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【鹿児島民謡の世界】郷土の心を歌い継ぐ伝統の調べ

鹿児島の大地に根付いた民謡やわらべうたには、郷土の心と暮らしが色濃く映し出されています。

埋め立て工事の労苦、島の人々の祈りと喜び、若者たちの純真な恋心……さまざまな心情を切り取った名曲たちは、世代をこえて受け継がれ、現在も地元の人々や故郷を離れて暮らす人々から愛されています。

本記事では、そんな鹿児島愛にあふれた民謡、童謡、わらべうたを集めました。

心に染み入る鹿児島の民謡の世界を、お楽しみください。

【鹿児島民謡の世界】郷土の心を歌い継ぐ伝統の調べ(31〜40)

草切り節日高孝子

種子島民謡「草切節」・歌笹川スエ、笹川満夫親子・歌詞テロップ、解説付
草切り節日高孝子

民謡によくある畑での仕事唄や労働唄かと思ったのですが、何やら男女が楽しそうに畑仕事している雰囲気がありますね。

昔は好き合っても家柄などの身分の違いで簡単には結婚どころか付き合うこともままならない時代に、こうして畑仕事としてデートを楽しんでいたそうです。

大隅籾摺り歌民謡北辰会

籾摺り唄は全国各地でさまざまな詞となって唄われている民謡です。

今では単純作業は全て機械が仕事をしてくれますが、農村各地で仕事唄として受つがれたのは、やはりつらい仕事でもあり、時間が長く感じられることから、唄を唄いながら気をまぎらわしていた労働の唄です。

鉄砲伝来数え唄原田直之

鉄砲伝来数え唄・歌詞テロップ付・笹川満夫・種子島こりーな
鉄砲伝来数え唄原田直之

現在では、ロケットうちげの地として有名ですが、一昔前は、やはりポルトガルからの鉄砲伝来です。

唄はとくに民謡は地域のでき事や様子を唄にしているので、勉強にもなります。

ただ、10番の詞は若狭という女性は鉄砲の作り方を条件に異人と結婚しました。

彼女が幸せだったのか不幸だったのかはわかりません。

鹿児島三下がり新橋喜代三

鹿児島三下り(新橋 喜代三)80rpm
鹿児島三下がり新橋喜代三

民謡の中でもかなり色っぽい唄ですね。

三さがりとは三味線調弦法(ちょうげんほう)の一つで、三味線のチューニングですね。

この場合は本調子の第3弦を1全音(長2度)下げたもので、色っぽさやイキな雰囲気が出るとされているので、正に「鹿児島三下り」は、そのものです。

汐替節松山勝司

大隅の民謡師範・松山勝司さんの唄[汐替節]
汐替節松山勝司

鹿児島県枕崎市は昔から漁業がさかんな町で、町の中心にある枕崎港にはさまざまな魚が水あげされますが、何と言ってもカツオの町として有名な地域です。

唄に出てくるざことはカツオのエサとなる”きびなご”で、新鮮なエサをはこぶには昼夜水を入れかえるために、漁師が眠気を払うためにうたわれたとされています。

加世田馬方節鹿児島の唄をうたう会

明治5年に明治天皇が初めての行幸の地となったのは鹿児島県でした。

当時の薩摩藩の最高権力者島津久光は、明治維新の立役者ながら自分の考えとは違う改革に否定しており、天皇の行幸は久光をなだめるという理由の一つだったらしいです。

そんな中での久光公への三太郎坂や白銀坂などけわしい中の対応に、謝罪として作られた唄とされています。

ワイド節坪山豊

ちょっと聴いてみると、沖縄民謡にも感じるのですが、ワイド節は鹿児島県徳之島の闘牛を唄った唄です。

ワイドはかけ声なんですが、唄自体はもちろん、詞を見ても何を意味しているか方言なのでさっぱりわかりません。

一説にはワイドという牛がいて強くなるようにと、徳島県出身の男の子への成長を重ねた願いの唄だとされています。

徳之島節徳原大和

徳之島節~二上がり節~花徳の枕節 森田美咲・葉月姉妹 徳之島シマ唄 奄美民謡 amami
徳之島節徳原大和

奄美に伝わる島唄の一つで、徳之島全土で唄われています。

奄美大島では徳之島節の他に犬田布節、伊良部諸島では犬田布嶺節と呼ばれ、犬田布(インタブ)は地名で、発端は農民が黒糖の横流しの罪に問われ、拷問を受けたこととされ、薩摩時代に受けた島民の恨みうたとされている。

鹿児島浜節松山勝志

南大隅町の民謡名人・松山勝志さんによる『鹿児島浜節』
鹿児島浜節松山勝志

鹿児島県の吹上浜の景色がうたわれた民謡で、鹿児島民謡の代表の一つでもあります。

うたいだしの♪かご~し~ま~は、三味線の音もないので、かなりむずかしいはじまり方で、民謡コンクールなどにも人気の曲です。

曲は大正時代あたりにできたとされていますが、おざしきうたと親しまれてきたのですが、現在は民謡を聴かせる曲のイメージになっていますね。

新地節ten ten

ten ten: SHINCHI BUSHI 新地節
新地節ten ten

鹿児島民謡の「新地節」は別名「出水新地節」とも言われます。

出水市の荒崎海岸を埋め立て時の完成祝いに唄われたとされています。

ちょっと聴くとお座敷の小唄風に感じますが、何とも言えない当時の苦労が唄われた労働唄です。