【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!
「あれってなんだっけ……」「見た目は思い出せるんだけど名前が思い出せない……」なんてこと日常でよくありますよね。
これはきっと年齢関係なく経験することだと思います。
この記事では、高齢者の方向けの思い出しクイズをご紹介します!
昭和の歌謡曲や観光地、お菓子の名前など知ってるのに出てこない!というもやもやクイズになるかもしれません。
デイサービスなどの介護施設のレクリエーションにも活用してみてくださいね。
「ああー!そうだった」と思い出したときのスッキリ感はたまりませんよね!
みなさんで楽しく考えて脳トレしてみてくださいね。
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【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!(51〜60)
戦後「三種の神器」と呼ばれた日本人が憧れた家電製品があります。「テレビ」「冷蔵庫」ともう一つは何でしょうか?

戦後の復興を経て日本は経済的に豊かになっていきました。
その豊かさの象徴として憧れの意味を込めて「三種の神器」と呼ばれた家電製品がありました。
「テレビ」と「冷蔵庫」にならぶもうひとつの家電製品は何かを考えてみましょう。
代表的な家事をサポートする家電、白物家電として現在でも重要視されているものと考えればわかりやすいかと思います。
答えは「洗濯機」、今では当たり前の家電が憧れの象徴とされていたことから歴史が読み取れますね。
「三種の神器」の語源や1960年代の「新三種の神器」について調べてみるのも、理解がより深まるのでオススメですよ。
戦後の昭和24年から46年にかけて、日本では1ドルいくらだったでしょうか?

戦後の昭和24年から46年にかけて、日本では1ドルいくらだったかご存じですか?
正解は1ドル360円!
これは、戦後の日本の安定と自立を目標に、アメリカのGHQが設定した価格です。
その後、1973年2月から変動相場制に移行し、令和5年には1ドル145円……。
高齢者の方のなかには、経済の話に詳しい方もいらっしゃるはず。
クイズを通して日本の変化を実感することが、精通していた分野について思い出すきっかけになるかもしれませんね。
新盆のときの提灯は何色でしょうか?

新盆は故人が亡くなってから初めて迎えるお盆のこと。
詳しくは四十九日が明けた後、初めてのお盆のことで、地域によっても「しんぼん、あらぼん」など呼び方が異なるそうです。
また、新盆の時だけは「白紋天」と呼ばれる白いちょうちんを飾るのだそう。
その理由は初めて帰ってくる故人の霊が迷わないようにするための目印にするため。
高齢者の方の中には、この理由を知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、とても勉強になるのでクイズで出題して季節を感じてみてはいかがでしょうか。
旧暦では10月は「神無月」と呼ばれていました。日本中の神様がある場所に集まることが由来だそうです。その場所はどこでしょうか?

旧暦では10月を神無月と呼びますよね。
これは、日本中の神様がある場所に集まり、全国各地から神様がいなくなってしまうことが由来なんです。
そこで出題するのが「その場所はどこでしょうか」という問題です。
正解は「出雲大社」です。
そのため出雲大社がある島根県では10月を「神有月」と呼ぶんですよ。
ちなみに神様が集まる理由は諸説あり、縁結びとも葬儀ともいわれています。
その他にも「神無月」に関する伝承はたくさんあるので、調べてみるのも楽しいでしょう。
【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!(61〜70)
昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。
販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。
当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「たばこ」10本だったんです!
お酒ならまだしも、賞品や景品にたばこがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。
おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。
昭和24年から昭和46年まで1ドルは日本円でいくらだったでしょうか?

昭和24年から昭和46年までは1ドルが日本円でいくらなのかが固定されていました。
ではその価値はいくらだったでしょうか。
ヒントは日本が戦後にどのように動いてきたかで、輸出で復興していったことを考えると、大まかな金額がわかってくるのではないでしょうか。
答えは「360円」、そこから相場がどのように変わったかを知れば、日本の成長が知れるのでオススメですよ。
難しい話題ではありますが、ドルの金額でどのような現象が起こるのかもあわせて知っていきたいですね。
昭和30年頃に日本の都市部で流行した、みんなで合唱する喫茶店を何喫茶と呼んだのでしょうか?

いつの時代も人々の心に寄りそってきた歌は、その時によってさまざまな形で愛されています。
カラオケボックスが出現する以前に流行していた、昭和30年頃に日本の都市部を中心に広まったみんなで合唱する喫茶店は何と呼ばれていたでしょうか。
さまざまな楽器に合わせて、そこにいる人々が歌声を重ねる光景が伝わりやすい名前ですよ。
答えは「歌声喫茶」、人々が歌声を重ねることで連帯感が高まり、学生運動や労働運動にも大きな影響を与えたといわれています。