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【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!

「あれってなんだっけ……」「見た目は思い出せるんだけど名前が思い出せない……」なんてこと日常でよくありますよね。

これはきっと年齢関係なく経験することだと思います。

この記事では、高齢者の方向けの思い出しクイズをご紹介します!

昭和の歌謡曲や観光地、お菓子の名前など知ってるのに出てこない!というもやもやクイズになるかもしれません。

デイサービスなどの介護施設のレクリエーションにも活用してみてくださいね。

「ああー!そうだった」と思い出したときのスッキリ感はたまりませんよね!

みなさんで楽しく考えて脳トレしてみてくださいね。

【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!(51〜60)

昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。

販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。

当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「たばこ」10本だったんです!

お酒ならまだしも、賞品や景品にたばこがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。

おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。

昭和24年から昭和46年まで1ドルは日本円でいくらだったでしょうか?

昭和24年から昭和46年まで1ドルは日本円でいくらだったでしょうか?

昭和24年から昭和46年までは1ドルが日本円でいくらなのかが固定されていました。

ではその価値はいくらだったでしょうか。

ヒントは日本が戦後にどのように動いてきたかで、輸出で復興していったことを考えると、大まかな金額がわかってくるのではないでしょうか。

答えは「360円」、そこから相場がどのように変わったかを知れば、日本の成長が知れるのでオススメですよ。

難しい話題ではありますが、ドルの金額でどのような現象が起こるのかもあわせて知っていきたいですね。

昭和30年頃に日本の都市部で流行した、みんなで合唱する喫茶店を何喫茶と呼んだのでしょうか?

昭和30年頃に日本の都市部で流行した、みんなで合唱する喫茶店を何喫茶と呼んだのでしょうか?

いつの時代も人々の心に寄りそってきた歌は、その時によってさまざまな形で愛されています。

カラオケボックスが出現する以前に流行していた、昭和30年頃に日本の都市部を中心に広まったみんなで合唱する喫茶店は何と呼ばれていたでしょうか。

さまざまな楽器に合わせて、そこにいる人々が歌声を重ねる光景が伝わりやすい名前ですよ。

答えは「歌声喫茶」、人々が歌声を重ねることで連帯感が高まり、学生運動や労働運動にも大きな影響を与えたといわれています。

昭和33年TVドラマからヒーロー〇〇仮面が登場しました。当時子供に人気があったこのヒーローは、何仮面でしょうか?

昭和33年TVドラマからヒーロー〇〇仮面が登場しました。当時子供に人気があったこのヒーローは、何仮面でしょうか?

昭和33年にテレビドラマから誕生したヒーローといえば、当時子供たちから絶大な人気をほこっていた「月光仮面」!

日本のヒーロー番組の元祖として知られ、時代劇と探偵要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に大きな影響を与えたといわれています。

月光仮面は、白バイに乗ってさっそうと現れ、警察とともに悪の組織と戦う正義の味方。

そんな月光仮面の様子から、のちに警察の白バイ隊を月光仮面と呼ぶようになったのだそうです。

【高齢者向け】脳トレ!思い出しクイズ集!(61〜70)

昭和33年頃に当時の子供たちの間で流行したヒーローといえば、何仮面でしょうか?

昭和33年頃に当時の子供たちの間で流行したヒーローといえば、何仮面でしょうか?

昭和33年ごろにヒットし、当時の子供に流行したヒーローといえば誰でしょうか。

日本のヒーロー番組の元祖であり、その後のヒーロー番組に大きな影響を与えた作品なのでヒーローの記憶をたどれば思いつく人もいるかもしれませんね。

ヒントは仮面のヒーロー、誰かは知らないが誰もが知っているヒーローという点でしょうか。

答えは「月光仮面」、白いターバンと覆面に黒いサングラスをかけた独特のビジュアル、オートバイにのって人々を救う姿が印象的ですね。

悪者であっても過剰に傷つけない、強い信念を持ったヒーローですね。

昭和35年家庭用のTVに革命が起きました。テレビの画面はどうなったのでしょうか?

昭和35年家庭用のTVに革命が起きました。テレビの画面はどうなったのでしょうか?

昭和35年に家庭用テレビに起こった革命的な出来事、それは、カラー放送のスタート!

昭和28年2月1日にNHKの放送が始まり、同年8月28日に民放局の放送が開始されました。

その後、リモコン式テレビの販売開始やブラウン管の小型化を経て、昭和35年にようやくカラーでの放送が始まったのです。

当時のカラーテレビの価格は、大卒初任給の数十倍。

庶民にはなかなか手の届かない代物でしたが、技術の進歩とともに手に入りやすい価格へと変化していきました。

昔のテレビの写真や当時の番組の映像を見れば、若かりし頃の思い出がよみがえってくるかもしれませんね。

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。その落語家は誰でしょうか?

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。その落語家は誰でしょうか?

オリンピックの聖火ランナーはスポーツ選手や著名人など、さまざまな人が走るところも注目のポイントですよね。

昭和39年に開催された東京オリンピックでは、ある落語家の方が聖火ランナーとして走りました。

その落語家は誰でしょうか。

ヒントはテレビで目にする機会も多い長く愛される落語家、国の代表という厳格なイメージはない人かもしれませんね。

答えは「三遊亭小遊三さん」、当時は落語家として走っていたわけではなく、高校生の卓球選手としての聖火ランナーへの抜てきだったそうです。