日本の浪曲。伝統の浪花節(なにわぶし)
「浪花節」(なにわぶし)とも呼ばれる日本の浪曲の中から、スタジオスタッフがおすすめする名曲をご紹介します。
日本の義理・人情を今に伝える貴重なプレイリストです。
日本の浪曲。伝統の浪花節(なにわぶし)(11〜20)
甚五郎の蟹二代目広沢菊春

1914年生まれ。
初代広沢菊春の実子で、天龍三郎は実弟。
浪曲では名工・左甚五郎を扱った演目は数多くありますが、この「甚五郎の蟹」は落語調のコミカルな内容で、事実「叩き蟹」のタイトルで落語にも移植されています。
野狐三次 大師詣で(一)初代東家浦太郎

戦後の浪曲ブームを支えた一人。
日本浪曲協会会長を三期務めました。
ノドを締めて発声する胴声(ダミ声)では最後の名人と称されます。
1995年、浦太郎の名を二代目に譲って自らは「東家三叟」を名乗り隠居しました。
2004年没。
佐渡情話(一)寿々木米若

おなじみ「佐渡へ佐渡へと…」の一節で始まる名作浪曲「佐渡情話」は、初代寿々木米若が自ら創作して看板芸に仕立てたものです。
人望にも優れ、三期にわたって日本浪曲協会会長を務めました。
戦後浪曲ブームのスターの一人。
赤垣源蔵 禁酒の条桃中軒雲右衛門

明治~大正期に活躍した浪曲界の伝説の浪曲師。
自身の人生も浪曲の演目になっているほどです。
現存する音源はSP盤レコードのみですが、つやのあるはっきりした声で、当時雲右衛門のレコードが爆発的に売れたのもわかります。
駕籠幽霊酒井雲

1898年生まれ。
16歳で桃中軒雲右衛門に入門したのち、これまでの浪曲とは一線を画した「文芸浪曲」路線を確立。
戦後の浪曲ブームに乗った一人。
歌手の村田英雄が少年浪曲師時代の師匠でもあり、「酒井雲坊」と名付けていました。
加賀騒動から武士の情二代目京山幸枝若
1954年生まれ。
1973年、父の初代京山幸枝若に入門して「福太郎」。
先代没後、2004年に二代目幸枝若を襲名。
父親譲りの美声で早くから浪曲ファンの間で注目を浴びる人気者です。
吉本興業に所属する数少ない浪曲師。
日本の浪曲。伝統の浪花節(なにわぶし)(21〜30)
紺屋高尾(前半)国本武春

2015年暮れに55歳の若さで早逝した時は、浪曲界だけでなく東西の演芸界全体がその早すぎる死を惜しんだほど、東京浪曲界の中心人物でした。
NHK-Eテレ「にほんごであそぼ」で彼が演じた「うなりやベベン」は今も健在。