【1970年代】黎明期を駆け抜けた日本のロックの名曲&ヒット曲
日本のロック・ミュージックの礎を築いた時代といえば、やはり1970年代ではないでしょうか?
この時代に出てきたミュージシャンやバンドは、後の邦楽ロックに多大な影響をもたらしました。
今回はそんな1970年代を彩った、至高の名曲を紹介しています。
誰もが知っている有名なバンドから、知る人ぞ知るミュージシャンまで、幅広くピックアップしているので、ぜひご自身に合った楽曲を見つけてみてください。
それではごゆっくりとお楽しみくださいませ!
【1970年代】黎明期を駆け抜けた日本のロックの名曲&ヒット曲(21〜30)
あるとき金子マリ & バックスバニー

金子マリはCharや難波弘之とバンドを結成した経歴もあり、下北のジャニスという異名を持っていた女性です。
あるときは1976年に発売されたシングル曲です。
ハスキーっぽさを匂わせながらも伸びやかな歌声と、テンポが良いリズムがうまく絡み合って、迫力のあるサウンドを聴かせてくれます。
あの娘の窓灯りSENTIMENTAL CITY ROMANCE

当時フォークが主流だった時代に、ウエスト・コーストサウンドを演奏するバンドとして、音楽業界では注目されていました。
とくに細野晴臣がアドバイザーとなってファーストアルムバムが制作された逸話もあります。
あの娘の窓灯りは、1975年に発売されたファーストアルバム「センチメンタル・シティ・ロマンス」の3曲目に収録されています。
哀しげでありながら、湿っぽくないロック・バラードが西海岸の夜の風を感じさせてくれます。
【1970年代】黎明期を駆け抜けた日本のロックの名曲&ヒット曲(31〜40)
美術館で会った人だろP-MODEL

独創的なプログレッシブ・サウンドで現在でも多くのマニアから愛されているバンド、P-MODEL。
このバンドは現代のプログレッシブの王様である、平沢進さんが所属していたバンドです。
活躍していたのは1980年代から2000年代ですが、実は彼らのデビューは1970年代なんですよね。
こちらの『美術館で会った人だろ』はそんなP-MODELが世間で認知されるようになったキッカケの楽曲です。
当時の邦楽ロックにはなかった独創的なサウンドは、スタイルが多様化した現在でも圧倒的な存在感を放っています。
ランブリン・ライダーめんたんぴん

日本のグレイトフルデッドと呼ばれたバンドです。
当時では珍しいツインドラム、ツインリードギターにボーカル、ベースというメンバー構成でした。
ランブリン・ライダーはめんたんぴんの初期のシングルです、疾走感あふれる演奏が今も色あせず、実に爽快な気分を味あわせてくれます。
2,014年に再発売されたアルバム「MENTANPIN SECOND+1」のボーナストラックとして収録されています。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカDOWN TOWN BOOGIE WOOGIE BAND

後に作曲家として大成した宇崎竜童が在籍していたバンドです。
バンド名はサディスティック・ミカ・バンドに対抗して長いバンド名をつけようと宇崎竜童が考えたバンド名だそうです。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカは1975年に発売された4枚目のシングルで、ミリオンセラーに達し、同年の紅白歌合戦に初出場したきっかけとなった程の有名曲です。
実は最初はB面曲でした。
タイム・トラベル原田真二

どちらかと言うとポップ色の強いイメージですが、彼も当時、ツイスト、Charと並ぶ「ロック御三家」と呼ばれていました。
佐野元春がブレイク前に、感性が原田真二にそっくりと評されていた話もあります。
そういう意味では、彼も後の日本のロック界に多大な影響を与えたと言っていいと思います。
タイム・トラベルは人気絶頂時の1978年に発売された4枚目のシングルです。
日本の泥臭さを全く感じさせないポップなメロディーラインと軽快なリズムが絶妙に日本語に絡みあった名曲です。
白いボールのファンタジートランザム

チト河内、後藤次利が在籍したバンドです。
100曲以上CMソングを唄っているなど、どちらかと言うと余り表には出ないが、必ず当時皆、覚えている曲を作っていたバンドと言えるでしょう。
白いボールのファンタジーは少しだけだけ変わりダネの曲です。
プロ野球パシフィック・リーグの連盟公認テーマソングとして、1978年に非売品シングルとして制作された曲です。
それが2004年にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄場フォローズが合併した事から、パシフィック・リーグ消滅の話が上がり、プロ野球を1リーグ化する案が出ました。
その時2リーグ存続の気運を高めるために、当時の球団の主要選手がカバーしてCDを配布したという事で、野球ファンや一般の人達の目に留まった曲と言えるでしょう。