60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲
グループサウンズやロックなどが注目されがちな1960年代ですが、当時のチャートの大半を占めていたのは歌謡曲でした。
実際、まだまだ演歌も人気な時代で、当時に子どもとして過ごしていた方でも演歌や歌謡曲のレパートリーはたくさんあると思います。
今回はそんな1960年代の音楽のなかでも、懐かしの歌謡曲をピックアップしました。
1960年代は王道の歌謡曲が最も注目を集めた時代です。
音楽とともに当時の想い出を振り返りたい方は、ぜひ本記事を最後までチェックしてみてください。
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60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(51〜60)
ケメ子の歌ザ・ダーツ
甘酸っぱい青春の香りが漂う1968年2月1日発売の作品です。
中学3年生がクラスメイトへの恋心を詩につづったことから生まれた本作は、爽やかなメロディと、化学が得意な少女への切ない恋愛を描いた物語に心が躍ります。
実験室でほほ笑む少女へのピュアな思いを込めた歌詞に、明るくコミカルな曲調が重なり、当時の学生たちの共感を呼びました。
ザ・ダーツの歌唱版はオリコンチャート2位、累計60万枚のヒットを記録。
フジテレビ『お笑いタッグマッチ』やアニメ『ケメコデラックス!』でも使用され、数々のアーティストによってカバーされています。
誰しも経験した初恋の記憶を優しく包み込むような楽曲として、永遠の少年少女の心に寄り添い続けています。
エメラルドの伝説ザ・テンプターズ

ザ・テンプターズの3枚目のシングルとして1968年に発売されました。
オリコンチャートでは1位を獲得するヒット曲となり、ザ・テンプターズの代表曲の一つとなりました。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツをはじめ、他のアーティストによってカバーされている名曲です。
恋の季節ピンキーとキラーズ

1968年発売当時で270万枚を売り上げた大ヒット曲です。
グループの被っているダービーハットとピンキーのはいているいまでいうとガウチョパンツなのですが、当時は裾の広いパンタロン姿が印象的で、まだ16歳とはいえ、パンチの利いた歌唱力は話題となりました。
歌の途中に入る、パフォーマンスは子どもでも流行りました。
夜明けのコーヒーをモーニングコーヒーとはいわないのが、しゃれた所かもしれません。
亜麻色の髪の乙女ヴィレッジ・シンガーズ

輝くような青春の清らかさと甘酸っぱい恋心を優しいメロディに乗せて描いたヴィレッジ・シンガーズの1968年2月の作品です。
穏やかでメロディアスなグループサウンズらしい楽曲展開と、すぎやまこういちさんの洗練された作曲、橋本淳さんの詩情豊かな歌詞が見事に調和しています。
本作は、TBSの朝の番組『ヤング720』のテーマソングとしても起用され、オリコンチャート7位を記録する大ヒットとなりました。
爽やかな春風のような軽やかなサウンドと、切ない恋心を歌い上げる透明感のある歌声は、心が踊るような高揚感を与えてくれます。
春の訪れを感じる季節や、恋に心踊る瞬間に聴きたい一曲です。
ラストダンスは私に越路吹雪

1961年発売宝塚歌劇団出身の越路吹雪さんは主にシャンソン歌手として活躍されていましたが、この曲の越路さんのパフォーマンスに人気が集まり大ヒットしました。
1959年に作曲家の内藤法美さんと結婚されてお子様はいなかったのですが、越路さんの亡きあとに思い出話をされていたのですが、越路さんは金銭感覚が全くなくブティックなどいくと、1着とか2着でなく、並んであるドレスを全部下さいという方でご主人は自分たちの収入では全部は買えないなどと説明していたとおっしゃってました。
歌一筋だった越路吹雪さんらしいエピソードです。
60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(61〜70)
バラが咲いたマイク真木

マイク真木が1966年に発売したフォークソングで、浜口庫之助が、サン=テグジュペリの童話「星の王子さま」の薔薇をテーマにした一節からモチーフを得て作詞・作曲した曲だと言われています。
この曲のヒットにより眞木は1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、本曲のヒットが契機となって日本の音楽界にフォーク・ソングブームが広がっていくこととなりました。
ゆうべの秘密小川知子

小川知子のデビューシングルとして1968年に発売されました。
小川知子の歌手デビュー作でありながらオリコンチャートではいきなりの1位を獲得し、自身最大のヒット曲となり、1968年末の「第19回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たしました。
新聞少年山田太郎

1965年発売日本人は「おしん」など貧しくても懸命に生きる姿に共感した時代がありました。
時代はもっと前になりますが、この時代は給食は全ての子どもに栄養が取れるようにと始まったばかりの時代ですので、まだまだ貧しい家庭が多かったのです。
新聞少年は病気の母親の為に朝刊を配り、配り終えると母親の為に朝ご飯まで用意してあげるという親孝行のお手本みたいな子どもです。
こんな子ども欲しいです!
スーダラ節植木等

1961年発売レコードその物はハナ肇とクレージキャッツなのですが、時代が古いので、植木さん一人の歌唱となっています。
昭和を代表するお父さんの姿をコミカルに歌った曲は当時は勿論、結局今でも、さほどお父さん方の姿は変わっていないのでは?
と思ってしまいます。
詞の中での「わかっちゃいるけどやめられない」は人間の誰でも持っている心理ですね。
東京ドドンパ娘渡辺マリ
1961年発売この曲は井上陽水さんなどもカバーしている曲で軽快なリズムとパンチのある歌声は今も健在でびっくりしました。
あまりにも若いので、今現在はいったいいくつになられたのか調べたところ生年月日を見ると1947年11月となっていたので、現在74歳となりますが、若いです!
残念ながらヒット曲はこれだけなのですが、今も愛されている曲です。
長崎ブルース青江三奈
青江三奈の11枚目のシングルとして1968年に発売されました。
オリコンの2位まで上昇し、累計売上は76.7万枚を記録し、翌1969年の年間売上第10位を獲得しました。
紅白では発売から5年後の1973年末「第24回NHK紅白歌合戦」で歌唱披露された、青江三奈の代表曲の一つです。
天使の誘惑黛ジュン
黛ジュンの4枚目のシングルとして1968年に発売されました。
この曲で「第10回日本レコード大賞」を受賞しており、同年の「第19回NHK紅白歌合戦」では黛ジュンのトレードマークであるミニスカート姿で楽曲が歌唱されました。
今も多くのアーティストによってカバーされている名曲です。
お座敷小唄松尾和子 & 和田弘 & マヒナスターズ

1964年発売この曲の作曲者は不明なのです。
なぜかというと和田弘さんが地方のキャバレーで巡業した時にそこのホステスが口ずさんでいたのを何となくパクって急いで知り合いに電話で呼びよせてちょっと小粋な味を出すようにと松尾和子さんを加えてレコーディングした結果が250万枚を超える売り上げとなりました。
ホステスさんは印税を取り損ねたかも知れません。
想い出の渚ザ・ワイルドワンズ

1966年発売この歌はのちにザ・ハンダースなどもリリースし、よく物真似などにも歌われているのですが、元はグループサウンスの曲です。
この時代は男性の長髪は非常に世間から非難を浴びておりGS時代の到来の中でさわやかさをキープしており、曲の純粋なフレーズに人気が集まり100万枚以上のレコードの売上がありました。
東京五輪音頭三波春夫

1963年発売1964年開催の東京オリンピックの為に作られた曲で、元は競作で歌われた曲で橋幸夫さんや、三橋美智也さんなど当時の売れっ子歌手がリリースしたのですが、三波春夫さんはこの歌にかける意気込みが凄く、その結果一番レコードが売れました。
というのも三波春夫さん自身も戦争を経験し、シベリアで捕虜になった事もあり日本の復興をぜひ歌いたいと自分の新曲を後回しにしてでも東京五輪音頭を歌い続けた事がミリオンセラーに結びつきました。





