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70年代懐かしい の検索結果(71〜80)
君なき世界ザ・ビーバーズ

サイケデリックなロックサウンドと哀愁漂うメロディが織りなす傑作が、1967年11月に発売されたザ・ビーバーズのセカンドシングルです。
切ないメロディは、失恋の痛みを鮮やかに描き出しています。
ツイン・ボーカルの響きと、石間秀樹さんと平井正之さんによるツイン・ギターの妙技が見事に調和した本作は、オリコンチャートで57位を記録。
同年にはテレビ番組『ヤング720』への出演も果たしました。
恋に破れた心を癒やしたい夜、または青春時代を懐かしむ静かな午後に聴きたい一曲です。
Miss YouThe Rolling Stones

「ローリング・ストーンズがディスコに挑戦した!」と当時話題になった「ミス・ユー」1978年、全米チャートナンバーワンを獲得しました。
このオフィシャルPVでは、まだ30代という彼らの若々しい姿を観ることができます。
空に太陽がある限りにしきのあきら

にしきのあきらさんの『空に太陽がある限り』は1971年にリリース、代表的なものとして長く歌われている楽曲ですね。
この曲で紅白歌合戦に出場したことなどからも人気の楽曲で、懐メロ特集などでよく歌われることもあって広い世代にも知られています。
歌謡曲の王道を感じさせるおだやかかつ力強いサウンドで、やさしい歌声やコーラスと重なることで、前向きなあたたかさも伝えています。
「〇〇がある限り」といったところに注目して、CMソングでは替え歌になっていることもあり、その親しみやすさも含めて人気を集めている印象ですね。
メランコリー梓みちよ

「メランコリー」は1976年に発売された「梓みちよ」のシングル曲です。
日本レコード大賞・編曲賞を受賞しました。
作曲はフォークシンガー吉田拓郎です。
「梓みちよ」は1962年にデビューした歌手で「こんにちは赤ちゃん」が代表曲です
四つのお願いちあきなおみ

「四つのお願い」は1970年に発売された「ちあきなおみ」4枚目のシングル曲です。
日本歌謡大賞・放送音楽賞、有線大賞・努力賞を獲得しました。
「ちあきなおみ」はお色気アイドルと呼ばれバラエティ番組にも出演していました。
「喝采」が代表作です。
さらば恋人堺正章

今ではテレビ番組の司会業の印象が強いと思います。
当時は俳優や歌手など様々な肩書きを持つ人物でした。
恋人と離れて旅立っていくといったような切ない一曲です。
真夏の出来事平山三紀

「真夏のでき事」は1971年に発売された「平山三紀」2枚目のシングル曲です。
オリコン5位にランクインし日本レコード大賞・作曲賞を受賞しました。
「平山三紀(現在平山みき)」の鼻にかかったハスキーボイスが話題となりました。
オレンジ村から春へりりィ

りりィさんの『オレンジ村から春へ』は1976年にリリースされた、『家へおいでよ』のB面に収録されている楽曲です。
カントリーの要素も感じさせるやさしい雰囲気のサウンドにのせて、おだやかな村の風景が歌われていますね。
歌のリズムも弾むような軽やかさがあり、全体的なやさしくもあり楽しそうな空気感が、故郷への愛もイメージさせますよね。
CMソングとしては、資生堂のCMに起用されたのが有名で、季節が春に向かっていく高揚感を曲と映像で描いています。
17才南沙織

南沙織のデビューシングルとして1971年に発売されました。
デビュー曲ながら、本楽曲はオリコン2位を獲得し、南沙織は “女性ヤングアイドル” の基礎を築きました。
1971年の年末には第13回日本レコード大賞新人賞をはじめとして、多くの賞を受賞し、「第22回NHK紅白歌合戦」にデビューからわずか半年で出場歌手に選ばれ、紅組のトップバッターを務めました。
夏色のナンシー早見優

早見優5枚目のシングルとして1983年に発売されました。
この曲で初のオリコンチャートTOP10入りを記録し、自身最大のヒット曲となりました。
1983年の第34回紅白歌合戦にも初出場をしています。
本人出演のCM「コカ・コーラ」のイメージソングに起用されました。
70年代懐かしい の検索結果(81〜90)
Walk This WayAerosmith

この曲、誰の何という曲か知らないけれど聴いたことがある!
という方が非常に多いのではないでしょうか。
あの有名バラエティ番組のエンディング曲になっていますね。
この曲は1975年に発売されたアルバムに入っている曲です。
70年代にリリースされた曲にもかかわらず今聴いてもとてもかっこいいですよね。
どうにもとまらない山本リンダ

「どうにもとまらない」は1972年に発売された「山本リンダ」20枚目のシングル曲です。
オリコン3位にランクインし日本レコード大賞・作曲賞、日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞しました。
「こまっちゃうナ」でデビューして以来少女的な曲を歌っていましたが、この曲ではイメージチェンジし「へそ出しルック」で過激なダンスを踊っています。
タイムマシンにお願いサディスティック・ミカ・バンド

1974年にリリースされたシングル曲で後のアルバム『黒船』に収録されています。
この「黒船」は日本のバンドが初めて海外で音源をリリースしたということで歴史的な一枚とされています。
70年代の日本のバンドという空気が強く感じられる曲ですが、古いという印象はなく、聴いていてとても楽しい曲です。
瀬戸の花嫁小柳ルミ子

1972年4月発売。
小柳ルミ子の存在を決定づけた曲です。
誰もが知るそのフレーズは平尾昌晃作曲、山上路夫作詞です。
4枚目のシングルで、「わたしの城下町」に次ぐヒットとなりました。
ワーナー・パイオニアより発売されました。
Play That Funky MusicWild Cherry

こちらもバンドによるディスコナンバーです。
1976年の秋、3週連続で全米チャートナンバーワンになっています。
白人だけのバンドとは思えないくらいのファンキーさが、世界中で人気を集めました。
活動期間は短いものでしたが、強烈なインパクトを残したバンドでした。

