昭和〜平成の古い曲。世代を越えて愛される往年の名曲まとめ
最近ではSpotifyやApple Musicが普及したことで年代を問わずにいろいろな曲が手軽に聴けるようになりました。
また、TikTokなどのSNSがキッカケとなって、若者の間で古い曲がリバイバルヒットすることも増えましたよね。
そこでこの記事では、昭和から平成の時代にヒットした楽曲を一挙に紹介していきますね!
今も色あせない不朽の名作がたくさんありますので、ぜひこの機会にあらためて聴いてみてください。
- カラオケで歌いやすい昭和の名曲
- 昭和の恋愛ソング。時代を超えて愛されるラブソングまとめ
- TikTokでバズった昭和ソング・リバイバルヒットソング
- 【昭和歌謡の名曲】若い世代にも支持される魅力的な昭和歌謡
- どんな世代でもテンションが上がる!いま聴きたい平成レトロの名曲
- 人気の昭和ポップス。色褪せないヒット曲
- SNSを中心にリバイバルヒット!Z世代に人気の昭和の名曲たち
- 【懐メロ】昭和・平成生まれに刺さる懐かしアニソンまとめ
- 古き良き時代を感じさせる。現代でも愛されている昭和の感動ソング
- 幅広い世代に刺さる!TikTokで人気の1990年代ヒットソング
- 【昭和】演歌のヒット曲まとめ。時代を越えて愛される名曲集
- 【昭和のかっこいい曲に痺れる!】女性歌手・アーティストによる昭和の名曲
- 夏に聴きたい!懐メロ曲特集(昭和&平成)
昭和〜平成の古い曲。世代を越えて愛される往年の名曲まとめ(21〜30)
神田川南こうせつ & かぐや姫

昭和48年発売。
4畳半ソングとして一世を風靡したといっても過言ではないフォークソングの代表曲です。
この時代は同棲という言葉をはやりだし、貧しいけれど2人で過ごした時間は何よりも代えがたい宝物という一つひとつの生活を描写した詞です。
ただあまりにもヒットしすぎたために南こうせつさんはこの歌がすべてと思われるのが嫌になり再び悟って歌い始めるのには時間がかかったそうです。
神田川かぐや姫

リアルタイムで知らなくても、1973年頃ってこういう時代だったのかと想像させてくれるかぐや姫のミリオンセラー曲です。
東京都中野区内の公園に歌詞碑が建てられるほど当時の若者をあらわしていた曲なのでしょう。
明るい曲ではなく、とくに演奏や歌唱が響くわけでもないですが、不思議と心に沁みる曲です。
東京の花売り娘岡晴夫

青い柳の芽吹く東京の辻に咲く、一輪の希望を描いた昭和21年の名曲。
岡晴夫さんの温かみのある歌声で紡がれるメロディは、戦後の混乱期にあった人々の心を優しく包み込みました。
柔らかな物腰で花を売る少女の姿を通じて、焦土から立ち上がろうとする東京の姿が浮かび上がります。
佐々詩生さんの詞と上原げんとさんの曲が見事に調和し、寂しさの中にも確かな希望が感じられる珠玉の一曲となっています。
本作は春の訪れとともに新たな一歩を踏み出そうとする人々の心情を、優美に描き出した珠玉の一曲です。
春の陽気とともに心温まるひとときを過ごしたい方にオススメしたい、心に染み入る名曲です。
上を向いて歩こう坂本九

坂本九さんの代表曲として知られる本作。
軽やかなリズムに乗せて歌われる歌詞は、涙をこらえながらも前を向いて歩もうとする強い意志が込められています。
1961年に発表されると、瞬く間に日本中に広まり、海外でも大きな話題を呼びました。
ビルボードのチャートでトップを獲得するなど、日本の楽曲として初めて世界的な成功を収めたことでも知られています。
その魅力は今なお色あせることなく、幅広い世代に愛され続けています。
悲しみを抱えながらも未来への希望を失わない、そんな前向きな気持ちを思い出したい時にオススメの1曲です。
春なのに柏原芳恵

当時アイドルとして絶好調だった柏原芳恵の1983年のヒット曲です。
作詞作曲は中島みゆき。
卒業を歌う、切ない乙女心を描いた、彼女ならではのメロディの美しさに魅力を感じます。
自身も1989年にリリースしたアルバム「回帰熱」のなかでセルフカバーしています。
春の哀歌荘司史郎

昭和初期の空気を今に伝える、荘司史郎さんが心を込めて歌った名曲です。
1934年、時代の波に身を任せながらも、失われた愛と春のはかなさを象徴する花に託して訴えかけるこの楽曲は、その後の音楽シーンを彩る礎となりました。
別れの痛み描き出した歌詞に、荘司史郎さんの声が寄り添い、心に染みる歌唱に仕上がっています。
コロムビアレコードからリリースされたこの楽曲は、作詞島田磬也、作曲古関裕而、編曲仁木也喜雄という豪華な布陣で制作されました。
どなたにとってもどこか懐かしく、胸に迫る思いを感じ取れるはずです。
春夏秋冬泉谷しげる

変わっていくものと変わらないもののふとした感慨を、日本の四季の変化にかけて淡々とつづったこの歌は、夢や希望なんて安い言葉を並べたって救われはしないとわかりきっている生活者だからこそ、幸なる祈りを捧げているかのように思えます。