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60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲

グループサウンズやロックなどが注目されがちな1960年代ですが、当時のチャートの大半を占めていたのは歌謡曲でした。

実際、まだまだ演歌も人気な時代で、当時に子どもとして過ごしていた方でも演歌や歌謡曲のレパートリーはたくさんあると思います。

今回はそんな1960年代の音楽のなかでも、懐かしの歌謡曲をピックアップしました。

1960年代は王道の歌謡曲が最も注目を集めた時代です。

音楽とともに当時の想い出を振り返りたい方は、ぜひ本記事を最後までチェックしてみてください。

60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(41〜60)

東京五輪音頭三波春夫

1963年発売1964年開催の東京オリンピックの為に作られた曲で、元は競作で歌われた曲で橋幸夫さんや、三橋美智也さんなど当時の売れっ子歌手がリリースしたのですが、三波春夫さんはこの歌にかける意気込みが凄く、その結果一番レコードが売れました。

というのも三波春夫さん自身も戦争を経験し、シベリアで捕虜になった事もあり日本の復興をぜひ歌いたいと自分の新曲を後回しにしてでも東京五輪音頭を歌い続けた事がミリオンセラーに結びつきました。

エメラルドの伝説ザ・テンプターズ

ザ・テンプターズの3枚目のシングルとして1968年に発売されました。

オリコンチャートでは1位を獲得するヒット曲となり、ザ・テンプターズの代表曲の一つとなりました。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツをはじめ、他のアーティストによってカバーされている名曲です。

恋の季節ピンキーとキラーズ

恋の季節(បើបងស្រឡាញ់ខ្ញុំ) – ピンキーとキラーズ(Pinky and Killers) – MV
恋の季節ピンキーとキラーズ

1968年発売当時で270万枚を売り上げた大ヒット曲です。

グループの被っているダービーハットとピンキーのはいているいまでいうとガウチョパンツなのですが、当時は裾の広いパンタロン姿が印象的で、まだ16歳とはいえ、パンチの利いた歌唱力は話題となりました。

歌の途中に入る、パフォーマンスは子どもでも流行りました。

夜明けのコーヒーをモーニングコーヒーとはいわないのが、しゃれた所かもしれません。

スーダラ節植木等

1961年発売レコードその物はハナ肇とクレージキャッツなのですが、時代が古いので、植木さん一人の歌唱となっています。

昭和を代表するお父さんの姿をコミカルに歌った曲は当時は勿論、結局今でも、さほどお父さん方の姿は変わっていないのでは?

と思ってしまいます。

詞の中での「わかっちゃいるけどやめられない」は人間の誰でも持っている心理ですね。

ラストダンスは私に越路吹雪

ラストダンスは私に 越路吹雪 1976
ラストダンスは私に越路吹雪

1961年発売宝塚歌劇団出身の越路吹雪さんは主にシャンソン歌手として活躍されていましたが、この曲の越路さんのパフォーマンスに人気が集まり大ヒットしました。

1959年に作曲家の内藤法美さんと結婚されてお子様はいなかったのですが、越路さんの亡きあとに思い出話をされていたのですが、越路さんは金銭感覚が全くなくブティックなどいくと、1着とか2着でなく、並んであるドレスを全部下さいという方でご主人は自分たちの収入では全部は買えないなどと説明していたとおっしゃってました。

歌一筋だった越路吹雪さんらしいエピソードです。

バラが咲いたマイク真木

マイク真木が1966年に発売したフォークソングで、浜口庫之助が、サン=テグジュペリの童話「星の王子さま」の薔薇をテーマにした一節からモチーフを得て作詞・作曲した曲だと言われています。

この曲のヒットにより眞木は1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、本曲のヒットが契機となって日本の音楽界にフォーク・ソングブームが広がっていくこととなりました。