【高齢者向け】冬の俳句。有名な俳人が詠む美しい名作をご紹介
俳句には、冬の季節ならではの味わい深さがありますよね。
寒月や初時雨、雪のふわりとした様子など、情景を豊かに詠み込んだ名句の数々。
特に高齢者の方にとって、懐かしい風景や思い出が詰まった俳句との出会いは、心を温かく潤してくれるものです。
今回は、松尾芭蕉や与謝蕪村など、日本を代表する俳人たちが詠んだ冬の俳句をご紹介します。
目を閉じれば、情景が浮かぶような美しい句を厳選しました。
面白い表現や言い回しにも注目しながら、ゆったりとした気持ちで俳句の世界に浸ってみませんか?
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【高齢者向け】冬の俳句。有名な俳人が詠む美しい名作をご紹介(61〜70)
草の戸に 賀状ちらほら 目出度さよ高浜虚子
高齢者の方の中には年賀状を書いたり、いただくことがある方もいらっしゃることでしょう。
最近は、年賀状は少なくなったとはいえ、自宅に届いていると嬉しいものですよね。
年賀状が届いて嬉しいと思う気持ちはいつの時代も変わらないのかもしれません。
俳句からも、めでたい気持ちと嬉しい気持ちが伝わってきますね。
また、高齢者の方と、年賀状を一緒に作成するのもオススメですよ。
慌ただしい年末年始ですが、楽しいこともたくさんあります。
高齢者の方と、充実した時間を過ごしてくださいね。
通りをる 電車不思議や 酉の市久米正雄
11月のにぎやかな街の風景を眺めながら久米正雄が詠んだ俳句です。
「通りをる電車」とは、街中を忙しなく行き交う電車のこと。
その動きや音に、作者はどこか不思議な感覚を覚えています。
「酉の市」は、11月に開かれる商売繁盛の市で、露店や人々の活気が街を彩ります。
久米正雄は、電車の近代的な速さと、酉の市の昔ながらのにぎわいとを対比しながら、日常の中の非日常や、季節の移ろいを感じたのでしょう。
11月の街角で、懐かしさと新しさが入り混じる景色をやさしく味わえますね。
ポインセチア どの窓からも 港の灯古賀まり子
12月の街や港の静かな情景を思い描きながら古賀まり子が詠んだ俳句です。
「ポインセチア」は冬の訪れを感じさせる赤い花で、街の窓辺に彩りを添えています。
「どの窓からも」とあるように、家々や店先から見える港のあかりとともに、街全体がやわらかな光に包まれている様子が浮かびますよね。
古賀まり子は、冬の寒さの中でも、温かい光や花の色にほっとする気持ちや、人々の暮らしの温もりを感じていたのでしょう。
12月の夜、港の静けさと街のあたたかさを優しく味わえる、穏やかで心温まる一句です。
草山の 重なり合へる 小春哉夏目漱石
晩秋から初冬にかけての穏やかな「小春日和」を詠んだ俳句です。
「草山」は草におおわれたやわらかな山々を指していて、その山々が幾重にも重なって見える様子を「重なり合へる」と表していますよ。
晩秋の澄んだ空気の中、陽の光に包まれて、遠くの山が優しく重なり合う光景が目に浮かぶようですね。
「小春哉」という季語が、その穏やかであたたかい日差しを感じさせ、冬を前にした心の安らぎを伝えています。
寒さが深まる前の、ほっとするような季節の恵みを静かに味わってくださいね。
あたたかき 今年の冬よ 冬至梅富安風生
「冬至梅」は梅の中でも最も早く花を咲かせる品種で、冬至のころに咲き始める花です。
このことから、冬至梅は12月の季語のひとつとして知られています。
12月はまだまだ冬本番で寒い日が続く季節ですが、この年は暖かかったのでしょう。
例年よりも暖かい冬に冬至梅の花が咲いている様子を表現しています。
俳句の世界では梅は春の訪れを告げる季語として使われることから、富安風生の春を待ち望んでいる気持ちが表現されていますね。
初霧や 茎の歯ぎれも 去年まで小林一茶
小林一茶が晩秋から初冬にかけての静かな朝を詠んだ作品です。
「初霧」とは、冬の初めに立ちこめるやわらかな霧のこと。
野や畑を包む白い霧の中で、一茶は枯れかけた草の茎を見つめています。
「茎の歯ぎれ」とは、草をかんだときのしゃりっとした感触のこと。
それも「去年まで」と言うことで、今年はもう枯れてしまい、あのみずみずしさがないことを惜しんでいます。
一茶の心には、過ぎ去った季節への名残りや、年を重ねることへのしみじみとした思いがあったのでしょう。
11月の静かな朝に、霧の向こうに過ぎし日々を思い出させるような、やさしくも切ない一句です。
母親を 霜よけにして 寝た子かな小林一茶
寒さの増す晩秋から初冬にかけての、あたたかな親子の情景を詠んだ句。
「霜よけ」とは、冷たい霜や寒気から守ること。
母親のぬくもりを「霜よけ」にたとえ、子供がその胸にすやすやと眠る様子をやさしく描いていますよ。
外は霜が降りるほど寒いのに、母と子のまわりだけは穏やかであたたかい空気に包まれている情景ですね。
自然の厳しさの中にも、人のぬくもりや愛情の深さが感じられる一句です。
寒さが増す11月に読むと、心がほっと温まるようなやさしさが広がりますよね。
冬の蝶 日溜まり一つ 増やしけり小笠原和男
寒い季節の中で、日だまりに集まる冬の蝶の姿を優しく見つめて小笠原和男が詠んだ俳句です。
「冬の蝶」とは、寒さの中でも日差しに集まる蝶のことで、命のたくましさや自然の小さな生き物の存在を感じさせてくれますよね。
「日溜まり一つ増やしけり」とあるように、日差しの温かい場所に蝶がひとつ、またひとつと集まってくる様子をやさしく描いています。
小笠原は、冬の冷たさの中でも、命や光の温もりに心を寄せる思いを込めたのでしょう。
12月の穏やかな日差しの中で、自然の小さな喜びを感じられます。
スケートの 紐結ぶ間も はやりつつ山口誓子
山口誓子が晩秋から初冬の寒さの中で、冬の楽しみを待つワクワクした気持ちを詠んだ俳句です。
「スケートの紐結ぶ間」とは、スケート靴の紐を結んで準備するひとときのこと。
まだ滑り出す前の短い時間ですが、その間にも心がうきうきと高まっていく様子が感じられます。
「はやりつつ」とは、期待や興奮がじっとしていられないほどに早くなっていることを表しています。
誓子は、冬の季節の到来とともに、子供や自分の胸に広がる楽しみや喜びを、自然で素直に描きました。
12月の寒い日でも、体を動かす楽しみや季節の嬉しさを感じられますよね。
海に出て 木枯らし帰る ところなし山口誓子
この句は明治時代の俳人、山口誓子が詠んだ句です。
木枯らしとは秋から冬にかけて吹く強く乾いた風のことで、天気予報などで耳にしたことがある人が多いかもしれませんね。
木枯らしは一度海に出ていくと、行き場をなくして再び陸に帰ってくることはない、という意味です。
当時50歳くらいだった山口誓子は疎開のため、伊勢湾の近くに住んでいました。
のちに木枯らしを「特攻隊にたとえて」詠んだ句だと名言しています。
木枯らしも特攻隊も、出ていったきり帰ってはこないという嘆きも含んで詠まれた句です。
【高齢者向け】冬の俳句。有名な俳人が詠む美しい名作をご紹介(71〜80)
柚子風呂に 浸す五体の 蝶番川崎展宏
12月の冬至の頃、温かい家庭の風景をユーモアを交えて川崎展宏が詠んだ俳句です。
「柚子風呂」とは、冬至の日に柚子を浮かべて入るお風呂のことで、体を温め、無病息災を願う日本の伝統です。
「五体の蝶番」とは、体の関節を蝶番にたとえ、自分の体を丁寧に温める様子を面白く表現しています。
川崎は、冬の寒さの中でも、家庭の温もりや日常の小さな楽しみを大切に感じていたのでしょう。
12月の寒い日に、柚子の香りと温かさで体も心もほっとする、ユーモアとやさしさが伝わる一句ですね。
初時雨 人なつかしく 待ちにけり星野立子
星野立子は明治期の俳人で、高浜虚子の次女として生まれました。
「初時雨 人なつかしく 待ちにけり」、ここでの季語は「初時雨」。
秋から冬にかけて降るにわか雨のことです。
そんな雨の降る少し肌寒い天候のなか、人恋しく愛しい人が来るのを待っている姿を詠んだ句です。
どのくらいの時間を待っているのでしょうか。
現代のように簡単に連絡がとれなかった時代に、ただひたすら愛しい人が来るのを待つ、そんな切なくも儚げな様子が読み取れますね。
木がらしの 吹き行くうしろ 姿かな服部嵐雪
服部嵐雪は江戸時代の俳人で、松尾芭蕉の高弟として俳諧を学んだ人物とされています。
そしてこの「木がらしの 吹き行くうしろ 姿かな」は師匠である松尾芭蕉が旅立つ際に、服部嵐雪が詠んだ一句です。
ただ単に木枯らしに吹かれているというものではなく、その旅立ちの前途を祝福し、送別の気持ちを込めて詠まれました。
「木枯らし」とは木の葉を吹き散らすほど強く吹く、冷たい風のこと。
「吹き行く」という表現から、旅立つ松尾芭蕉の後ろ姿に力強さを感じられます。
小春日や 石を噛み居る 赤蜻蛉村上鬼城
冬が始まる前の穏やかな「小春日和」を詠んだ句です。
「小春日」とは、冬の初めに見られる春のようにあたたかな日差しのこと。
「石を噛み居る赤蜻蛉」とは、ひだまりの中で赤とんぼが石にとまり、まるで石を口にしているかのようにじっとしている様子を表していますよ。
寒さの中でも、ほんのひとときのぬくもりを楽しむ赤とんぼの姿に、自然のいのちのたくましさと静けさが感じられます。
11月のやわらかな日差しを受けながら、季節の移ろいと小さな命のぬくもりを味わうことができる、あたたかな一句ですね。
初雪や かけかかりたる 橋の上松尾芭蕉
松尾芭蕉が詠んだ、冬のはじめの静かな情景を描いた俳句です。
「初雪」はその年に初めて降る雪。
まだ地面を白く覆うほどではなく、そっと空から舞い降りてきたばかりの雪です。
「かけかかりたる橋の上」とは、ちょうど橋を渡りかけたところ。
旅の途中に初雪に出会った芭蕉は、橋の上でふと足を止め、冬の訪れをしみじみと感じたのでしょう。
寒さの中にある静けさ、そして季節のうつろいを受け入れる心の落ち着きを感じます。
11月の初雪にふさわしい、旅人の感慨と自然の美しさがやさしく重なった一句ですね。
蛤の いける甲斐あれ としの暮松尾芭蕉
松尾芭蕉が晩秋から初冬、年の暮れの情景をしみじみと詠んだ俳句です。
「蛤のいける甲斐あれ」とは、蛤の味わいや価値をしっかり感じ、手間をかけて楽しむことの喜びを表していますよ。
年の暮れに、食卓に蛤を添えることは、季節の移ろいを感じ、日々の暮らしを豊かにするささやかな楽しみですね。
芭蕉は、この句を通して、年の終わりに自然の恵みを味わう喜びや、日常の小さな幸せに目を向ける心を表しています。
冬の気配を感じながら、年の暮れを静かに迎える気持ちが伝わってきますよね。
行きあたる 谷のとまりや 散る紅葉森川許六
秋の終わりの静かな山の情景を詠んでいます。
「行きあたる」とは、道の先が尽きて谷にぶつかること。
山道を進んでいくと、やがて深い谷にたどり着き、そこで道が終わります。
その谷あいの静かな場所に、はらはらと紅葉が散っている様子が「谷のとまりや散る紅葉」という言葉で表されていますよ。
紅葉が舞い落ちる音まで聞こえるような静けさの中に、秋が終わり冬が近づく気配が感じられますね。
旅の終わりや一年のしめくくりを思わせるような、しみじみとした味わいのある11月の一句です。
木枯や ひろ野を走る 雪のかげ森鴎外
冬の訪れを告げる冷たい北風の季節を詠んだ句です。
「ひろ野」は広々とした野原を意味していて、そこを吹き抜ける木枯らしの勢いが感じられますね。
「雪のかげ」とは、空をかすめるように舞う雪の姿のこと。
まだ積もるほどではなく、ちらちらと舞う雪が風に乗って走るように見える光景が目に浮かぶようです。
冷たさの中にも、自然の動きや冬の美しさを感じさせるこちらの一句。
晩秋から初冬へと移りゆく11月、季節の変わり目の寒さと静けさを、しみじみと味わえますよ。
八人の 子供むつまし クリスマス正岡子規
12月のクリスマスのにぎやかさと家庭の温かさを感じながら正岡子規が詠んだ一句です。
「八人の子供むつまし」とは、多くの子供たちが楽しそうに仲良くしている様子を表しています。
「むつまし」とは、和やかで仲の良い様子を意味していて、子供たちの無邪気さや笑顔から家族の幸せが伝わってきます。
「クリスマス」という季節の言葉が、冬の寒さの中でも温かい家庭の雰囲気を際立たせています。
子規は、子供たちのはしゃぐ様子や和やかな時間を、素直に愛おしく見つめる心を込めたのでしょう。
12月の家庭で、笑顔と優しさが満ちる情景を感じられます。
十二月 上野の北は 静かなり正岡子規
12月といえば師走、一年の最後の月です。
そんな師走は文字通り、どこか慌ただしさを感じますね。
正岡子規も同じで、師走の慌ただしさを感じながら詠んだ句が「十二月 上野の北は 静かなり」でした。
正岡子規は当時、上野の北にある根岸に住んでおり、上野の賑やかな喧騒とは対照的な自分の環境の静けさを表現しています。
病床についていたため上野の喧騒には加われず、病気を静かに受け入れながらも、一抹の寂しさを感じていたのでしょう。



