70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲
演歌といえば、こぶしを効かせて日本の情緒や恋愛模様を歌う…といったイメージをお持ちの方も多いでしょう。
演歌が大衆音楽として人気を博したのは1960年代からなのですが、実は「演歌」という名称が定着したのは1970年代以降のことなのですね。
こちらの記事ではそんな70年代にヒットした演歌の名曲をリサーチ、まずは聴いてほしい日本人の心に響く演歌をまとめています。
一度は耳にしたことがある大ヒット曲はもちろん、歌謡曲寄りの曲も多くピックアップしていますから、昭和の日本の音楽に興味がある若い音楽ファンの方もぜひチェックしてみてくださいね。
70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲(11〜20)
さそり座の女美川憲一

柳ケ瀬ブルースや新潟ブルースなどご当地ソングのヒットで世に知られた美川憲一さんですが、コミックソング的なこの曲も美川さんの代表曲です。
しかしながら、1972年にこの曲がヒット以後は低迷が続き、過去の人となってしまった状態にあのコロッケの物まねが1991年に大ブレークし、美川憲一さんも復活を果たしました。
物まねされて怒る方もいますが、美川さんはコロッケさんの物まねで人生が変わった芸能人だと思います。
花街の母金田たつえ

1973年にリリースされた「花街の母」は、世に出るまでに6年もかかりました。
金田たつえさん自身は民謡歌手として活躍の中で、演歌は禁止という担当ディレクターの激怒され、発売地区は大阪のみで、宣伝費も殆ど皆無のなか日本列島を2周半するほど全国各地を回りました。
金田さんがここまでして、世に出したいと思った訳は、自分を育ててくれた養母のことなど、歌えば自然と涙が出てくるほど、半生が歌になっているからと語られています。
女のみち宮史郎とぴんからトリオ

1972年にリリースされた曲は、日本コロムビア公称で売上400万枚と歴代に残るセールスを果したこの曲はなぜか子どもにも人気がありました。
決してこの泥臭い歌の意味を理解していた訳ではなく、この時代子どもに大人気だった「8時だヨ!
全員集合」で加藤茶さんがコントでの登場場面で牛乳瓶の底メガネをかけ警官の制服で自転車に乗って、この曲を歌いながら登場するのが大ウケだったんです。
一層、知名度があがったのも事実です。
嫁に来ないか新沼謙治

新沼謙治さんの『嫁に来ないか』は、当時の日本の恋愛模様をよんだ全身全霊の一曲です。
そのメロディーラインは滑らかで親しみやすく、牧歌的な美しさが魅力です。
曲想、歌詞ともに70年代の日本の音楽風景を際立たせており、その頃の歌謡曲の全ての魅力を表現できる作品に仕上がっています。
新沼さん独特の感情表現が随所に見られ、その情感は一度聴いたら忘れられないようなフレーズを創造しています。
今からすると歌詞内容などは時代にそぐいませんが、昭和の日本を思い出させる1曲です。
みちづれ牧村三枝子

元々はポリドールレコード所属の大物俳優の渡哲也さんのアルバムの中の一曲でした。
同じレコード会社だった牧村三枝子さんがこの曲を歌いたいと渡哲也さんに直談判し、了承を得てリリースしたのが1978年でした。
牧村三枝子さんの「みちづれ」は、累計で200万枚以上を売れ、渡哲也さんは同じ曲があるのは紛らわしいと自らの曲を絶版にしたんです。
粋な計らいですね。
傷だらけの人生鶴田浩二

耳に手をあて、「古い奴だと思いでしょうが・・」なんともいえない渋さが絵になりましたね。
タイトル通りに極道の世界を歌ったものは、100万枚近いレコードの売行きの大ヒットでしたが、天下のNHK様が「公共放送に流すにはふさわしくない」となり鶴田浩二さんはそれに憤慨し、以後6年間NHK出演を拒否されました。
70年代の偉大な演歌の名曲・ヒット曲(21〜30)
噂の女内山田洋とクールファイブ

曲の出だしのビブラードは前川清さん独特の物ですね。
「噂の女」というタイトルからして当時としては、かなり画期的な感じがしました。
1970年に発売されたこの曲は前川さんが淡々と歌う女心はたちまちヒットしました。
作曲家の猪俣公章さんは、もともとは森進一さんに提供する筈だった曲だったが、森進一さんに断られた為に、クールファイブに回ったという話で、森さんヒット曲1つ損したかもしれませんね。