沢田研二の名曲・人気曲
「ジュリー」の愛称で親しまれる沢田研二さんは、グループ・サウンズの金字塔ザ・タイガースのボーカルから、唯一無二のソロアーティストへと進化を遂げました。
独特の歌唱力と派手な衣装、カリスマ的なパフォーマンスで音楽シーンを彩り、「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」など、日本の音楽史に残る名曲の数々を生み出してきました。
フランスでも成功を収めた稀有なエンターテイナーの魅力あふれる楽曲の世界へご案内します。
沢田研二の名曲・人気曲(41〜60)
死んでもいい沢田研二
1970年にザ・タイガース解散、1971年に開始した新バンドPYGが空中分解し、ソロ歌手となったジュリーのソロ4枚目のシングルです。
1972年にリリースされました。
情熱的な、泣きメロディーの歌謡ロックバラードです。
白い部屋沢田研二
1975年にリリースされたソロ15枚目のシングルです。
バックバンドは、ケニー・ウッド・オーケストラが担当しています。
トランペットソロのイントロからはじまり、はしばしでフィーチャーされています。
ストリングスなども使用され、ドラマチックに仕上がっています。
あなただけでいい沢田研二
1972年にリリースされたソロ3枚目のシングルで、バラを加えたジュリーのアップが印象的なジャケットです。
演奏は、井上堯之バンドとケニー・ウッド・オーケストラ。
トランペットがフィーチャーされたサウンドで、クラシカルな仕上がりです。
きめてやる今夜沢田研二
1983年にシングルリリースされたナンバーで、ジュリー自身が作詞を担当しています。
明るくバブリーなシンセサイザーがフィーチャーされた、テクノなロックサウンドが80年代初頭の日本の浮かれ具合を象徴しています。
許されない愛沢田研二
ソロ転向後のシングル第2弾。
路線をややGS調に戻した感があり、エネルギッシュな歌唱法で強い印象を与えました。
オリコン週間ベスト10入り、第14回日本レコード大賞、NHK紅白歌合戦への初出場などの結果につなげる記念すべき1枚です。
当時としては珍しいロンドン・スタジオでの収録で、「音にこだわる歌謡曲歌手」となりました。