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ブラジルのおすすめアーティスト。海外の人気歌手・シンガーソングライター

突然ですが、あなたはブラジルの音楽と聞いて、どんな楽曲を思い浮かべますか?

やはり多くの方がボサノバやサンバをイメージするのではないでしょうか?

確かにそういったジャンルもブラジルでは人気なのですが、実はレゲトンのような楽曲の人気が高いんですよね。

それも、ただのレゲトンというわけではなく、サンバの要素が入っています。

またR&Bやスロウジャムといったブラック・ミュージックも独自の発展をとげておりますので、ぜひ最後までチェックしてみてください!

ブラジルのおすすめアーティスト。海外の人気歌手・シンガーソングライター(31〜40)

Garota De IpanemaAntônio Carlos Jobim

ボサノヴァのムーブメントを起こした楽曲。

世界中でカバーされているボサノヴァとして有名です。

イパネマとはブラジルのリオにあるキレイな海岸のことで、そこで見た美女をモチーフにつくられました。

彼はブラジルを代表する作曲家で、今世紀のブラジル音楽に影響を与えた一人です。

Eu JuroLeonardo

Leonardo – Eu Juro (I Swear) [Ao Vivo]
Eu JuroLeonardo

オーソドックスなブラジリアン・ポップスで人気を集めたシンガー・ソングライター、レオナルドさん。

現在は第一線から距離を置く形になっていますが、彼の名曲は現在でも若い世代にも人気です。

そんな彼のスタイルを味わえる作品が、こちらの『Eu Juro』。

彼の甘く優しい歌声が印象的な作品です。

ラテンのラブソングが好きな方にとっては、非常に親しみやすいメロディーや構成に仕上げられているので、ぜひチェックしてみてください。

Água na BocaTati Zaqui

Tati Zaqui – Água na Boca (Clipe Oficial)
Água na BocaTati Zaqui

ブラジルの若者で人気なジャンル、ファンキ・カリオカを得意としている女性シンガー、タティ・ザキさん。

ファンキ・カリオカは1980年代あたりに生まれたジャンルで、他のラテン・ミュージックと似ている部分が多いのですが、タティ・ザキさんのファンキ・カリオカはダンスホール・レゲエに近い構成でまとめられています。

そのためどの曲も基本的に陽気でエネルギッシュなものに仕上げられています。

ダンス・ミュージックが好きな方は、ぜひチェックしてみてください。

Meu LugarArlindo Cruz

Arlindo Cruz – Meu Lugar (Ao Vivo)
Meu LugarArlindo Cruz

ブラジル人で知らない人はいないとっても有名なサンバ界のレジェンド。

フンド・ヂ・キンタル時代を含めてキャリア30年を突破し今までに手掛けた楽曲は500曲以上。

現在もサンバ普及に努めながら活動し続けているアルリンド・クルースの活躍に注目ですね。

ERRO PLANEJADO feat Henrique e JulianoLuan Santana

Luan Santana – ERRO PLANEJADO feat Henrique e Juliano (LUAN CITY)
ERRO PLANEJADO feat Henrique e JulianoLuan Santana

ライブ・パフォーマンスに定評のあるブラジル出身の男性シンガー・ソングライター、ルアン・サンタナさん。

ブラジルでは非常に人気の高いアーティストで、2010年代にはいくつものヒットソングを生み出しました。

彼はブラジルの伝統的な音楽であるセルタネージャというジャンルをポップ・ミュージックに落とし込んだスタイルで知られており、多くの楽曲がキャッチーな雰囲気にまとめられています。

そのため、ブラジルの音楽を知らない方にとっては非常に聴きやすいアーティストと言えるでしょう。

ブラジルのおすすめアーティスト。海外の人気歌手・シンガーソングライター(41〜50)

MambeadoMoreno Veloso

ブラジル音楽界のリーダー、カエターノ・ヴェローゾの長男で自身が歌うだけでなく、プロデューサーとしても有名な人物です。

音楽界でも重要とされている彼の繊細な歌声とアコースティックギターで美しいな空間を演出できる彼の魅力にひかれるファンも多いようです。

RomariaRegina

Elis Regina – Romaria (Pilgrimage)
RomariaRegina

1960年代から1970年代にかけて、ブラジルで一番の人気を誇る歌姫です。

当時、後退していたボサノヴァとたらしいMPBの架け橋になる存在でした。

しかし、1982年36歳の若さで、アルコール中毒とドラッグ中毒により亡くなりました。