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60代におすすめの応援ソング。邦楽の名曲、人気曲

60代におすすめしたい邦楽の応援ソングを集めました。

ちょっと疲れた時、元気がほしい時、あとひと踏ん張りの時に、ぜひこの曲を聴いてください。

懐かしい名曲たちが、元気を与えてくれることまちがいなしです!

きっと背中を押してくれます。

60代におすすめの応援ソング。邦楽の名曲、人気曲(61〜70)

WON’T BE LONGバブルガムブラザーズ

バブルガム・ブラザーズ 「WON’T BE LONG」OFFICIAL MUSIC VIDEO
WON'T BE LONGバブルガムブラザーズ

元気いっぱいのノリやすいグルーヴと祭りのような高揚感あふれるリズムが印象的な1曲。

阿波おどりをモチーフに誰かのために全力を尽くす強い思いを込めた前向きなメッセージが心に響きます。

バブルガム・ブラザーズらしい軽快なサウンドと親しみやすい歌詞が魅力です。

1990年8月にリリースされ、当初は大きな反響がなかったものの、1991年3月のテレビ番組での放送をきっかけに人気に火が付き、ミリオンセラーを達成。

2006年にはEXILEと倖田來未さんによるカバーも生まれました。

仕事や毎日の生活でお疲れの方々にこそ聴いていただきたい、元気と勇気をくれる応援ソングです。

仲間とのカラオケで盛り上がるのに最適な1曲としてもおすすめです。

スニーカーぶる~す近藤真彦

青春の季節を駆け抜けた恋人たちの別れを描いた、切なさと力強さが印象的な名曲。

ペアでそろえたスニーカーとともに過ごした楽しい思い出を胸に、若者らしい純粋な感情があふれ出す心揺さぶるメロディと歌声に、多くのリスナーが共感を覚えることでしょう。

近藤真彦さんのデビュー曲として1980年12月にリリースされた本作は、映画『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』の主題歌として起用され、オリコンチャートで初登場1位を獲得。

年を重ねた今だからこそ、懐かしい記憶とともに心に染み入る1曲です。

当時の恋愛模様を思い出しながら、友人たちとカラオケで盛り上がるのにピッタリの楽曲といえます。

宇宙戦艦ヤマトささきいさお

宇宙戦艦ヤマト (1) / ささきいさお + ロイヤル・ナイツ
宇宙戦艦ヤマトささきいさお

宇宙を舞台にした壮大な物語を歌い上げる、ささきいさおさんの代表曲。

1974年10月にシングルとしてリリースされ、同名アニメのオープニングテーマとして使用されました。

力強い歌声と感動的なメロディが、地球を救うために立ち上がった勇敢な戦士たちの決意と希望を鮮やかに描き出しています。

愛と犠牲、勇気と決意という普遍的なテーマが、聴く人の心に強く響くはず。

疲れた時や元気がほしい時に聴けば、きっと背中を押してくれる1曲です。

アニメソング界の大御所として知られるささきいさおさんの魅力が存分に詰まった名曲をぜひ味わってみてください。

太陽がくれた季節青い三角定規

青い三角定規が1972年2月にリリースしたデビュー曲は、80万枚以上の大ヒットを記録し、日本レコード大賞新人賞も受賞しました。

若者の心情や青春の輝きを描いた歌詞は、失ったものへの思いや待ち続ける心情を繊細に表現。

しかし、「君も今日からはぼくらの仲間」という言葉が希望を感じさせます。

ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌としても話題を呼びました。

仲間とともに前を向いて歩み出したい時、この曲を聴けば、きっと背中を押してくれることでしょう。

青春時代の爽やかな記憶がよみがえってくるはずです。

大都会クリスタルキング

夢を追い求める人々の心情を繊細に描いた楽曲です。

1979年11月にリリースされ、翌年2月から3月にかけて連続6週間ヒットチャート首位を独走。

ミリオンセラーを記録しました。

クリスタルキングの再デビュー曲でもあり、九州の男たちの挑戦と奮起の精神から生まれた作品なんです。

故郷を離れ、見知らぬ街で運命と向き合う主人公の姿に、きっと共感できるはず。

ホンダCR-VのCMではゴスペル調にアレンジされた英語版が使用されるなど、時代を超えて愛され続けています。

夢に向かって頑張りたいとき、背中を押してくれる1曲になりますよ。

浪花節だよ人生は木村友衛

当初は1976年に小野由紀子さんがリリースし、以後1981年には木村友衛さん、細川たかしさんの競作、そして多くの歌手がカヴァーしました。

細川たかしさんの曲が一番知名度は高いかもしれませんね。

騙されても、捨てられても人の情で生きてける曲は女性への応援ソングかもしれません。

おやじの海村木賢吉

ヒット曲という物はどこで運命が変わって生まれるか、本当にわかりません。

「おやじの海」は1972年に500枚ほどの自主制作版でした。

当然、全国区で売れる訳もなく本人も存在を忘れていたほどでしたが、1977年から北海道釧路市の有線からじわじわと売れ始め1979年には140万枚も売れる大ヒットとなりました。

素朴な声と果てしなく続く海の大きさと空を父親に例えている曲は、親のありがたさがわかる年代には自分もこうあればという思いがあるのかもしれません。