沢田研二の名曲・人気曲
昭和を代表する男性歌手、沢田研二の楽曲を紹介します。
「勝手にしやがれ」「TOKIO」などリアルタイムで聴いていない方でも1度は耳にしたことがある楽曲が複数ありますよね。
沢田研二が活動を始めたのはグループサウンズ全盛期の1960年代で、グループサウンズの中心的存在のザ・タイガースのボーカルとしてデビューしました。
そんな沢田研二のあだ名といえば「ジュリー」ですが、その由来は沢田研二が女優のジュリー・アンドリュースのファンだというところからきているそうですよ。
それでは昭和歌謡シーンを席巻した名曲の数々をお聴きください。
沢田研二の名曲・人気曲(21〜30)
時の過ぎゆくままに沢田研二

1回目の結婚直後にリリースされたシングル14作目。
自身の主演ドラマ「悪魔のようなあいつ」挿入歌として企画され、その後長くチームを組む阿久・大野とは初の共作となりました。
79万枚を売り上げ自身最大のヒットを記録。
ファンの間で最も人気の高い曲のひとつで、カバーするアーティストも多い曲です。
盟友、岸部修三がレコーディングに参加した最後の作品で、岸部は同ドラマへの出演をきっかけに俳優の道に入りました。
おまえがパラダイス沢田研二

シングル第32作。
作詞に初めて、一連のアイドル歌謡に詞を提供していた三浦徳子が起用されました。
曲調のはガラリとハードロック路線への変貌を見せ、バックバンドと絡み合うパフォーマンスや中低音でシャウトする歌唱は、明らかにひとつのターニングポイントとなるものとなりました。
おまえにチェックイン沢田研二

シングル第36作。
ポリドール・レコード内に新設された「ジュリー・レーベル」からの第1弾。
ジャケットには「SONGS by KENJI SAWADA with EXOTICS」と表記され、バックバンドの存在をより強調する姿勢がうかがえます。
白いインディアンの羽根飾りにインディアン風の顔面ペイントを施して歌いました。
AMAPOLA沢田研二

シングル第43作。
原曲はスタンダードナンバーとして知られ、1984年のアメリカ映画「Once upon A Time in America」の挿入歌に使われたものを国内公開に向けたイメージソングとしてカバーしました。
沢田のA面曲としては初のカバー作品で、資生堂のCMソングとしても歌われました。
それまでのロック志向から180度の転換を図った上に話題性もあったものの、セールスは低調に終わり、結果的にポリドールからの最後のシングルリリースとなりました。
ダーリング沢田研二

シングル第23作。
水兵風の衣装で激しいリズムの歌を熱唱する。
サビにおける畳みかけるようなフレーズの連続は、沢田の楽曲の典型パターンのひとつとなりました。
自身5曲目のオリコン週間チャート1位を記録しました。
恋のバッドチューニング沢田研二

前々作「ロンリー・ウルフ」の失敗から、糸井・加瀬コンビによるいかにもジュリーらしいサイケデリックなハードロック、ポップス路線に軌道修正しての第2弾。
ダミーのスケルトンギターを抱え、サングラスを外すとカラーコンタクトの異様な表情が現れるという演出で驚かせました。
30作目のこの曲で、シングル累計売上が日本歌謡曲史上4組目となる1000万枚突破を達成しました。
コバルトの季節の中で沢田研二

シングル第17作。
自身が作曲を手掛けた最初のシングル曲で、作詞の小谷夏とはドラマのプロデューサー久世光彦の変名。
ドラマと「時の過ぎ行くままに」のヒットの後、2度にわたって起こした暴力事件による謹慎明けにリリースされました。
爽快な中に哀切の漂う曲調やです・ます調の歌詞など、一連のジュリー作品の中では異彩を放っている佳作。