演歌を歌った経験がある方なら、簡単に歌い上げられるでしょう。
よこはま・たそがれ五木ひろし

五木ひろしは芸名を4回程変えていますので、五木ひろしとしてのデビューはヒット曲「よこはま・たそがれ」です。
彼のは全日本歌謡選手権のグランプリを獲得して、再デビューし、今日があります。
この全日本歌謡選手権は非常に厳しい審査で、たしか演歌嫌いの淡谷のり子先生も審査員で、演歌を歌う方は不利な条件を突破し勝ち抜くので、グランプリの方は皆、物凄い実力者ぞろいです。





