【琉球音楽】琉球の民謡・古典音楽
琉球の民謡といえば、やはり三線のシンプルな伴奏に、太鼓のリズム、そして琉球民謡ならではの歌い回しが印象的ですよね!
少し聴けば沖縄の伝統的な音楽だとわかる存在感は、独自に発展してきた文化と深い関わりがあります。
そんな沖縄のルーツが詰まっているとも言える琉球民謡を紹介していきますね!
オキナワンポップスとも言われる、古くから伝わる民謡の要素を取り入れた楽曲から、琉球古典音楽と呼ばれる琉球王朝で演奏されていた伝統的な曲まで、幅広く紹介していきますね!
何百年も伝わる琉球の心を歌う名曲たちです。
【琉球音楽】琉球の民謡・古典音楽(1〜20)
娘ジントーヨー我如古より子

我如古より子は10歳のころよりステージに立ち、1977年にデビュー。
1978年にリリースしたこちらの曲が大ヒットを記録しました。
この曲は沖縄弁の歌詞が少なく、わかりやすい方だといわれていますが、それでもわかりにくいですよね。
ちなみにジントヨーは本当だ、とかそうだね、本当だねという意味のかけ声だそうです。
散山節

琉球古典音楽の楽曲の1つで、最も悲哀の曲想を持ちます。
歌詞の内容は、「本当の事なのかわが心はぼう然となって、まるで夢を見て驚いて目覚めたような心持である」という意味になっています。
干瀬節、子持節、仲風節、述懐節とともに二揚独唱曲の代表曲です。
組踊でも、母子の別れという悲しい場面や絶望の極みに至った人間の心を表現する場面に多く使われています。
赤田風節

その昔、ある夫婦がおり、妻は仕事を見つけましたが、未婚の女性に限るという条件があったため、自分は未婚であるとうそをついて仕事を受けました。
その先で妻は国王の目に止まり御側女の一人となりました。
夫はそのことを知り、今さら既婚だったことを言い出せず、赤田門から内原へ忍び込み内緒で会っていたそうです。
ですが、じきにそうして会うこともできなくなり、夫が妻への思いを歌ったというのがこの歌だそうです。
やるせない愛が歌われた古代のラブソングといえるでしょう。
赤田首里殿内

この曲は、沖縄県那覇市首里赤田町において、琉球王朝時代から石川家を中心に行われてきた祭礼「弥勒御迎(みるくうんけー)」で唄われていた童歌だそうで、昭和初期に途絶えていましたが、1994年にまた歌われるようになりました。
NHK教育テレビでも全国に伝わる童歌の一つとして放送されたので、聴いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ハイサイおじさん喜納昌吉 & チャンプルーズ

沖縄を代表するアーティストの一人、喜納昌吉のデビュー曲であり、喜納が中学生の時につくられたそうです。
この曲に出てくるおじさんは、戦争での悲しい体験からこんな人になってしまったとのことで、明るい曲の裏に平和への思いが込められています。
志村けんがコントの中で歌った「変なおじさん」は、この曲の替え歌としてとても有名ですね。