演歌歌手のデビュー曲
演歌といえば日本人の心の音楽として、老若男女を問わず親しまれてきました。
そして、数多くのスター歌手が誕生したジャンルでもあります。
今回はそんな演歌歌手のデビュー曲の特集です。
今では大御所と呼ばれるような歌手たちの初々しい一面も垣間見えます。
演歌歌手のデビュー曲(31〜40)
女のためいき森進一

ハスキーボイスが特徴の森進一ですが、元は普通の声だったんだとか。
売れる為にはインパクトが必要とされ、声を潰したとされています。
「女のためいき」は青江三奈の「恍惚のブルース」が同じ時期に重なり、ため息路線とされ互いにヒットしました。
箱根八里の半次郎氷川きよし

昭和の時代はJ-POPと演歌が上手く重り合い、どちらも流行歌として世に出ていました。
この時代にデビューした演歌歌手の方は、実力派として今も第一線で活躍されている方も多いですが、若手のホープとして2000年にデビューした氷川きよしは、ルックス、実力ともに低迷していた演歌界を盛り上げた貢献者です。
ホレました石原詢子

石原詢子さんの名曲『ホレました』。
本作は1988年にリリースされ、彼女の記念すべきデビュー作品として現在でも多くのファンから愛されています。
本作は演歌の要素を踏襲しつつも、全体を通して歌謡曲のような歌いやすいボーカルラインにまとめられています。
なかでも、こぶしに関しては非常にイージーで、本作では難易度の高いこぶしは一切登場しません。
せいぜいが1音階の変化に留まっているこぶしなので、演歌を歌った経験がある方なら、簡単に歌い上げられるでしょう。
捨てないであなた花衣

別れの痛みを繊細に表現した、花衣さんのデビュー曲。
愛する人に背を向けられながらも、その思いを捨てきれない女性の心情が、哀愁漂う旋律と共に心に染み入ります。
2024年10月にメロディーレコーズからリリースされ、カップリング曲『思い出』も収録。
11月には「夢劇場歌謡フェスティバル」への出演も予定されており、ライブでの歌唱にも期待が高まります。
失恋の痛みを癒やしたい時や、大切な人への思いを感じたい時にぴったりの1曲。
花衣さんの感情豊かな歌声が、聴く人の心に寄り添い、共感を呼ぶはずです。
困るのことヨ都はるみ

都はるみの独特のこぶしは、なかなか真似できるものではありませんが、昔、ご本人の前でそっくりに歌われた歌手の方がいます。
「石川さゆり」です。
ご本人も大笑いしていましたね。
森昌子は、決戦大会で「涙の連絡船」を歌っていましたし、今、活躍されている演歌歌手の憧れなんですね。
兄弟船鳥羽一郎

芸名通りに出身地は三重県鳥羽市で、ご両親も父は漁師で母は海女、そしてご本人も5年間遠洋漁船に乗り込んで、マグロやカツオなどを捕獲する船員でした。
海の男の歌は命をかける自らの体験でもあります。
実弟に山川豊がいますが、先にデビューしたのがきっかけで鳥羽一郎も、船村徹の門下生となり30歳でデビューとなりました。
ブンガチャ節北島三郎

発売1週間で放送禁止の幻のデビュー曲です。
テレビで3回歌ったら放送禁止になったらしいので、どんな曲かと聴いてみると、明るくて楽しそうな曲でした。
当時はかけ声の「キュツキュキュ」が非常に問題とされたようです。
誰がいったんでしょうね。
霧情山内惠介

デビューは2001年の17歳の時で、出身地の福岡県のカラオケ大会でスカウトされました。
歌手になるために、1年間月1回、上京して歌のレッスンを受けていたんだとか。
相当な出費だったでしょうね。
ちょっと女性的な感じの演歌歌手の山内惠介は今やおばさま方のアイドルです。
この世の花島倉千代子
島倉千代子の透き通った悲しげな声はファンも多かったですね。
優しいお人柄と、人を疑うことを知らない純粋な方ゆえに、知人に実印を貸してしまい、20億ともいえる負債を抱えた島倉ですが、なんと7年で完済したというのですから、驚きです。
せんせい森昌子

13歳の森昌子は郡を抜いての歌唱力でしたが、本格的な演歌を歌い始めたのは、1977年の「なみだの桟橋」あたりからです。
恩師の作詞家である阿久悠からは、「歌は上手く歌うな」と「今の自分を出して歌え」とのお言葉を頂いたそうで、確かに13歳時のド演歌ってちょっと引きますね。


