RAG MusicRock
素敵なロック
search

【90年代ヴィジュアル系】名古屋系の代表的なバンドたち

ヴィジュアル系の中でも、とりわけアンダーグラウンドな世界観で熱狂的なファンも多い「名古屋系」と呼ばれるサブジャンル、およびシーンの総称をご存じでしょうか。

起源は諸説あるのですが、1990年代初頭に活動を開始した黒夢とSilver-Roseが2大巨頭とされ、まだヴィジュアル系という言葉もなかった時代において、名古屋のインディーズ・シーンで活躍したバンドたちがいつしか「名古屋系」と呼ばれるようになったのです。

本稿では、そんな名古屋系と呼ばれた90年代のバンドたちを紹介しています。

ヴィジュアル系を掘り下げたい方はもちろん、日本のインディーズ音楽の歴史を語る上でも欠かせない名古屋系の存在をこの機会にぜひ知ってください。

【90年代ヴィジュアル系】名古屋系の代表的なバンドたち

グラミーkein

2000年から2006年にかけて活動、特異な音楽性でシーンを席巻してカリスマ的な人気を誇り2019年には再始動を果たしたdeadmanの前身バンドと言えるのがkeinです。

Merry Go Roundのローディーを務めていたというボーカリストの眞呼さんを中心として、Lustairや後のGULLETに参加、現在はlynch.として活躍している玲央さんがギターを務めていたことでも知られる伝説的なバンドですね。

Lamielと同じく90年代後半の名古屋系を代表するバンドであり、眞呼さんとともにdeadmanを結成するLamielのaieさんも後期に参加しているというのも含めて、まさに彼らの存在自体が名古屋系の歴史そのものと言えましょう。

そんなkeinの音楽性は名古屋系らしいダークネスやデカダンな美学を受け継ぎつつも、強烈な個性を持つ眞呼さんさんのボーカルや世界観を軸とした楽曲の数々は、他のバンドとは一線を画す魅力があります。

90年代後半の名古屋系のバンドに見られる特徴として、初期のヴィジュアル系が80年代のポスト・パンクやニューウェーヴからの影響が色濃いように、90年代洋楽オルタナティブロックを通過したバンド・アンサンブルがあり、keinの楽曲もそういった要素は少なからず感じ取れますね。

アルバムをリリースする前に解散してしまった彼らですから、残された音源は非常に少ないです。

探してでも入手する価値はもちろんありますが、keinは2022年5月にまさかの再始動を発表、名作デモテープ『木槿の柩』に収録されている『嘘』がリメイクされて公式リリックビデオとして公開されています。

現在進行形のkeinにもぜひ目を向けてみてください!

Heart to Heartsus4

黒夢の清春さん、Of-Jの間宮馨さんが在籍していたことで知られているSUS4。

音楽史的に見れば、ある意味90年代名古屋系の始まりの始まりなバンド、と言えるかもしれません。

TWITTERでSilverーRoseのボーカリストであるYOWMAYさんが「名古屋系の本当の元祖はSus4の間宮氏」といった意味の発言をしていることを思うと、当事者としてはそのような認識を持っているのだなと興味深いですよね。

1989年から1990年辺りまでの短い活動期間の中で残された音源としては配布を含むデモテープを残すのみ、当時の音を聴く限りでは初期のBUCK-TICKのようなビートロック的な音を鳴らしていたようで、間宮さんのギタリストとしての才能や一聴してそれと分かる清春さんのボーカルはこの時点で個性を確立しているのは驚きですね。

もちろん音源入手は困難を極めるというのが実情ですが、名古屋系を深掘りしていくのであれば知識としてだけでも存在は知っておくべきバンドでしょう。

Ask for EyesSleep My Dear

名古屋系の第一人者にして、90年代のヴィジュアル系の歴史において非常に重要な事務所である「ティアーズ音楽事務所」に所属したPENICILLINやmedia youthと並んで「3大バンド」とも呼ばれたSleep My Dear。

結成が1991年ですから黒夢と同期であり、Silver-Roseのローディーだったメンバーを中心として結成されたというまさに純度120%の名古屋系バンドなのですね。

1992年には初代ボーカリストのToshiyaさんが脱退、バンドのローディーを務めていたKöHeyさんが二代目ボーカリストとして1998年の解散まで活動を続けます。

名古屋系バンドの聖地と言える名古屋MUSIC FARMにて活動を続け人気を博し、初期のデモテープには黒夢の清春さんがコーラスで参加するなど、そういった点も当時のシーンのつながりを知る上で非常に重要なトピックですからぜひ知っておいていただきたいですね。

そんな彼らの音楽性は名古屋系特有の激しさやダークさも兼ね備えつつ、キャッチーでメロディアスな楽曲も臆することなく挑戦していたことがポイントと言えそうです。

Zi:KILLのEBYさんがプロデュース、1995年にリリースされたメジャー・デビュー作『SHAPE』の楽曲を聴けば、バリエーションに富んだ彼らの音楽性が伝わることでしょう。

残念なことに、その『SHAPE』はディスクの不具合で生産中止、楽曲の差し替えや曲順の変更なども加えた『CODE』が仕切り直しのような形でリリースされるなど、不遇なバンドでもありました。

余談ですが、KöHeyさんが焼き肉チェーン店のマネジャー兼店長として2018年にテレビ出演を果たし、当時をよく知るヴィジュアル系のファンたちをざわつかせましたことも記憶に新しいですね。

CHAOSDIE-ZW3E

DIE-ZW3Eというバンド名を初見で正確に読める方は、恐らくいらっしゃらないですよね。

DIE-ZW3Eと書いて「ディザイ」と読ませる彼らもまた、90年代名古屋系を深掘りしていく中で重要な存在です。

名古屋系のつながりという意味では、名古屋系最初期に活動していたMANICUREのメンバーが参加しており、メジャー・デビュー直後のROUAGEにベーシストとして参加していたギタリストのYUKIさん、黒夢の臣さんやOF-JのMASATOSHIさんが在籍していたGERACEEのベーシストであるTOMOKIさんといった面々が集ったバンドなのですね。

さらに言えば、SOPHIAのベーシストとして名を馳せる黒柳能生さんも一時期在籍しておりました。

そんなディザイというバンドの音楽性は、初期のミニアルバム『Di・es I・rae』にはカラーの違うツインのギターを駆使したサウンドや性急なビートに90年代ヴィジュアル系らしい要素は感じられるものの、名古屋系特有のダークネスとはまた違った魅力を持っていることはすぐに理解できるでしょう。

ボーカリスト、結城敬志さんによる張りのある力強い歌声で歌われる歌詞に描かれるのは、若者の持つ葛藤やナイーブな心象風景といった趣で、ヴィジュアル系にありがちなデカダンな闇とは一線を画す世界観が特徴的です。

1994年にリリースされたフル・アルバム『SIDE-B』は名古屋系ヴィジュアル系はもちろんLUNA SEA辺りからの影響も顕著に感じさせつつ、彼ら独自の音楽性が見事に花開いた名盤となっていますから、中古ショップなどで見かけたら確実に入手しておきましょう!

桜の満開の木の下でMerry Go Round

Merry Go Roundの音楽を初めて聴いた方は、名古屋系の中でも突出してダークかつアンダーグランドな音楽性と世界観に思わず恐怖すら感じてしまうかもしれません。

名古屋系およびヴィジュアル系の歴史における極北のような存在、Merry Go Roundは1991年という名古屋系の中では早い時期に結成されていますが、1994年に活動を一時的に休止、実質的に活動を本格化させたのは1995年のことです。

フロントマンにしてバンドのコンセプトを担うリーダー、真さんの内的世界が色濃く音として表現されたバンドであり、メンバーも真さんを除いて流動的でしたが、Laputaを脱退したHidenoさんやSilver-RoseのKyoさん、Of-Jの准那さんといった名古屋系のオールスターな面々が参加していたことは特筆すべき点でしょう。

初期の黒夢が提示していた狂気や闇といった要素を極限まで追求しつつ、キャッチーだとかメロディアスといった言葉を一切排除したかのような実験的なサウンド・メイキング、語りのようなメロディ、文学的な素養を感じさせる歌詞で織り成す、個性的なミュージシャンたちが作り上げた音楽性はあまりにも独特で多くの人が受け入れられるようなものではありませんでした。

だからこそ熱狂的なファンが多く、彼らからの影響を公言するミュージシャンも少なからず存在しています。

インディーズだからこそ成し得たサウンドではあるのですが、実は彼らの作品のいくつかはメジャー流通していることにも留意しておいていただきたいですね。

とはいえ入手困難なタイトルも多いのですが、真さんは現在Lamielやdeadmanの活動で著名なaieさん、L’Arc-en-Cielのメジャーデビュー初期を支えたsakuraさんといった名うてのミュージシャンたちとgibkiy gibkiy gibkiyとして活動していますから、彼らの持つ底知れぬ闇に興味を持たれた方はぜひチェックしてみてください。

黒い太陽FANATIC◇CRISIS

FANATIC◇CRISIS – 黒い太陽 (Making of Truth Tour Final 1995)
黒い太陽FANATIC◇CRISIS

おそらく、1998年以降のヴィジュアル系バブルとでも呼ぶべきブームの中でFANATIC◇CRISISの名前を知った方であれば、彼らが「名古屋系」と呼ばれることに違和感を覚えるかもしれません。

打ち込みのサウンドも自在に操るカラフルでキャッチーな音楽性、ファッショナブルな見た目でいわゆる「ソフト・ヴィジュアル」として人気を博し、当時はSHAZNAとMALICE MIZER、La’cryma Christiといった面々とともに「ヴィジュアル系四天王」とも呼ばれた彼らは、実は名古屋系の代表的なバンドとしてインディーズ・シーンを席巻していた存在なのです。

1992年に当時15歳という若さだったボーカリストの石月努さんを中心としてギターの和也さん、ベーシストのRYUJIさんの3人で結成されたという始まりを知らない方であれば、それほど昔から活動していたのかと驚かれたのではないでしょうか。

1993年に結成されたLAPUTAやROUAGEより先に存在していた、ということですからね。

1994年にはギタリストのShunさんが、1995年にはOf-Jの徹さんが二代目ドラマーとして加入して解散まで続くラインアップが集結した彼らは中京圏を拠点として精力的な活動を続けて人気を博し、当時多くのバンドが切磋琢磨していた名古屋系の一角を成す代表的なバンドの1つとして知名度を上げていきます。

1997年にメジャー・デビューを果たし、オリコン・チャート10位以内に入るヒット曲もリリースした彼らの音楽性は、特にメジャー・デビュー以降は先鋭的なデジタル・サウンドも駆使したポップなものが多く、名古屋系らしい闇のようなものは感じ取れません。

名古屋系としての彼らを知りたければやはりインディーズ時代の作品を聴くといいでしょう。

1994年にリリースされたミニ・アルバム『太陽の虜』では黒夢やROUAGEといったバンド直系のダークなサウンドを展開しており、同時に彼ららしい打ち込みの導入、当時10代だった石月さんの堂々たる歌唱も聴きどころですね。