昔を振り返るのは楽しいものですよね。
芸能やスポーツ、エンタメなど、懐かしい話題について考えることは、記憶を呼び起こし、心が躍る瞬間でもあります。
みなさんと一緒に、当時の出来事をクイズ形式で振り返ってみませんか?
今では当たり前になっているものや、時代とともに変わっていったもの、そんな思い出話に花を咲かせながら、楽しい時間を過ごしましょう。
「そうそう、あったね!」という楽しい声が聞こえてきそうですね。
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芸能・エンタメ・スポーツ(1〜10)
バスケットボールが誕生した当初は何をゴールにしていたでしょうか?

ジェームズ・ネイスミスさんによって考案されたスポーツ、バスケットボール。
今や世界中で愛されているスポーツの一つですよね。
考案された当初は環境も整っておらず、体育館の手すりに桃を入れる籠をくくりつけ、ゴールとしていたようです。
バスケットボールという名前は、籠=basketからきているんですよ。
だからバスケットボールは日本語で表すとき「籠球」と書かれるんですね。
不思議に思っていた方も多いのではないでしょうか?
「花の中三トリオ」と呼ばれたのは桜田淳子さんと森昌子さん、あと一人は誰でしょうか?

昭和のアイドルはデビューした時期やきっかけによって、特別な名称で呼ばれることもありますよね。
そんな名称のひとつである「花の中三トリオ」のひとり、桜田淳子さんと森昌子さんとならぶ人物といえば誰でしょうか。
この3人が同世代だということ、オーディション番組『スター誕生!』からデビューした人物というだけで、思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。
答えは山口百恵さん、結婚を機に芸能界を引退したというエピソードも含めて、伝説的なアイドルですよね。
パネルクイズ『アタック25』の司会を36年間にわたって務めたのは誰でしょうか?

パネルクイズ『アタック25』は昭和50年に放送を開始したクイズ番組、クイズへの知識だけなく、パネルを取り合う戦略性もおもしろいポイントですよね。
そんな『アタック25』で司会を36年間にわたって務めた人物といえば誰でしょうか。
この番組の象徴ともいえる人物なので、番組のセットとあわせて思い浮かぶという場合もあるかもしれませんね。
答えは児玉清さん、回答に対する冷静なリアクション、すっと言葉が回ってくる解説なども魅力でしたね。
石原慎太郎さんの小説が名前の由来と言われている、無軌道で不道徳的な若者たちを何族と呼んでいたのでしょうか?

俳優や作家だけでなく政治家としても活躍した石原慎太郎さん、その小説に由来する言葉が大きく流行しました。
無軌道で道徳に反する若者たちをさす言葉として何族と呼ばれていたでしょうか。
石原慎太郎さんの『太陽の季節』から生まれた言葉というのがヒントになるのではないでしょうか。
答えは「太陽族」、外からは不良集団の表現として、当事者からは既存の秩序にとらわれない信念の表現として大きく広がっていきました。
石原慎太郎さんの影響力の強さがうかがえるエピソードですよね。
昭和33年頃に当時の子供たちの間で流行したヒーローといえば、何仮面でしょうか?

昭和33年ごろにヒットし、当時の子供に流行したヒーローといえば誰でしょうか。
日本のヒーロー番組の元祖であり、その後のヒーロー番組に大きな影響を与えた作品なのでヒーローの記憶をたどれば思いつく人もいるかもしれませんね。
ヒントは仮面のヒーロー、誰かは知らないが誰もが知っているヒーローという点でしょうか。
答えは「月光仮面」、白いターバンと覆面に黒いサングラスをかけた独特のビジュアル、オートバイにのって人々を救う姿が印象的ですね。
悪者であっても過剰に傷つけない、強い信念を持ったヒーローですね。
昭和39年の東京オリンピックで、女子バレーは金メダルを獲得しました。この活躍から「東洋の」何と呼ばれたでしょうか?

答えは「東洋の魔女」です。
1964年の東京オリンピックでの金メダル獲得の3年前、当時の日本代表の中心だった「日防貝塚」という企業チームがヨーロッパ遠征をして、代表チームを相手に連勝を達成した時に現地のスポーツ紙が「東洋に魔法使い」と見だしを付け、それを日本のメディアが「東洋の魔女」と言い換えたのが始まりだそうです。
「東洋の魔女」は東京オリンピックの金メダル以降も勝ち続け、連勝記録は258まで続きました。
昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。その落語家は誰でしょうか?

オリンピックの聖火ランナーはスポーツ選手や著名人など、さまざまな人が走るところも注目のポイントですよね。
昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。
その落語家は誰でしょうか。
ヒントはテレビで目にする機会も多い長く愛される落語家、国の代表という厳格なイメージはない人かもしれませんね。
答えは「三遊亭小遊三さん」、当時は落語家として走っていたわけではなく、高校生の卓球選手としての聖火ランナーへの抜てきだったそうです。