【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲
音楽史に変化をもたらし、後のミュージシャンにも多大な影響を与えた80年代。
シンディ・ローパー、カルチャー・クラブ、マドンナ、アース・ウィンド&ファイアー……。
当時を知らない人でも、どこかで感じたことがあるようなノスタルジーな感覚に浸ることができます。
80年代の名曲は現代の曲よりも、純粋な曲のクオリティや、音楽的構成力の高さ、見方を変えれば、市場が大きかった分予算も多く、贅沢なサウンドを楽しむこともできますよ?
好みの1曲を見つけて聴き込んでみてくださいね!
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【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲(141〜150)
Wake Me Up Before You Go-GoWham!

80年代初頭からアイドル的な人気だったWham!ですが、この曲で陽気な雰囲気にイメージチェンジを図り、さらなる人気者となりました。
「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」の邦題がつけられたこの曲が収録されたアルバム「Make It Big」は世界的な大ヒットとなり、日本でも洋楽アルバムチャートで通算11週1位を記録。
楽曲だけでなく、こちらのMVに登場したシャツもブームになりました。
Don’t Wanna Lose YouGloria Estefan

1989年全米1位。
「マイアミサウンドマシーン」が取れてソロ名義になって最初のアルバム「Cuts Both Ways」からの必殺のバラードです。
この頃になると初期のラテンダンスビートの曲よりもバラードの方がより彼女の良さを感じさせてくれます。
本当に上手いし、声がいい!
このあと不運の自動車事故で活動休止に追い込まれますが、復活し今でも息の長い活躍をしてくれています。
スペイン語バージョンがまた素晴らしいです。
Arthur’s ThemeChristopher Cross

1981年全米1位。
ライザミネリとダドリームーア主演の映画「ミスター・アーサー」のテーマ。
キャロルベイヤーセイガーとバートバカラックのCクロスの共作です。
これにピーター・アレンの名も加わりますが、これは「when you get cought between the moonlight and NY city」という歌詞を彼の作品から引用したからなのだそうです。
【1980年代洋楽】懐かしの80’sベストヒット曲(151〜160)
Come On EileenDexys Midnight Runners

1983年全米1位。
中心のケヴィン・ローランドはパンク畑出身でこの曲が彼らの得意なスタイルではないという話です。
全英ではもう一曲「Geno」というヒットがありますが、全米ではあっという間に頂点に立って、あっという間に消えていった印象です。
PVもちょっと変でしたね。
オーバーオールにバンダナで登場。
ヒッピー?最初はジャグバンドか?とも思いました。
でも、とにかく曲はバツグンに良いです。
Mutha (Don’t want to go to school today)Extreme

1985年に結成され、ハードロックにファンクの要素を加えた独自の音楽性で人気バンドとなったExtreme。
バラード曲「More Than Words」が特に有名ですが、やはり彼らの魅力はその跳ねるようなリズムとハードロックサウンドの融合にあります。
ファーストアルバム「Extreme」に収録されたこの曲には、そんな彼らの魅力が詰まっています。
Creeping DeathMetallica

アメリカのヘヴィメタルバンド、メタリカは最も有名なメタルバンドといっても過言ではないのではないでしょうか。
低く構えたエクスプローラーは今でも多くのギタリストの憧れとなっているでしょう。
メンバーみんなが長髪で暑苦しく男臭くて完全にかっこいいです。
DominosRobbie Nevil

全米で「セラヴィ」が大ヒット。
それ以降の活動が地味なせいか、一発屋とも呼ばれているロビーですが、アメリカではその後もヒット曲を連発。
プロデューサーとしても有名で、かつては松田聖子にも楽曲を提供したこともあります。





