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【高齢者向け】懐かしい!回想法にオススメな昭和クイズ

思い出を分かち合いながら自然と会話が弾む、昭和のクイズ。

高齢者の方の豊かな経験から新しい発見が生まれ、場が温かく包まれていきます。

回想法としてもぴったりの昭和の懐かしいテレビ番組や暮らしの道具など、当時の大衆文化に関するクイズをご紹介します。

「そうそう、あったね」「あの頃はみんなでテレビを見たよね」と盛り上がりそうですね。

周りの方とのコミュニケーションを楽しみながら、一緒に昭和時代を振り返ってみませんか?

昭和の娯楽・懐かしいエンタメクイズ(21〜30)

1972年に開催された、アジア初の冬季オリンピック。舞台となったのは北海道のどの都市でしょうか?

1972年に開催された、アジア初の冬季オリンピック。舞台となったのは北海道のどの都市でしょうか?

札幌市と言えば時計台や雪祭りやラーメンなど、有名なものがたくさんありますよね。

北海道の中でも訪れる観光客の人数も多い方なのではないでしょうか?

さらに、札幌市では1972年にアジア初の冬季オリンピックも開催されていますよ。

開催地となった背景には、明治から昭和にかけて、スキーやスケートが冬のスポーツとして市民に定着していった歴史があったからと言われています。

実は1972年よりも、早く冬季オリンピックが開催されるはずでした。

第5回大会の冬季オリンピックが札幌で開催が1940年に決まっていましたが、日中戦争が激化したため、開催権を政府が返上したそうですよ。

「花の中三トリオ」と呼ばれたのは桜田淳子さんと森昌子さん、あと一人は誰でしょうか?

「花の中三トリオ」と呼ばれたのは桜田淳子さんと森昌子さん、あと一人は誰でしょうか?

昭和のアイドルはデビューした時期やきっかけによって、特別な名称で呼ばれることもありますよね。

そんな名称のひとつである「花の中三トリオ」のひとり、桜田淳子さんと森昌子さんとならぶ人物といえば誰でしょうか。

この3人が同世代だということ、オーディション番組『スター誕生!』からデビューした人物というだけで、思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。

答えは山口百恵さん、結婚を機に芸能界を引退したというエピソードも含めて、伝説的なアイドルですよね。

昭和60年代に登場した、子ども達に人気を博した白いお化けのような姿をしたキャラクターの名前はなんでしょう?

昭和60年代に登場した、子ども達に人気を博した白いお化けのような姿をしたキャラクターの名前はなんでしょう?

長く続いた昭和は文化の発展も大きな特徴、テレビやアニメーションの登場からさまざまなキャラクターも生み出されていきました。

そんな日本で生まれた数々のキャラクターの中でも、1960年代に登場した、白いおばけのような人気のキャラクターといえば何でしょうか。

藤子不二雄さんの代表的な作品のひとつであり、アニメで放送されたことからも人気が高まっていったキャラクターですね。

答えはオバケのQ太郎、Q太郎のほかにもさまざまなキャラクターが登場したことで、作品の全体が愛されました。

1970年代に、須田開代子選手や中山律子選手が活躍し、人気があったスポーツは何でしょうか?

1970年代に、須田開代子選手や中山律子選手が活躍し、人気があったスポーツは何でしょうか?

1970年代に東京を中心に一大ブームを巻き起こしたスポーツといえば、「ボウリング」!

美人プロボウラーとして人気を博していた中山律子選手、須田開代子選手、石井利枝選手は「花のトリオ」と呼ばれ、スポーツ選手としては異例の週7本のレギュラー番組に出演しながら活動を続けていたのだそうです。

ボールを転がしてピンを倒すというシンプルなルールで、老若男女問わず幅広い層から愛され続けているボウリング。

若かりし頃、夢中になっていたことを懐かしく思い出される方もいらっしゃるかもしれませんね。

昭和の暮らし・懐かしい生活クイズ(1〜10)

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

今も梅田にある動く歩道「ムービングウォーク」は昭和42年、1967年に設置されました。

設置された理由として、駅設備移転にともなう他鉄道との乗り換え不便解消だそうです。

その3年後に大阪万博が開催されて有名な存在に。

今現在でも日本で一番大きな動く歩道として知られています。

一万円札が登場したのは昭和何年?

一万円札が登場したのは昭和何年?

最初に一万円札が発行されたのは昭和33年、肖像は聖徳太子、裏面には鳳凰が描かれていました。

高齢者の方ではなくてもうっすらと記憶にある方は多いのではないでしょうか。

その後、高度成長期にともない1万円札の流通は大幅に流通量が増えていきました。

昔の小学校、昭和の時代には絶対にあった、今はもうないものは何でしょうか?

昔の小学校、昭和の時代には絶対にあった、今はもうないものは何でしょうか?

昭和の小学校では常識として「焼却炉」がありました。

清掃で出たゴミや、いらなくなった書類などを焼却炉で燃やして処分していたそうです。

ですが、ダイオキシンなどの有害物質を発生させるということが問題となり、平成12年には全国的に使用禁止となりました。