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60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲

グループサウンズやロックなどが注目されがちな1960年代ですが、当時のチャートの大半を占めていたのは歌謡曲でした。

実際、まだまだ演歌も人気な時代で、当時に子どもとして過ごしていた方でも演歌や歌謡曲のレパートリーはたくさんあると思います。

今回はそんな1960年代の音楽のなかでも、懐かしの歌謡曲をピックアップしました。

1960年代は王道の歌謡曲が最も注目を集めた時代です。

音楽とともに当時の想い出を振り返りたい方は、ぜひ本記事を最後までチェックしてみてください。

60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(51〜60)

恋の季節ピンキーとキラーズ

恋の季節(បើបងស្រឡាញ់ខ្ញុំ) – ピンキーとキラーズ(Pinky and Killers) – MV
恋の季節ピンキーとキラーズ

1968年発売当時で270万枚を売り上げた大ヒット曲です。

グループの被っているダービーハットとピンキーのはいているいまでいうとガウチョパンツなのですが、当時は裾の広いパンタロン姿が印象的で、まだ16歳とはいえ、パンチの利いた歌唱力は話題となりました。

歌の途中に入る、パフォーマンスは子どもでも流行りました。

夜明けのコーヒーをモーニングコーヒーとはいわないのが、しゃれた所かもしれません。

スーダラ節植木等

1961年発売レコードその物はハナ肇とクレージキャッツなのですが、時代が古いので、植木さん一人の歌唱となっています。

昭和を代表するお父さんの姿をコミカルに歌った曲は当時は勿論、結局今でも、さほどお父さん方の姿は変わっていないのでは?

と思ってしまいます。

詞の中での「わかっちゃいるけどやめられない」は人間の誰でも持っている心理ですね。

さよならはダンスの後に倍賞千恵子

さよならはダンスの後に / サウンド・トラベル2017
さよならはダンスの後に倍賞千恵子

倍賞千恵子が1965年に発売した楽曲で、本曲を題材とする歌謡映画が、1965年1に松竹系で公開されました。

150万枚を超える大ヒットを記録し、作曲者の小川寛興は本曲で第7回日本レコード大賞作曲賞を受賞しました。

1990年には東海テレビ制作昼の帯ドラマ「ラストダンス」の主題歌として使用されました。

エメラルドの伝説ザ・テンプターズ

ザ・テンプターズの3枚目のシングルとして1968年に発売されました。

オリコンチャートでは1位を獲得するヒット曲となり、ザ・テンプターズの代表曲の一つとなりました。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツをはじめ、他のアーティストによってカバーされている名曲です。

60年代懐かしの歌謡曲の名曲・ヒット曲(61〜70)

ラストダンスは私に越路吹雪

ラストダンスは私に 越路吹雪 1976
ラストダンスは私に越路吹雪

1961年発売宝塚歌劇団出身の越路吹雪さんは主にシャンソン歌手として活躍されていましたが、この曲の越路さんのパフォーマンスに人気が集まり大ヒットしました。

1959年に作曲家の内藤法美さんと結婚されてお子様はいなかったのですが、越路さんの亡きあとに思い出話をされていたのですが、越路さんは金銭感覚が全くなくブティックなどいくと、1着とか2着でなく、並んであるドレスを全部下さいという方でご主人は自分たちの収入では全部は買えないなどと説明していたとおっしゃってました。

歌一筋だった越路吹雪さんらしいエピソードです。

バラが咲いたマイク真木

マイク真木が1966年に発売したフォークソングで、浜口庫之助が、サン=テグジュペリの童話「星の王子さま」の薔薇をテーマにした一節からモチーフを得て作詞・作曲した曲だと言われています。

この曲のヒットにより眞木は1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、本曲のヒットが契機となって日本の音楽界にフォーク・ソングブームが広がっていくこととなりました。

ゆうべの秘密小川知子

小川知子 「ゆうべの秘密」 1968
ゆうべの秘密小川知子

小川知子のデビューシングルとして1968年に発売されました。

小川知子の歌手デビュー作でありながらオリコンチャートではいきなりの1位を獲得し、自身最大のヒット曲となり、1968年末の「第19回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たしました。