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アイドルの曲名と歌詞から時代を読み解く

アイドルの曲名と歌詞から時代を読み解く
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若い頃、楽曲そのものではなく、楽曲の題名に「おおっ」と思うことがありました。

もちろん今でも多々あります。

中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」を初めて耳にした時、「なんじゃそりゃ」と思ったし、B’zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」を見た時は「長っ!」と素直に驚きました。

今回は趣向を変え、そんな楽曲の「曲名」を中心に、新旧のビッグアイドルの歌詞を眺めてゆきたく思います。

お手本アイドル:松田聖子

松田聖子は楽曲だけでなく「聖子ちゃんカット」に代表される髪型、時には揶揄(やゆ)として使われた「ぶりっ子」なる流行語、年を取った今でも、スキャンダルな恋愛や離婚を乗り越え「我が道」を突き進む強い女性のひな型として多くの女性をひきつけてやみません。

「彼女自身は嫌いだけど彼女の生き方はうらやましくも思う」といった屈折した共鳴が、アイドルへの憧れを継続させる距離を作り続けています。

1. 色を考える

今もなおアイドル界に君臨する、そんな松田聖子のベスト30の楽曲を集めて分析らしい目で眺めてみました(レコチョクのランキング利用、8月中旬時順位)。

特に目立ったのは「色+名詞」、または「名詞+色」の曲名が多い事です。

控えめに言えばおとなし目の曲名が多いです。

昭和後期という昇り調子ながらも安定した時代、芸能界でさえも奇抜な発想を狙ったものは少なかったのでしょうか、はたまた度を過ぎた狙いは自然と淘汰(とうた)されていったのでしょうか。

ランキングに入っていない楽曲にもたくさんの「色+名詞」曲名がありました。

楽曲同様「松田聖子コード」がそこにあるかのようです。

作詞家の好みが強く影響された曲名、歌詞ですが、

が強く感じられます。

アイドルとして王道的な曲名をチョイスし続けられたのも、何よりも圧倒的な彼女の人気のおかげだったと思います。

結果的に広く浅くを意識した易しい言葉選びが、良い方向に転がったことになるのでしょう。

これらの色についての曲名の名付け方を今の時代に応用するなら

となるでしょうか。

色は一番身近な形容詞としてアイドル、アイドルでないを問わずたくさんの曲名に使われてきました。

たくさんの色に関するアイデアは底を尽きることはないでしょう。

2. 時代を創る

https://www.youtube.com/watch?v=YBGFPurkVXQ

そんな中で、楽曲「ピンクのモーツァルト」は意味ありげな、なさげなネーミングです。

「ピンクのモーツァルト」はリリース当時でも結構話題になったと記憶しています。

SNSなどもほぼなかった時代にざわざわと話題になったのですから、その衝撃は今の時代の尺度では到底計れるものではないのでしょう。

作詞家の松本隆さんの書き物の中で

於) 某打ち合わせ若松さん :「ピンクっぽいのがいい」細野さん : 「モーツァルトっぽいのがいい」松本さん : 「じゃ『ピンクのモーツァルト』でいいんじゃない?」という感じで、その場の思い付きで決めた。

を目にしたことがあります。

この楽曲、ただ単純に考えるとピンク色のモーツァルトなので、ピンク色に塗られたモーツァルトが登場する?

だけであるかのようです。

歌詞を少し見てみましょう。

「ピンクのモーツァルト ねえもうじきね ビッグ・ウェーヴが砕けたら はなやかな九月」「ピンクのモーツァルト ねえ感じてる?

高まる胸のモデラート」

字面を素直に受け止めると、爽やかな夏の恋をピンクのモーツァルトの言葉に託した、一種の隠喩みたいなものとなります。

ピンクの文字を使っていても、そこにドロドロとした大人の恋のもつれを思うことはありません。

現代のピンク色はアイドルやカワイイの象徴として使われることが多いでしょうか。

ピンク映画やピンクポルノといった言葉がやや死語となりつつある今、ピンクは健康的なかわいさをまとった色と変化しています。

しかしながら、松田聖子の時代のピンクはまだまだ「大人のいかがわしさ」に代表されるピンクも多かったように記憶しています。

その様な時代にアイドルの曲名にピンクの言葉を使う英断、トップアイドルが今の時代よりももっともっと新しい流行や価値観の一端を創り出していた時代でもあったのでしょう。

3. 共感を得て育つ楽曲

名詞の足し算で成り立つ曲名を見てみましょう。

ときめいた名詞をつなげるだけの簡単な曲名ですが、時代背景足し引きしても、やはりどこか活字力の高い緻密なセンスを感じます。

ただそれは決して難しいモノではなく、一般の人が聞いても耳に心地よい響きなり、印象なりを作る爽やかな単語の組み合わせです。

与題もない細部もない活字だけででき上がっています。

時代の色合いやアイドルという形式に対する駆け引き、その全てを松田聖子というアイドルが難なくこなしていったのかと思うと、やはり彼女の存在は単なるアイドルとしてだけでは片付けられないのだなと思うのです。