沢田研二の名曲・人気曲
昭和を代表する男性歌手、沢田研二の楽曲を紹介します。
「勝手にしやがれ」「TOKIO」などリアルタイムで聴いていない方でも1度は耳にしたことがある楽曲が複数ありますよね。
沢田研二が活動を始めたのはグループサウンズ全盛期の1960年代で、グループサウンズの中心的存在のザ・タイガースのボーカルとしてデビューしました。
そんな沢田研二のあだ名といえば「ジュリー」ですが、その由来は沢田研二が女優のジュリー・アンドリュースのファンだというところからきているそうですよ。
それでは昭和歌謡シーンを席巻した名曲の数々をお聴きください。
沢田研二の名曲・人気曲(41〜50)
渚のラブレター沢田研二

1981年にバックバンドEXOTICSを結成し、リリースされた33枚目のシングル。
ロッカバラードの構成となっている楽曲で、ジュリーの甘い声にぴったりです。
「マックスファクター’81」夏のキャンペーン・ソングに起用されました。
沢田研二の名曲・人気曲(51〜60)
魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere沢田研二

シングル8作目。
サビでフランス語を用いる、フランス志向の第1弾ともいえる作品で、当時としては「危険なふたり」「許されない愛」に続くシングル売上枚数を記録しました。
「危険なふたり」以来導入された専属スタイリストによる斬新な衣装が売りのジュリーですが、まだこの曲あたりでは地味な衣装で振付もない歌唱ぶりでした。
Mon amour je viens du bout du monde沢田研二

75年1月にフランスでリリースされた「巴里にひとり」の原曲。
ラジオチャートで4位にまで上昇しレコード20万枚を売り上げ、フランスでの外国人歌唱曲としては異例なほどのヒット曲となりました。
その後ヨーロッパ各国やカナダなどでもリリースされました。
ちなみに沢田研二はフランス語がまったく話せないそうです。
愛の逃亡者沢田研二
1974年にリリースされたシングルで、世界進出を視野にいれ、A面の「愛の逃亡者」も、B面の「アイ・ウォズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」も全編英語で歌っています。
エキゾチックなメロディとスカのリズム、「ウーハッ」という掛け声など、トリッキーな作品に仕上がっています。
巴里にひとり沢田研二
1975年5月にリリースされたソロ13枚目のシングルです。
同年1月に同曲のフランス語バージョンをヨーロッパ8カ国でリリースし世界デビューを飾っています。
フランスではチャート4位を獲得し、20万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
メロウでロマンチックなミディアムバラード。