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福島の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ

東北地方はもともと民謡の多い地域です。

古くからその土地に根付いた祭りの歌などがあります。

現地の人からすれば誰でも知っているような曲も多いですが、今回はもっと民謡の良さを知ってもらうために曲を集めました。

若い人などは今は馴染みがないかもしれませんので興味を持ってもらえるとうれしいです!

福島の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(11〜20)

原釜大漁祝い唄小山みつな

「原釜大漁祝唄」 福島県民謡 cover 清紅
原釜大漁祝い唄小山みつな

江戸時代より北湊または原釜港と称され、藩祖米、塩の積出港として交易が盛んに行われ、昭和に入ってからは漁港としても修繕工事が行われ、それに伴い工業団地ができ、相馬の発展となった港です。

相馬は寒流の親潮と暖流の黒潮が季節によって交互し、魚の宝庫といわれた地域です。

詩の中には鰹や鯖や鯛などが出てきており、大漁だった時の景気のよい唄となっています。

汽車小林一男

JR東日本の常磐線広野駅にはこの曲の歌碑が設置されています。

震災で大きな被害を受けた福島県双葉郡広野町をさすといわれ「広野原」の歌詞がこの歌には出てきます。

大和田建樹氏が常磐線開通の際に現在の久の浜駅~広野駅までの景観を詞にしたと町のホームページにはかかれているのですが、その一方でこれは俗説であり、作詞家は不詳といわれてもいます。

そんな事はともかく、炭坑の町であったいわき市でSLが走っていた事は不思議ではなく、汽車などめったに乗る事もない時代は、色々な景色を楽しんで歌っています。

福島音頭小梅、筑波一郎

1954年に古関裕而氏と野村俊夫氏が故郷の福島の為に作った盆踊り曲ですが、今や海の向こうでのハワイ島でマウイ太鼓が流行し、この「福島音頭」が唄われ、踊られています。

日本ではあまり馴染みの薄い盆唄がやはり日系の方が故郷を思い、歌い継がれているのだと思います。

会津大津絵山村豊子

大津絵は江戸時代後期に護符として書かれた図柄を10種に絞られた物で、健康を願う絵柄やお金持ちになれるようにとの絵がある一種のお守りでした。

この絵柄を題材にしてできたのが、大津絵節となっています。

名の通り大津が発祥でその後は京都、大阪、東京へと全国に広まっていきましたが、地方によってはアレンジが違った節になっています。

今でも「京都大津絵節」や「会津大津絵節」は歌い継がれています。

相馬二編返し山田徳子

江戸時代に東北地方は冷害に見舞われ、相馬市も例外ではなく何年もの凶作が続き、大飢餓となり飢え死にする悲しい歴史があり、人口が三分の一にまで減ってしまった時に、相馬藩は相馬復興の考え、他藩からの移民を集う為に、浄土真宗の僧侶に依頼して、相馬の良さを宣伝、加賀・能登・越中方面から人々を集める為に唄われた民謡です。

常磐炭坑節芸の虫保存会

今では「スパリゾートハワイアンズ」と呼ばれている大型レジャー施設も昔は「常磐ハワイアンセンター」の名称で親しまれていました。

高度成長期時代は日本の資源の大事な一つは石炭でした。

「常磐炭坑節」はいわき市浜通りにある常磐住田で働く坑員が歌われたものが、お座敷唄となり酒席でも歌われるようになりました。

いわき市の財源だった炭坑が閉鎖された後に、ハワイアンズが誕生したのです。

今は炭鉱地であった場所は「いわき市石炭・化石館」と称した博物館になり、民謡も歌い継がれています。

福島の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(21〜30)

相馬土搗唄(そうまどつきうた)金山武

この民謡には三つの意味が込められています。

一つは地盤を固めるという家を建てる時には必要な現実的な意味合いと、土の中へ強い霊力を封じ込めるという信仰的な意味合いと、家を建てた主人を大黒柱としお祝いの意味が込められています。

あの有名な「花笠音頭」や「花笠踊り」は相馬土搗唄から生まれました。