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【高齢者向け】懐かしいクイズで思い出がよみがえる!昭和の芸能・エンタメ・スポーツ問題

昔を振り返るのは楽しいものですよね。

芸能やスポーツ、エンタメなど、懐かしい話題について考えることは、記憶を呼び起こし、心が躍る瞬間でもあります。

みなさんと一緒に、当時の出来事をクイズ形式で振り返ってみませんか?

今では当たり前になっているものや、時代とともに変わっていったもの、そんな思い出話に花を咲かせながら、楽しい時間を過ごしましょう。

「そうそう、あったね!」という楽しい声が聞こえてきそうですね。

歴史・時事問題(1〜10)

昭和後期から平成初期まで続いた景気が良かった時期を何時代というのでしょうか?

昭和後期から平成初期まで続いた景気が良かった時期を何時代というのでしょうか?

昭和の終盤から平成の初期まで日本には好景気がおとずれていました。

ビジネス面だけでなく社会全体が独特の空気をまとっていたその時期は何時代と呼ばれているでしょうか。

ヒントは好景気の実態、資産価値の急上昇からの下落という突然にはじけて消えた好景気ということに由来しています。

答えは「バブル時代」、この時期にだけ流行して消えていったものを知るのもおもしろいですし、この時期に力を蓄えた企業などを知るのもオススメですよ。

昭和49年当時、野球界のスーパースター長嶋茂雄が引退したときに「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか?

昭和49年当時、野球界のスーパースター長嶋茂雄が引退したときに「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか?

日本の野球界を象徴する長嶋茂雄さん、選手としてだけでなく監督としても活躍した人物ですよね。

その長嶋茂雄さんが選手を引退した昭和49年にスピーチで放った「我が巨人軍は」の後に続く言葉は何でしょうか。

野球界に残る名言であり、他のジャンルでも引用される言葉で、自分が去ったあともその場所が長く続いてほしいという願いが感じられますね。

答えは「永久に不滅です」で、長嶋茂雄さんのチームや野球への強い愛情が伝わってくる言葉ですね。

昭和45年大阪で開催された、日本万博国博覧会のシンボルとなった建造物の名前は何でしょうか?

昭和45年大阪で開催された、日本万博国博覧会のシンボルとなった建造物の名前は何でしょうか?

芸術家の岡本太郎さんがデザインし、昭和45年に開催された日本万国博覧会のシンボルとなった太陽の塔。

白く大きな体に、顔が表に2つ裏に1つあり、特徴のある塔です。

塔の上の方にある顔は黄金の顔、正面の太陽の顔、背面の黒い太陽というそうですよ。

高齢者の方の中にも、太陽の塔を見たことがある方もいることでしょう。

インパクトがあるデザインのこの塔は、当時多くの人を魅了しました。

大阪万博閉幕後に解体される予定でしたが、保存を求める声が多く集まり昭和50年に永久保存が決定したそうです。

日本の初代内閣総理大臣は誰?

日本の初代内閣総理大臣は誰?

日本で最初に総理大臣になったのは、伊藤博文です。

1885年から1888年まで、総理大臣を務めました。

それ以降も、1892年から1896年、1898年、1900年から1901年と、計4回総理大臣に就任していますよ。

さらに、伊藤博文は、1963年11月1日から1986年 1月4日まで発行されていた、1000円札にも描かれていました。

業績としては、日本の伝統や西洋の文化や近代的な統治システムを掛け合わせた、大日本帝国憲法を作ったことでも有名ですよ。

昭和40年11月から昭和45年7月までの、57カ月続いた高度経済成長時代の好景気を指す言葉を何というでしょうか?

昭和40年11月から昭和45年7月までの、57カ月続いた高度経済成長時代の好景気を指す言葉を何というでしょうか?

昭和40年11月から昭和45年7月まで続いた、高度経済成長時代の好景気の通称、いざなぎ景気。

所得水準の向上など、市民の生活にも変化がありました。

さらに、大きな環境汚染問題も話題となったそうです。

工業化が進み、工場の排煙や排水などによる大気や水の汚染、騒音などの問題がありました。

工場用水として地下水をくみ上げ過ぎたことによる地盤沈下などの公害を発生させ、社会問題になったそうです。

ちなみに、いざなぎ景気の「いざなぎ」は、日本神話に登場する国生みの神、「いざなぎのみこと」にちなんで名付けられましたよ。

終戦後、空襲で家を無くした人たちが一時的に暮らした小屋を何というでしょうか?

終戦後、空襲で家を無くした人たちが一時的に暮らした小屋を何というでしょうか?

現在は平和な国となった日本ですが、かつては大きな戦争を経験しています。

戦後、空襲によって家を失った方々の中には、バラックという小屋で生活もしていた方もいたそうです。

電気やガスや水道もない生活の中で、たいへん不自由な生活を送っていました。

バラックのもともとの意味は、軍隊が駐屯するための宿舎です。

そこから、粗末な仮小屋や、簡易的な建物を意味する言葉となったそうですよ。

大阪駅周辺には戦後22年ごろまで、バラック街が残っていました。

1972年に開催された、アジア初の冬季オリンピック。舞台となったのは北海道のどの都市でしょうか?

1972年に開催された、アジア初の冬季オリンピック。舞台となったのは北海道のどの都市でしょうか?

札幌市と言えば時計台や雪祭りやラーメンなど、有名なものがたくさんありますよね。

北海道の中でも訪れる観光客の人数も多い方なのではないでしょうか?

さらに、札幌市では1972年にアジア初の冬季オリンピックも開催されていますよ。

開催地となった背景には、明治から昭和にかけて、スキーやスケートが冬のスポーツとして市民に定着していった歴史があったからと言われています。

実は1972年よりも、早く冬季オリンピックが開催されるはずでした。

第5回大会の冬季オリンピックが札幌で開催が1940年に決まっていましたが、日中戦争が激化したため、開催権を政府が返上したそうですよ。