70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲
演歌といえば、こぶしを効かせて日本の情緒や恋愛模様を歌う…といったイメージをお持ちの方も多いでしょう。
演歌が大衆音楽として人気を博したのは1960年代からなのですが、実は「演歌」という名称が定着したのは1970年代以降のことなのですね。
こちらの記事ではそんな70年代にヒットした演歌の名曲をリサーチ、まずは聴いてほしい日本人の心に響く演歌をまとめています。
一度は耳にしたことがある大ヒット曲はもちろん、歌謡曲寄りの曲も多くピックアップしていますから、昭和の日本の音楽に興味がある若い音楽ファンの方もぜひチェックしてみてくださいね。
もくじ
- 70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲
- 北の宿から都はるみ
- 圭子の夢は夜ひらく藤圭子
- よこはま・たそがれ五木ひろし
- 北国の春千昌夫
- 津軽海峡・冬景色石川さゆり
- おふくろさん森進一
- おもいで酒小林幸子
- 心のこり細川たかし
- おゆき内藤國雄
- なみだの操殿さまキングス
- 舟唄八代亜紀
- 夢追い酒渥美二郎
- 夜空五木ひろし
- 昭和枯れすすきさくらと一郎
- 花街の母金田たつえ
- 女のみち宮史郎とぴんからトリオ
- みちづれ牧村三枝子
- 大ちゃん数え唄吉田よしみ
- 嫁に来ないか新沼謙治
- さそり座の女美川憲一
- 傷だらけの人生鶴田浩二
- 噂の女内山田洋とクールファイブ
- 嘘でもいいの角川博
- おかあさん森昌子
- 石狩挽歌北原ミレイ
- 与作北島三郎
- 雨三善英史
- あなたにあげる西川峰子
- 人生一路美空ひばり
- うそ中条きよし
- なみだ恋八代亜紀
- すきま風杉良太郎
- 岸壁の母二葉百合子
- そんな女のひとりごと増位山太志郎
- 私の城下町小柳ルミ子
- 演歌チャンチャカチャン平野雅昭
- くちなしの花渡哲也
- 昔の名前で出ています小林旭
- 円山・花町・母の町三善英史
- 大阪ラプソディー海原千里・万理
70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲(1〜20)
北の宿から都はるみ

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圭子の夢は夜ひらく藤圭子

藤圭子さんの代表曲として知られるこの楽曲は、1970年4月にリリースされた3枚目のシングルです。
石坂まさをさんの作詞、曽根幸明さんの作曲により生み出された本作は、歌謡曲ジャンルに属しながらも、藤さん特有のハスキーな声と深い情感を込めた歌唱で多くの人々を魅了しました。
東映映画『ずべ公番長 夢は夜ひらく』の主題歌としても使用され、オリコンチャートでは10週もの間トップを維持した大ヒット作となりました。
人生の辛さや悲しみを抱えながらも夢を追い続ける女性の姿を描いた歌詞は、聴く人の心に強く響きます。
恋の喜びと哀しみを表現した本作は、どこか懐かしくも新鮮な感覚を味わえる一曲です。
よこはま・たそがれ五木ひろし

歌は上手くてもなかなか売れず、意を決して「全日本歌謡グランプリ」で見事に10週勝ち抜き、芸名を五木ひろしとしてのデビュー曲は1971年リリースされ、発売後3ケ月でトップ10入り、その後1位を獲得した五木ひろしさんにとっては、原点の曲です。
この「全日本歌謡グランプリ」を勝ち抜くのはかなりの実力があっても10週勝ち抜くのは至難の業です。
特に演歌を歌う方は審査員に「淡谷のり子」さんがおり、淡谷さんは基本的に演歌がお嫌いなので、五木さんも淡谷さんの点数はかなり低かったのですが、作詞家の山口洋子さんの押しがあり、見事に優勝したそうです。
北国の春千昌夫

連続ではないですが、オリコンシングルチャートで100位以内を92週目でミリオンセラー達成の「北国の春」は1977年発売以来、今もカラオケなどで上京して、故郷を思う歌は人気曲です。
この曲を歌うに当たり、コロッケの物真似でもご存知の通り、黒の丸縁メガネにマフラーやコートに帽子など、作曲家の遠藤実さんの反対を押し切り、親近感を出すためと千さんは衣装としました。
津軽海峡・冬景色石川さゆり

昭和を代表する名曲として、多くの人々の心に刻まれている本作。
石川さゆりさんの透き通るような歌声が、雪降る青森駅や凍てつく津軽海峡の情景を鮮やかに描き出します。
1977年、アルバム『365日恋もよう』からシングルカットされた本作は、大ブレイクを果たし、石川さんの代表曲となりました。
NHK紅白歌合戦でも幾度となく歌われ、時代を超えて愛され続けています。
冬の夜、窓の外を眺めながら聴けば、心に染み入る温かさと切なさを感じられるはずです。
おふくろさん森進一

1971年に発売されたこの「おふくろさん」は熱唱する森進一さんの真似をよくコロッケが真似した事でも有名ですが、かなりこじれた話もあります。
2006年の紅白歌合戦に出場した際に森さんは勝手に歌詞の一部を付け足したのです。
ご本人いわく、事務所が了解を取っていると思っていたとのコメントですが、作詞家の川内康範さんからは、森さんのコメント以前からの問題とし、怒りを爆発して以後歌唱禁止となった曲です。
和解もかなわず、川内さんは亡くなってしまいましたが、現在は原曲ならという事で歌唱禁止は解けているらしいですが、あくまでもファンの為との理由です。