沢田研二の名曲・人気曲
昭和を代表する男性歌手、沢田研二の楽曲を紹介します。
「勝手にしやがれ」「TOKIO」などリアルタイムで聴いていない方でも1度は耳にしたことがある楽曲が複数ありますよね。
沢田研二が活動を始めたのはグループサウンズ全盛期の1960年代で、グループサウンズの中心的存在のザ・タイガースのボーカルとしてデビューしました。
そんな沢田研二のあだ名といえば「ジュリー」ですが、その由来は沢田研二が女優のジュリー・アンドリュースのファンだというところからきているそうですよ。
それでは昭和歌謡シーンを席巻した名曲の数々をお聴きください。
沢田研二の名曲・人気曲(41〜50)
ロンリー・ウルフ沢田研二

シングル第28作。
作詞に「神田川」や一連のキャンディーズ作品で名をはせた喜多條忠、編曲にサディスティックスのベーシストだった後藤次利を迎え、新境地開拓を目指した作品。
パフォーマンスを排除し、重厚な低音をきかせたバラード曲です。
英詞の「MEMORIES」以外では初めてセールス10万枚を割り込む売上となったものの、第10回日本歌謡大賞、放送音楽賞を受賞しました。
あなたへの愛沢田研二
1973年にリリースされたソロ5枚目のギターです。
スライドギターにホーンセクションなどがフィーチャーされた、洋楽的なサウンドの、温かみのあるラブバラードになっています。
ジュリーの少年っぽさの残るボーカルにキュンとなります。
死んでもいい沢田研二
1970年にザ・タイガース解散、1971年に開始した新バンドPYGが空中分解し、ソロ歌手となったジュリーのソロ4枚目のシングルです。
1972年にリリースされました。
情熱的な、泣きメロディーの歌謡ロックバラードです。
白い部屋沢田研二
1975年にリリースされたソロ15枚目のシングルです。
バックバンドは、ケニー・ウッド・オーケストラが担当しています。
トランペットソロのイントロからはじまり、はしばしでフィーチャーされています。
ストリングスなども使用され、ドラマチックに仕上がっています。
あなただけでいい沢田研二
1972年にリリースされたソロ3枚目のシングルで、バラを加えたジュリーのアップが印象的なジャケットです。
演奏は、井上堯之バンドとケニー・ウッド・オーケストラ。
トランペットがフィーチャーされたサウンドで、クラシカルな仕上がりです。
きめてやる今夜沢田研二
1983年にシングルリリースされたナンバーで、ジュリー自身が作詞を担当しています。
明るくバブリーなシンセサイザーがフィーチャーされた、テクノなロックサウンドが80年代初頭の日本の浮かれ具合を象徴しています。
許されない愛沢田研二
ソロ転向後のシングル第2弾。
路線をややGS調に戻した感があり、エネルギッシュな歌唱法で強い印象を与えました。
オリコン週間ベスト10入り、第14回日本レコード大賞、NHK紅白歌合戦への初出場などの結果につなげる記念すべき1枚です。
当時としては珍しいロンドン・スタジオでの収録で、「音にこだわる歌謡曲歌手」となりました。