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青森の民謡・童謡・わらべうた|津軽や八戸に息づく心に響く日本の歌

豊かな文化と芸能の伝統が息づく青森県。

津軽や八戸の地には、情感豊かな民謡の調べが今も響きわたります。

津軽三味線の力強い音と相まって、青森の民謡は私たちの心に深く訴えかけてきます。

本記事では、山々や海、厳しい気候が育んだ人々の暮らしのなかから生まれた「青森の民謡、童謡、わらべうた」を厳選。

時代をこえて大切に歌いづ画れてきた名曲をご紹介します。

青森県の心の歌と呼べる楽曲の世界へ、耳を傾けてみませんか?

青森の民謡・童謡・わらべうた|津軽や八戸に息づく心に響く日本の歌(21〜30)

八戸大漁音頭

八戸大漁音頭【Hachinohe tairyo ondo】
八戸大漁音頭

1931年に八戸市の港が新しくなったことを祝して作られた、この地域を代表する民謡の一つです。

音頭の軽快なリズムは、大漁への期待と喜びにあふれる漁師たちの力強い心意気を表しているかのよう。

歌詞には鰯や鯖といった魚の名前も巧みに織り込まれ、港町の活気や祝宴のにぎわいを想起させます。

この楽曲は、民謡歌手の吾妻栄二郎さんによる1998年発売のアルバム『民謡紀行』に収録されています。

聴いていると自然に体が動き出してしまう陽気な曲調で、お祭りや祝いの席でみんなで歌い踊るのにピッタリですよね。

八戸の豊かな漁業文化に思いをはせながら聴いてみてはいかがでしょうか。

八戸港祭り音頭

夏坂菊男の 八戸港祭り音頭
八戸港祭り音頭

戦後の活気にあふれる八戸の港をそのまま音にしたような、にぎやかなご当地音頭。

三味線や尺八、威勢の良い掛け声が織りなすアップテンポな調べは、大漁に沸く港の熱気や祭りの高揚感を今に伝えます。

歌詞には船や漁師たちの暮らしが描かれ、聴いているだけで心がはずみますよね。

この曲は、民謡歌手の夏坂菊男さんによる録音が残されており、八戸港まつりの公式音頭としても長年親しまれています。

港町の力強い息吹と人々の笑顔が目に浮かぶような気がしませんか?

白銀ころし

白銀ころし(ころばし) 青森県八戸市の民謡。唄:八戸の芸者さんたち
白銀ころし

哀愁ただよう南部甚句の調べと、わらべうたの親しみやすさが同居した1曲です。

青森県八戸市の港町を舞台に、漁師たちの遊郭通いへの葛藤と、家に残る家族への後ろめたさといった、やるせない心情が歌われています。

この楽曲が持つ重いテーマを、なぜ穏やかな旋律で歌い継いできたのか、その背景に思いをはせる方もいらっしゃるかもしれませんね。

本作はもともと口伝えの唄でしたが、津軽民謡の振興者、成田雲竹さんが昭和29年頃に新民謡としてまとめたのだそう。

厳しい風土に生きた人々の複雑な感情が溶け込んだ歌の世界に触れてみたいとき、その奥深さにじっくりと耳を傾けたくなるはずです。

雀雀ほしんじょ

『 子どもの歌は輝く』VOL.34『すずめすずめほしんじょ』(境小2年・部分二部合唱)
雀雀ほしんじょ

雀を呼びかけるリズミカルな掛け声がとても愛らしい、青森県弘前地方のわらべうたを基にした1曲。

この楽曲は、遊びの輪に「おいで」と仲間を誘うような、無邪気で温かいやりとりが目に浮かぶようです。

誰でもすぐに口ずさめる素朴な旋律と弾むようなリズムが、聴く人の心を自然と和ませてくれますよね。

作曲家の清水脩さんによって合唱曲に編曲され、アルバム『日本のわらべ唄 第1』などに収録。

青森県の小学校の合唱団による実演もあり、地域の子どもたちに歌い継がれてきました。

とらじょさま清野明子

「とらじょさま」 by 清野明子 (津軽三味線:仲原真理子)
とらじょさま清野明子

調べると岩手県民謡としても有名なのですが、地域としては岩手県二戸市~青森県七戸市の広範囲で唄われた盆唄です。

「とらじょ」とは諸説ありますが、虎蔵が訛ったものとされ、地域によっては「虎女さま」とも言われています。

青森県の民謡としては「南部とらじょさま」といわれています。

地域ごとにある詩なので、若干違ってきているようですが、何だか不思議でおもしろい盆唄です。

もうっこ

もうっこ わらべうた 津軽の旋律 より
もうっこ

津軽地方のわらべ歌で、もうっことは蒙古の事です。

秋田のはまはげと同様にいい子にしていないと、山から蒙古人が襲ってくるぞという感じで、なんとなく子守歌なのですが、ちょっと怖い感じがしますね。

今では子どもが怖がるので、やさしい”なまはげ”と風化しつつありますが、子守歌などの地方のわらべ唄はけっこう子どもが怖がる唄も多いのです。

南部牛方節

南部牛方節 成田雲竹 (9)
南部牛方節

旧南部領三戸地方の牛方が、牛をひいての道中に唄った牛追いの唄。

八戸港で水揚げされた塩や魚・雑貨などを牛の背につみ、秋田県鹿角郡へ売りに行き、帰りは鹿角郡の鉱石を積んでの長旅で牛方の孤独をまぎらわせるかのように、牛への子守歌かわりとして唄われた曲です。