【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲
音楽史に変化をもたらし、後のミュージシャンにも多大な影響を与えた80年代。
シンディ・ローパー、カルチャー・クラブ、マドンナ、アース・ウィンド&ファイアー……。
当時を知らない人でも、どこかで感じたことがあるようなノスタルジーな感覚に浸ることができます。
80年代の名曲は現代の曲よりも、純粋な曲のクオリティや、音楽的構成力の高さ、見方を変えれば、市場が大きかった分予算も多く、贅沢なサウンドを楽しむこともできますよ?
好みの1曲を見つけて聴き込んでみてくださいね!
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【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲(31〜40)
We Built This CityStarship

1985年全米1位。
サンフランシスコを象徴する名門バンド、ジェファーソン・エアプレインが度重なるメンバーチェンジなどの難局を乗り越え、バンド名もシンプルに「スターシップ」としてリスタートをすることになり、その最初のシングルとして採用された曲です。
そして長いバンドの歴史の中で初めてとなる1位を獲得します。
曲を作ったのはハートの「ジーズ・ドリームス」でも知られるマーティン・ペイジとバーニー・トーキン。
バーニーはエルトンジョンとの仕事で有名です。
Hard to Say I’m SorryCHICAGO

1982年に発売されたアメリカのロックバンド、Chicagoの代表曲のひとつです。
これまでのソフトロックスタイルから、音楽の方向性をシンセサイザーとエレキギターを中心におき、スタイルを大きく変化させた曲でもあります。
AfricaTOTO

77年結成、80年代に大ブレイクした商業的ロックの代表バンド。
メンバー全員がスタジオミュージシャンでもあり、技術的にも高い演奏力を持っており、AORと言われるさまざまなジャンルを取り入れた曲でブレイクしました。
Burn Rubber On MeGap Band

ファンクやR&Bから現代のヒップホップにまで影響を与えるサウンドを確立したアメリカのザ・ギャップ・バンド。
80年代のディスコシーンを賑わせた彼らの代表作は、恋人に裏切られた男性の哀しみをアップテンポなファンクで表現した傑作です。
アルバム『The Gap Band III』に収録された本作は、チャーリー・ウィルソンさんのミニモーグ・シンセサイザーによるベースラインが生み出す絶妙なグルーヴが印象的。
1980年に全米R&Bチャート1位を獲得し、バンドに初のプラチナディスクをもたらしました。
レースゲーム『DiRT 3』のサウンドトラックにも採用されるなど、ダンスフロアはもちろん、クルージングやパーティーシーンでも活躍する一曲です。
Do They Know It’s ChristmasBand Aid

イギリスとアイルランドのスターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクト。
このプロジェクトに触発される形で、アメリカでもUSAフォーアメリカやライブエイドなどが結成、開催され大チャリティーブームの引き金となりました。
【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲(41〜50)
Sweet Dreams (Are Made of This)Eurythmics

1983年にヒットした「Sweet Dreams」。
独特なイントロと間奏は耳に残り、一度聴くと頭から離れない一曲です。
クールなエレクトリックポップのサウンドは人気を集め全米でも第1位を獲得。
中世的で美しいな女性ボーカルが人気を集めたひとつです。
Never Gonna Give You UpRick Astley

イギリスの歌手Rick Astleyのデビュー曲として、1987年にリリースされた楽曲です。
彼はソウルフルな歌声で人気を博し、80年代を代表するポップスターとなりました。
なおこの曲のMVはあらためて見ると時代を感じさせますが、2000年代に海外のネット掲示板でだましリンクのリンク先に多用され、結果的に楽曲のリバイバルヒットにつながりました。