80年代の歌謡曲の名曲・ヒット曲
80年代、ヒット曲がいっぱいありますよね。
そんな80年代を代表する歌謡曲の中から特にオススメの名曲・ヒット曲をご紹介します。
当時、青春時代を過ごした方にも、そうでない方にも聴いてもらいたい、日本の音楽史を塗り替えたいつまでも色あせることのない伝説のプレイリストです。
バンド、シンガーソングライターからアイドルまで幅広くご紹介しています。
この年代の縛りでカラオケ大会を開催しても盛り上がりそうですよね!
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80年代の歌謡曲の名曲・ヒット曲(61〜80)
もしもピアノが弾けたなら西田敏行

1981年発表のシングルで、自身が主演のドラマ『池中玄太80キロII』の挿入歌に起用されました。
もともとはシングルのB面でしたが反響が大きく、A面とB面を差し替えて発表し直した、というエピソードがあります。
ピアノの美しい旋律をバックに不器用な生き方の男を優しく歌い上げています。
セーラー服を脱がさないでおニャン子クラブ

おニャン子クラブのデビュー曲として1985年に発売されました。
作詞は秋元康が担当。
この曲の発表会は予想を上回るファンが駆けつけたため、会場が混乱し中止になったというエピソードがあります。
おにゃん子クラブブームのきっかけとなった曲です。
恋人よ五輪真弓

五輪真弓の通算18枚目のシングルとして1980年に発売されました。
彼女がデビューした当時のプロデューサーで、同年の春に交通事故死した木田高介のことを思って書き上げた曲だと言われています。
どっしりと重い、悲恋の歌です。
輝きながら…德永英明

この曲は1987年に発売されたシングルです。
伸びやかな歌声で、聴いていて気持ちいいですね。
徳永英明の名前を世に広めた出世作ではありますが、自身が作った曲ではなかったため、当時は「複雑な気持ちだった」と本人が語っています。
長い夜松山千春

松山千春の10枚目のシングルとして1981年に発売されました。
オリコン週間シングルチャートで1位を獲得。
フォークソングが多かった松山千春の曲の中では異例のロック調だったため、シングル販売に反対の声もあったそうで、大ヒットという結果は松山千春も意外だったそうです。