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【高齢者向け】盛り上がる!面白い懐かしいクイズ

クイズで脳トレをしている高齢者施設は多いのではないでしょうか?

座ってできて、男性女性問をわず参加していただけるのがクイズレクの魅力ですよね。

今回はたくさんあるクイズの問題の中から厳選した「高齢者の方が懐かしい面白クイズ」をご紹介します。

高齢者の方が懐かしいと思うところがポイントです!

懐かしむことは、過去を振り返ることになり、高齢者の方の思い出を呼び覚ますことにつながります。

回想法と呼ばれるこの方法は、思い出したことを周囲の方々と会話をするなど、コミュニケーションの促進に効果的です。

高齢者の方にとても良い刺激になり、心も安定するそうですよ。

楽しく問題を解いてみてくださいね!

【高齢者向け】盛り上がる!面白い懐かしいクイズ(11〜20)

現在ではどこのスーパーでも見かけますが、昭和30年代初めまでは高級品だった果物は?

現在ではどこのスーパーでも見かけますが、昭和30年代初めまでは高級品だった果物は?

昭和と今では物の価値が変わっている場合もありますよね。

数を減らして希少価値が上がったものもあれば、流通の向上とともに価格が安定していったものまでさまざまです。

そんな価値が変化したものの中でも、現在ではスーパーで手軽に手に入る、かつては高級品だった果物といえば何でしょうか。

果物の定番をイメージ、その中でも輸入に頼っているものをたどっていくと答えに気付けるかもしれませんよ。

答えはバナナ、昭和の30年代中盤までは輸入制限がかけられていて、そのことから高価な果物として扱われていました。

昭和の子供たちは、お菓子を食べながら見るのが定番だった物は何でしょうか?

昭和の子供たちは、お菓子を食べながら見るのが定番だった物は何でしょうか?

子供たちの遊びや楽しみも時代とともに変化、中には徐々に数を減らしていったものも存在していますよね。

そんな現在は数を減らしてしまった子供の楽しみの中でも、昭和時代に特に人気だったお菓子を食べつつ見ていたものといえば何でしょうか。

お菓子を食べつつという部分に注目、動きながらではなくみんなで集まって、じっくりと眺めるという姿をイメージすると、それを知っている人は答えが思い浮かぶかもしれませんよ。

答えは紙芝居、自転車に紙芝居とお菓子をつんでやってくる紙芝居のおじさんのもとにみんなが集合、せんべいや水あめをお供に紙芝居を見る子供たちという光景は、昭和の懐かしさを感じる風景ですよね。

昭和に学校の給食に出ていた定番のお肉とは何でしょう?

昭和に学校の給食に出ていた定番のお肉とは何でしょう?

学校の給食といえば地域によって差があるものですが、時代によってもメニューが変わっています。

そんな時代の移り変わりも感じさせる、昭和時代によく出されていた定番のお肉といえば何だったでしょうか。

現在では見る機会が少なくなった肉、現在の主な肉とは違う種類と考えると、答えの候補もしぼられるかと思います。

答えはクジラ肉、鶏肉や豚肉が現在よりも出回っていなかった昭和20年代から、安価で栄養価の高い食材として子供たちの健康を支えてきました。

昭和時代に小学生のなりたい職業ランキングで上位続きだった職業は何でしょう?

昭和時代に小学生のなりたい職業ランキングで上位続きだった職業は何でしょう?

どの時代も子供たちは夢を持っているもの、ただしなりたいと感じる職業はその時に目にするものの違いで変わってきますよね。

そんな子供のなりたい職業に注目、昭和の子供たちにとって人気が高かった職業といえば何だったでしょうか。

日常の中で子供たちが楽しみにしていたものが何か、どのようなスターが存在していたのかという部分でも、答えが思い浮かびますね。

答えは野球選手、スポーツ選手はどの時代も人気が高い職業ですが、かつては野球の人気が特に高かったことからも、野球選手と答える子供が多かったようです。

昭和49年当時、野球界のスーパースター長嶋茂雄が引退したときに「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか?

昭和49年当時、野球界のスーパースター長嶋茂雄が引退したときに「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか?

日本の野球界を象徴する長嶋茂雄さん、選手としてだけでなく監督としても活躍した人物ですよね。

その長嶋茂雄さんが選手を引退した昭和49年にスピーチで放った「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか。

野球界に残る名言であり、他のジャンルでも引用される言葉で、自分が去ったあともその場所が長く続いてほしいという願いが感じられますね。

答えは「永久に不滅です」で、長嶋茂雄さんのチームや野球への強い愛情が伝わってくる言葉ですね。

氷箱とは何をするために使われていたのでしょうか?

氷箱とは何をするために使われていたのでしょうか?

技術の進歩によって家の中の家具も進化、かつて使われていたものは徐々に姿を消していきましたよね。

そんな消えていったものの中でも、氷箱と呼ばれていたものはどのような場面で使われていたでしょうか。

これが姿を消し始めたのが昭和30年代、この時に三種の神器と呼ばれる家電が普及したということも大きなヒントですね。

正解は食品を冷やすため、三種の神器のひとつである電気式冷蔵庫が普及するまでは、氷式冷蔵庫と呼ばれるこの家具が人々の生活を支えていました。

電気がない状態でより食品を長持ちさせるため、さまざまな工夫が込められているのもおもしろいポイントですね。

【高齢者向け】盛り上がる!面白い懐かしいクイズ(21〜30)

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。その落語家は誰でしょうか?

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。その落語家は誰でしょうか?

オリンピックの聖火ランナーはスポーツ選手や著名人など、さまざまな人が走るところも注目のポイントですよね。

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。

その落語家は誰でしょうか。

ヒントはテレビで目にする機会も多い長く愛される落語家、国の代表という厳格なイメージはない人かもしれませんね。

答えは「三遊亭小遊三さん」、当時は落語家として走っていたわけではなく、高校生の卓球選手としての聖火ランナーへの抜てきだったそうです。