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日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル

日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル
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日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル

世界に通用する日本のジャズ・ミュージシャンは多く存在しておりますが、代表的な日本のジャズシンガーと言われてすぐに名前を挙げられる方は、意外に少ないかもしれません。

日本におけるジャズシンガーの歴史は、それこそ戦前から始まったものです。

戦後になると、ジャズを下地とした歌謡曲のヒット曲が次々と生まれ、大衆に愛されるスターも多く誕生しました。

そんな歴史を踏まえつつ、今回の記事では幅広い視点で日本のジャズシンガーをピックアップ!

ジャズの素養を持つ往年の大スターから純然たるジャズシンガー、実はジャズを歌っていた意外なあのアーティストまで、バラエティー豊かにお届けします!

日本のジャズシンガー。国内ジャズシーンを代表するジャズボーカル(1〜20)

Tennessee Waltz綾戸智恵

小学生のころから両親の影響でジャズが好きだった彼女は、高校卒業後渡米し、アメリカで演奏活動を始めました。

その後1991年日本に帰国してから本格的にジャズボーカリストとして活動をはじめ、2003年には紅白歌合戦の出場も果たします。

魂を揺さぶられるようなブルージーな歌唱に加え、大阪出身の気さくな女性、といった親しみやすい一面も彼女の魅力のひとつで、母親の介護を通して、テレビCMやテレビのコメンテーターとしても人気を集めています。

It Don’t Mean A Thing小林桂

小林桂 / It Don’t Mean A Thing / スウィングしなけりゃ意味がない / Kei Kobayashi
It Don't Mean A Thing小林桂

祖父にジャズ・スチールギター奏者の村上一徳さん、父にジャズピアニストの小林洋さん、母にジャズボーカリストの村上京子さんを持つ、ジャズ界のサラブレッドともいえる小林桂さん。

繊細なハイトーンボイスが魅力的ですよね。

子供のころはクラシック・バレエの才能がすばらしく、英国ロイヤル・バレエ・アカデミーの世界共通検定試験で最年少、最高点を獲得したこともあったそうですが、ジャズに興味を持ちだし、15歳くらいからジャズでの活動をはじめたそうです。

and I’ll sing once more紗理

【Trailer】紗理 / and I’ll sing once more
and I'll sing once more紗理

もともとミュージカル女優を目指していたというジャズボーカリストの紗理さん。

高校生の時にエラ・フィッツジェラ ルドさんに影響をうけ、ジャズボーカリストになるべく洗足学園音楽大学ジャズボーカル科に入学します。

ジャズテナーサックス奏者、中村誠一さんの娘でもある彼女、さまざまなコンテストに入賞し、アルバムもリリースしているほか、テレビCMでも歌やナレーションを披露するなど、今後の活躍にも期待が高まるアーティストです。

Lover, Come Back to Me美空ひばり

12歳で天才少女としてデビューした美空ひばりさん、彼女が残したジャズ・スタンダード曲の録音は彼女の曲の中ではあまり知られてはいませんが、歌唱力、スウィング感、歌いまわし、発音などどれをとってもすばらしいものです。

彼女は英語にそれほど堪能ではなかったようですが、天性の耳の良さ、ボードビリアンの川田晴久とともに行った2カ月間のアメリカ・ツアーなどが彼女のジャズシンガーとしてのスキルを上げたのではないかと思われます。

フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン八代亜紀

八代亜紀 – フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン (short clip)
フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン八代亜紀

1971年に本格的なデビューを果たして以降、数々の賞を受賞するなど輝かしい経歴を誇る八代亜紀さん。

女優や画家としての顔も持ち、多岐に渡り才能を発揮しています。

当時を知る方であれば、いわゆる「演歌の女王」といったイメージが強いかもしれませんが、そんな八代亜紀さんは2012年、あのピチカートファイブの小西康陽さんをプロデューサーとして迎えて、本格的なジャズ・アルバム『夜のアルバム』をリリースしております。

幼い頃にジュリー・ロンドンさんの曲を愛聴していた八代さんですから、いわばルーツ回帰と言えるかもしれません。

このアルバム、なんと日本のみならず世界各国でヒットを飛ばし、翌年にはニューヨークの名門ジャズクラブで海外公演が実現するほど高い評価を受けました。

ジャズ・シンガーとしての八代さんを知らない方は、ぜひチェックしてみてください!

I don’t know why笈田敏夫

笈田敏夫さんの名前の漢字を、ぱっと見ただけでさらりと読める方は多くはないかもしれませんが、読み方は「おいだ」です。

ドイツはベルリン生まれの笈田敏夫さんは、戦後の日本を代表するジャズ・シンガーの1人であり、1953年から8年連続で紅白歌合戦に出場を果たしてします。

不祥事を起こしてしまい、芸能界から追放された時期もありましたが、死後に贈呈された2003年度の日本ジャズヴォーカル賞及び第45回日本レコード大賞の特別功労賞をはじめとして、数々の栄誉ある音楽賞のみならず、1995年には勲四等瑞宝章を受章するなど、日本の文化史において重要な存在として記憶され続ける偉人なのですね。

あのビング・クロスビーさんの影響でジャズを歌い始めたという笈田さんが持つ深みのある艶っぽい歌声、蝶ネクタイとタキシードでばっちり決めたダンディなスタイルは、まさに戦後の日本ジャズの第一人者と呼ぶにふさわしい存在感と実力の持ち主です!

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