いつも自分を奮い立たせてくれる、座右の銘にしたい言葉
座右の銘とは、自分を戒める言葉として身近に記したり心に刻むものですよね。
昔はことわざ、慣用句、四字熟語などから選ぶことが多かったと言われていますが、近年では偉人などの名言を座右の銘にしている方も多いようです。
大切なのはその方にとって人生の指針となり、それを支えにできるかどうかですよね。
そこで今回は、座右の銘にしたい言葉をリストアップしてみました。
偉人、経営者、スポーツ選手など、幅広く集めましたので、ぜひチェックしてみてくださいね!
いつも自分を奮い立たせてくれる、座右の銘にしたい言葉(1〜10)
走った距離は、裏切らない野口みずき

アテネ五輪女子マラソンで金メダル獲得したアスリート、野口みずきさんの現役時代のモットーです。
国際マラソン大会での優勝や当時の日本記録更新など輝かしい実績を持つ野口さんですが、その裏ではケガに苦しめられた経験も。
しかし、何があっても折れずに努力を続けた、その姿勢が言葉に表れています。
これは単にマラソンの練習のみを指しているわけではなく、努力を続けたことによって育まれた人との信頼関係もふくまれているとのこと。
あなたも振り返れば、これまで支えてくれてた人の顔が見えてくるのではないでしょうか。
あらゆる事象は心の反映である稲盛和夫

京セラやKDDIの創業者として知られる実業家の稲盛和夫さんは、哲学的な経営手法で多くの成功を収めました。
人生で経験するすべてのできごとが心のあり方に深く関係していることを示しています。
ポジティブな心が良い結果を生み、逆にネガティブな心が悪い影響を及ぼすと考えました。
個人の努力や行動だけでなく、感情が人生や仕事に与える影響を深く理解させてくれます。
自分の気持ちを整えることで、未来をより良いものに変えていけるというメッセージが込められた名言です。
自分で自分をあきらめなければ、人生に「負け」はない。NEW!斎藤茂太

随筆家や講演家としても活動し、モタさんの愛称で呼ばれた精神科医、斎藤茂太氏。
「自分で自分をあきらめなければ、人生に「負け」はない」という名言からは、全ては自分の心次第という真理を学べるのではないでしょうか。
人生の節目で直面する勝敗に一喜一憂するのではなく、最後まで諦めないことこそ本当の勝利であると説いているメッセージです。
挫折しそうな時、心が折れそうな時に思い出してほしい、もう一度立ち上がる勇気をくれる名言です。
いつも自分を奮い立たせてくれる、座右の銘にしたい言葉(11〜20)
義を見てせざるは勇無きなり孔子

中国の春秋時代の思想家であり哲学者でもある孔子。
彼によってまとめられた名言集ともいえる論語は、一部でも読んだことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんな彼のこちらの名言は人として正しい行動が何かを理解していながら実行しないのは、勇気がないからだということを表しています。
恥ずかしさや忙しさ、損得勘定などからついわかっていてもできないことを少しずつ勇気をもって実行に移していくと、いい意味で違った自分になっていけそうですよね。
小を積んで大を為す二宮尊徳

昔はいろいろな学校に像があった二宮尊徳。
彼の名言は本当にその通りだと思わせます。
彼は貧しかった少年時代から少しずつコツコツと仕事をしていき、それをもとに大きな仕事を成し遂げていきました。
その経験をもとにした彼の格言は頭で考えたのではない真実の言葉だといえるでしょう。
また、突然大きなことが達成できるのではなく、日々の積み重ねも大切だということにもつながっていく言葉ではないでしょうか。
大きな目標を立てるにはまず日常でできるような小さな目標から始めてみませんか。
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べマハトマ・ガンディー

非暴力、不服従により民衆を独立に導いたマハトマ・ガンジーさんの言葉がこちらです。
この言葉のように、毎日を悔いのないように過ごし、いつまでも学ぶ姿勢をわすれないことはとても大切なことですよね。
大人になるとつい毎日をだらだらと過ごしたり、学ぶことを忘れてしまいがちですが、その心に喝を入れてくれるような名言です。
ガンジーさんは自分や身内にもとてもきびしかったそうです。
時々息抜きをしながらも自分を律していきたいですよね。
必要なことはただ一つ、できると信じることだ。アンソニー・ロビンズ

名言を集めた著書などでも知られているアメリカの作家、アンソニー・ロビンズさん。
彼の著書は書店などでも目にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
できると信じることで、困難に打ち勝つ力がうまれますし、また、自分を信じるということの大切さもこの名言は教えてくれるのではないでしょうか。
自分を信じることが自分にとても良い影響を与えるはずですし、自分を自分が信じなくて誰が信じるのだろう、とも思えます。