宮城の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ
宮城の民謡は、私たちの心の奥深くに響く郷土の宝物です。
漁師たちが大漁を願って唄う「斎太郎節」、草刈りの帰り道に自然と口ずさむ「秋の山唄」、そして祝いの席で心を込めて歌われる「お立ち酒」。
こうした民謡の一つひとつには、豊かな海と大地に寄り添って生きてきた人々の歓びや祈り、そして暮らしの温もりが詰まっています。
伝統の音色と共に、宮城の人々が大切に紡いできた物語に耳を傾けてみませんか?
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もくじ
宮城の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(21〜40)
銭吹き唄片倉宗太郎

享保13年、江戸幕府は銭の原料を求めやすい石巻に、銭貨を鋳造発行する機関「銭座」を作りました。
貨幣鋳造の際に炉に風を送る職人は旧南部領の人たちだったため、作業しながら唄っていた故郷の民謡「気仙坂」が定着し、「銭吹き唄」という仕事唄として変化し石巻に残りました。
銭座が廃止されたあとは、いつしか祝い唄として唄われるようになりました。
どや節相沢武雄

宮城県の松島港あたりで唄われた大漁を祈願する唄「どや節」です。
「どや」の意味については、鋳物の精錬場を意味する「烔屋(とや)」から取ったとされる説と、祝い事の当番になった家「当家(とうや)」から取ったとされる説があります。
宮城野盆唄

「宮城野盆唄」は、仙台市の宮城野住宅に住んでいた岩手県出身の民謡研究家、武田忠一郎さんによって、戦後まもなく作られた唄です。
その昔、伊達家三代目・綱宗の不行跡があり、わずか2歳の亀千代に跡目を譲るでき事がありました。
これにより伊達範では盆踊りなどが禁じられ、県下には盆踊りらしいものがほとんど見当たらなかったため、後に作られたこの「宮城野盆唄」は貴重な盆唄となっています。
豆ひき唄大塚文雄

宮城県民謡「豆ひき唄」です。
乾燥した豆殻から豆を打ち落とす「豆ひき」と呼ばれる作業の作業唄です。
民謡歌手、吉目木栄さんがレコーディングしたアルバム「宮城民謡集」に収録されたものが有名です。
宮城県の他、福島県伊達地方や山形県でも「豆ひき唄」は唄われています。
新さんさ時雨大西玉子

「新さんさ時雨」は、東北民謡研究家の武田忠一郎さんが戦前に作曲した唄です。
この唄の歌謡曲調なところを嫌った宮城県の民謡研究家、後藤桃水さんによって、「新さんさ時雨」は発表の場をなかなか与えてもらえませんでした。
時代とともに歌謡曲調の民謡が流れ始め、ようやく日の目を見ることができました。