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【ホームラン級】野球に関する雑学&豆知識まとめ

プロ野球、メジャーリーグ、WBCなど日本では野球の話題がつきませんよね!

毎年どの球団が日本一に輝くのか、ホームラン王は誰か、ミラクルなプレイをするのはどの選手か、気になって仕方がないという野球ファンの方は多いことでしょう。

今回この記事では、野球のことをもっと好きになれる雑学、豆知識を紹介していきます!

野球の歴史や、野球を見ている中で何気なく目にしているものの不思議など、さまざまな観点から雑学、豆知識を集めてみました。

あまり野球を知らないという方も「へーそうなんだ!」と楽しめるので、ぜひチェックしてみてくださいね!

【ホームラン級】野球に関する雑学&豆知識まとめ(21〜30)

中日ドラゴンズの由来は1947年にオーナーを務めていた人物が辰年だったから

中日ドラゴンズの由来は1947年にオーナーを務めていた人物が辰年だったから

日本のプロ野球には12球団ありますが、各チームとも球団名には由来があるそうです。

中日ドラゴンズは、愛知県を拠点にしているチームですが、チーム名のドラゴンは意外なところからきています。

当時のオーナーである杉山虎之助さんが辰年だったため、中日ドラゴンズとなったそうです。

愛知県にある名古屋城のシャチホコが由来かと思ってしまいそうですが、違うよう……。

杉山虎之助さんの名前から、タイガースにもしたかったそうです。

ですが、現在の阪神タイガースにあたる、大阪タイガースがあったので断念した、というエピソードもあります。

野球の審判は「レフェリー」ではなく「アンパイヤ」

野球の審判は「レフェリー」ではなく「アンパイヤ」

日本語ではどのようなスポーツの審判でも審判と呼びますが、英語ではレフェリーとアンパイアがあります。

レフェリーはレスリングなどでよく知られていますが、他にバスケットボール、サッカー、ラグビーなど。

こちらは試合進行に責任を持ち、選手の動きに合わせて移動しながら行う審判です。

アンパイヤはテニス、卓球、バレーボールなどで、決まった位置に立ち判定を下します。

アメリカンフットボールのように、どちらもいる場合もあります。

野球の場合はアンパイヤと呼ばれる審判がいます。

野球は明治時代にアメリカから日本に伝わった

野球は明治時代にアメリカから日本に伝わった

プロ野球や学校の部活動、草野球など、日本ではさまざまな形で野球を楽しんでいますよね。

幅広い年代に愛されている野球ですが、日本にはいつ伝わってきたかご存じでしょうか。

明治4年に現在の東京大学である、開成高校のアメリカ人教師の指導により始まったとされています。

当時はベースボールと呼ばれており、ベースボールはその後日本に広まっていきます。

ベースボールの普及活動をしていた方によると、とても楽しいスポーツで盛んにおこなわれていたそうです。

高校野球では昔敗者復活があった

高校野球では昔敗者復活があった

高校球児が熱い戦いを繰り広げる高校野球。

甲子園でおこなわれる試合のテレビ中継を楽しみにしている、という方も多いのではないでしょうか。

負けたら敗退となるので、毎年多くのドラマも生まれていますよね。

ですが、かつては敗者復活戦もあったそうですよ。

敗者復活戦は、大正4年の第二回大会から翌年大正5年の第三回大会までおこなわれていました。

二つの大会だけの実施ですが、それにも理由があります。

第三回の大会で一度敗北した愛知の学校が、敗者復活戦で勝ち残り、なんと優勝しました。

しかし「敗北した学校が優勝するのはおかしい」とクレームが入り、敗者復活戦の制度は翌年から廃止となってしまったそうです。

こうして、敗者復活戦を実施したのは二つの大会だけとなりました。

ジェット風船を最初に飛ばしたのは広島東洋カープのファン

ジェット風船を最初に飛ばしたのは広島東洋カープのファン

ジェット風船による応援は見た目も音も楽しく野球観戦の見どころの一つでもありますが、これはいつ始まったのでしょうか。

1978年の甲子園球場での阪神広島戦の時、広島ファンがとばしたのが始まりといわれています。

それを見ていた阪神ファンが広めたというのが真相のようです。

このジェット風船ですが、いくつかの球場では場内の状況により禁止になっているところもあります。

またコロナ禍では感染防止の観点から禁止となっていました。

春の選抜にアフリカゾウが応援に来たことがある

春の選抜にアフリカゾウが応援に来たことがある

昭和26年、第23回選抜高校野球大会で準優勝した兵庫県立鳴尾高校。

ここの応援団が阪神パークに頼み込み、象を甲子園球場に連れ込んだそうです。

阪神パーク側も宣伝になると考えたのかもしれませんが、それが認められるって本当に古き良き昭和の時代という感じがしますね。

しかも応援団長が象にのってあらわれたそうです。

当時の応援団長がご健在なら話をうかがいたいくらいです。

選手たちもそれを見てパワーがわいたのではないでしょうか。

昔は21点先取したら試合終了だった

昔は21点先取したら試合終了だった

現在では9回裏の時点で得点が高いほうが勝ちとなる野球ですが、野球が始まったころは21点先に取ったら終了というものでした。

21点をとるのが難しい場合もあり、試合は1日で終わらないこともあったようです。

観客も、試合をする方も大変ですよね。

これにクレームを言い出したのは親睦会の料理を作る料理人だったそうです。

急に終わったり、いつまでも終わらなかった理だと料理を作るのも大変ですよね。

そのおかげで回数を決めて終わるスタイルに落ち着いたんだとか。

ビールかけは1959年に南海ホークスが日本一になったときに始まった

ビールかけは1959年に南海ホークスが日本一になったときに始まった

スポーツのイベントにおいて、優勝祝賀会でされるビールかけ。

このシーンを見ると優勝したんだ、という気持ちが強まるファンの方も多いのではないでしょうか。

ところで、このビールかけはいつから始まったか知っていますか。

最初にビールかけをしたのはハワイ出身の日系二世、カールトン半田さんでした。

1959年のことです。

彼はアメリカで優勝の際シャンパンをかけあう習慣があったことを知っていて、ビールをかわりにかけたそうです。

優勝の喜びを悪ふざけで分かち合うのも悪くないですよね。

『六甲おろし』の正式なタイトルは『阪神タイガースの歌』

『六甲おろし』の正式なタイトルは『阪神タイガースの歌』

阪神タイガースの応援歌『六甲おろし』の、正式タイトルは『阪神タイガースの歌』です。

阪神タイガースファンだけにとどまらず、この歌をご存じの方は多いのではないでしょうか。

どうしてもみんな『六甲おろし』と言うので、それがタイトルだと思ってしまいますよね。

現在のタイトル『阪神タイガースの歌』は、大阪タイガースから球団名が阪神タイガースに変わったことで変更になったそうです。

作曲を手がけたのは、当時たくさんの名曲を生み出した古関裕而さん。

日本コロムビアでおこなわれた、古関裕而さんの手がけた曲の人気投票では上位に『阪神タイガースの歌』がランクインしています。

歴史ある名曲ですが、現在でも多くの人に愛され親しまれていることがうかがえますね。

野球の監督は選手兼監督の選手がいたからユニフォームを着ている

野球の監督は選手兼監督の選手がいたからユニフォームを着ている

他のスポーツでは監督はスーツやジャージなどを着ているのをよく目にしますが、野球の場合監督も選手と同じユニフォームを着ています。

それについて不思議だと思ったことはありませんか。

本当のところ、野球の監督はユニフォームを着なければならないという規定はないそうです。

ユニフォームを着る習慣ができたのは、監督兼選手が昔は多かったからと言われています。

また、ユニフォームを着ていれば監督がフィールドに入れるので、選手や審判に接触できるという利点もあります。

おわりに

野球に関する雑学&豆知識を紹介しましたが、いかがでしたか?

今活躍している選手や球団に関しては詳しいいけど、歴史に関する雑学や豆知識に関しては初耳だったという方もいたのではないでしょうか。

野球好き同士の会話のネタにも使ってみてくださいね!