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60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲

グループサウンズやロックなどが注目されがちな1960年代ですが、当時のチャートの大半を占めていたのは歌謡曲でした。

実際、まだまだ演歌も人気な時代で、当時に子どもとして過ごしていた方でも演歌や歌謡曲のレパートリーはたくさんあると思います。

今回はそんな1960年代の音楽のなかでも、懐かしの歌謡曲をピックアップしました。

1960年代は王道の歌謡曲が最も注目を集めた時代です。

音楽とともに当時の想い出を振り返りたい方は、ぜひ本記事を最後までチェックしてみてください。

60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(61〜70)

新聞少年山田太郎

山田太郎「新聞少年」(オフィシャルオーディオ)
新聞少年山田太郎

1965年発売日本人は「おしん」など貧しくても懸命に生きる姿に共感した時代がありました。

時代はもっと前になりますが、この時代は給食は全ての子どもに栄養が取れるようにと始まったばかりの時代ですので、まだまだ貧しい家庭が多かったのです。

新聞少年は病気の母親の為に朝刊を配り、配り終えると母親の為に朝ご飯まで用意してあげるという親孝行のお手本みたいな子どもです。

こんな子ども欲しいです!

スーダラ節植木等

植木 等「スーダラ節」ANALOG RECORD MUSIC
スーダラ節植木等

1961年発売レコードその物はハナ肇とクレージキャッツなのですが、時代が古いので、植木さん一人の歌唱となっています。

昭和を代表するお父さんの姿をコミカルに歌った曲は当時は勿論、結局今でも、さほどお父さん方の姿は変わっていないのでは?

と思ってしまいます。

詞の中での「わかっちゃいるけどやめられない」は人間の誰でも持っている心理ですね。

東京ドドンパ娘渡辺マリ

1961年発売この曲は井上陽水さんなどもカバーしている曲で軽快なリズムとパンチのある歌声は今も健在でびっくりしました。

あまりにも若いので、今現在はいったいいくつになられたのか調べたところ生年月日を見ると1947年11月となっていたので、現在74歳となりますが、若いです!

残念ながらヒット曲はこれだけなのですが、今も愛されている曲です。

長崎ブルース青江三奈

青江三奈の11枚目のシングルとして1968年に発売されました。

オリコンの2位まで上昇し、累計売上は76.7万枚を記録し、翌1969年の年間売上第10位を獲得しました。

紅白では発売から5年後の1973年末「第24回NHK紅白歌合戦」で歌唱披露された、青江三奈の代表曲の一つです。

天使の誘惑黛ジュン

黛ジュンの4枚目のシングルとして1968年に発売されました。

この曲で「第10回日本レコード大賞」を受賞しており、同年の「第19回NHK紅白歌合戦」では黛ジュンのトレードマークであるミニスカート姿で楽曲が歌唱されました。

今も多くのアーティストによってカバーされている名曲です。

想い出の渚ザ・ワイルドワンズ

1966年発売この歌はのちにザ・ハンダースなどもリリースし、よく物真似などにも歌われているのですが、元はグループサウンスの曲です。

この時代は男性の長髪は非常に世間から非難を浴びておりGS時代の到来の中でさわやかさをキープしており、曲の純粋なフレーズに人気が集まり100万枚以上のレコードの売上がありました。

東京五輪音頭三波春夫

1963年発売1964年開催の東京オリンピックの為に作られた曲で、元は競作で歌われた曲で橋幸夫さんや、三橋美智也さんなど当時の売れっ子歌手がリリースしたのですが、三波春夫さんはこの歌にかける意気込みが凄く、その結果一番レコードが売れました。

というのも三波春夫さん自身も戦争を経験し、シベリアで捕虜になった事もあり日本の復興をぜひ歌いたいと自分の新曲を後回しにしてでも東京五輪音頭を歌い続けた事がミリオンセラーに結びつきました。