宮城の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ
宮城の民謡は、私たちの心の奥深くに響く郷土の宝物です。
漁師たちが大漁を願って唄う「斎太郎節」、草刈りの帰り道に自然と口ずさむ「秋の山唄」、そして祝いの席で心を込めて歌われる「お立ち酒」。
こうした民謡の一つひとつには、豊かな海と大地に寄り添って生きてきた人々の歓びや祈り、そして暮らしの温もりが詰まっています。
伝統の音色と共に、宮城の人々が大切に紡いできた物語に耳を傾けてみませんか?
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もくじ
宮城の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(21〜40)
おいとこ節我妻桃也

江戸末の天保の頃、関東・東北地方を中心に俗曲「おいとこそうだよ」が広く唄われていました。
明治末~大正の頃東京で再び流行しましたがその後次第に忘れ去られ、宮城県にだけ「おいとこ節」として残りました。
元は余興踊りとして唄い踊られていましたが、後に酒席の踊り唄として盛んに唄われるようになりました。
どんぐりころころ諸月りんね

「どんぐりころころ」は大正時代に作られました。
作詞をした青木存義さんは宮城県松島町の大地主の家に生まれ、いわゆる「坊ちゃん」として育ちました。
広大な屋敷の庭にナラの木があり、その横に大きな池がありました。
これが「どんぐりころころ」に出てくる「どんぐり」が実る木と、どんぐりがはまってしまう「お池」です。
そして、朝寝坊な青木さんを何とか起こしたい思いで母親が取った行動が、この池にどじょうを放すことでした。
こうして「どじょう」が坊ちゃんを遊びに誘う訳です。
今までなんとなく聴いていた歌に色がついた感じがします。
嵯峨立甚句てんてん

宮城県登米郡錦織村(現在の登米市東和町錦織)の一村落・嵯峨立は、北上川の港町で、出船、入船でとても賑わった町です。
港に吹き降ろす北西の風を「さが」と呼び、帆船はさがが立つ日に出港していったそうです。
船乗りたちによって塩釜や石巻の甚句が持ち込まれ、「嵯峨立甚句」として唄い継がれてきました。
宮城馬子唄白井幸子

「宮城馬子唄」は、長野県小諸市周辺発祥の民謡「小諸馬子唄」が移入され、宮城の馬子唄になったと言われています。
力強い低音で人気の民謡歌手、赤間政夫さんが昭和37年にレコードに吹き込んだことで、東北を代表する馬子唄になりました。
遠島甚句高田登月

「遠島甚句」は、金華山の漁場、宮城県の沿岸部一円の漁村で唄われてきた酒盛り唄です。
牡鹿半島突端にある金華山付近には大小10の島があって、俗にこれを十島と呼ぶため、いつからか遠島の字があてられるようになりました。