弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲
日本のフォークソング特集です。
もともと民謡のアレンジから始まりアメリカで広がったフォーク。
1960年代ごろから日本でも取り入れられ、時代の流れから反戦や反政府といったメッセージ性の強い曲が届けられました。
70年代に入ると大衆的にも親しみやすい内容で特に流行し、商業的に隆盛を極めました。
日本のフォークはいろいろな要素が含まれ変化しているものの、アコースティックな魅力や哀愁を感じられて言葉がきわ立って響くことと思います。
ぜひ、そんな日本のフォークにじっくり浸ってみてください!
弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲(41〜50)
帰ってきたヨッパライザ・フォーク・クルセダーズ

昭和42年発売フォークソングなのですが、かなりユニークなコミックソングでミリオンセラーとなった大ヒット曲です。
あるヨッパライの男性が天国に召されたのですが、行いが悪い奴は天国では受けつけないと神様に説教を受け再び下界にもどらされるという歌なのですが、当時のレコーディングの技術は今ほど優れていないので早送りにして声を変えると音程が合わないなどの苦労があったそうです。
弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲(51〜60)
誰を怨めばいいのでございましょうか三上寛

フォーク(民衆)ソング(唄)というものを、その字義通りに「民衆の唄」という風に理解するとすれば、三上寛や友川かずきというフォークシンガーは、ヒットチャートとは無縁の歌を歌い続けたという意味で、これこそ日本のフォークシンガーなのかも知れません。
ひとり寝の子守歌加藤登紀子

昭和44年発売加藤登紀子さんのジャンルはシャンソンやポップスなど幅広いのですが、この歌は獄中結婚したご主人を想って作られた曲です。
ご主人とのなれそめは学生運動家だったご主人が加藤登紀子さんにコンサートの出演依頼をしたことがきっかけなのですが、出演依頼は政治運動で歌を利用されるのは困ると拒否したそうです。
後に、ご主人は学生運動関連で逮捕され実刑となったのですが、マスコミは非常に騒ぎましたが、加藤登紀子さんは微動だもせずに堂々としていた事が思い出されます。
この広い野原いっぱい森山良子

昭和42年発売本人はジャズシンガーになりたかったそうなのですが、時代の為かフォークソングでヒット曲が多数ありますが、この曲がデビュー曲です。
広い草原でありとあらゆる美しい自然を全てあげるので、どうか手紙を書いて欲しいという曲なのですが、当然ながら相手は男性と思うのですが、この時代はもしかしたら限定せずに想いのある人と解釈した方がいいのかもしれません。
その後はNHKの”みんなのうた”などでも歌われていました。
あの唄はもう唄わないのですか風
1975年に発売されたフォークデュオ「風」のシングルとなります。
「風」の由来は「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」といった意味があります。
手紙を読むような歌詞と切ないメロディで当時フォークソンググループが流行ってた中で一線を博しました。
学生街の喫茶店ガロ

昭和47年発売今までのフォークのイメージがちょっと違った感じがするのは、ファッションセンスで、男性のフォークシンガーはあまり服装には気を遣っていなかったのですが、ガロはかなり服装などにもこだわっていたと思います。
この詞を聴くときっと誰にでもあるでき事のように感じますが、好きだった女性とよく通っていた喫茶店も、時代とともに全てが変わっていく時はもどせないという歌ですが、編曲もステキで大ヒットしました。
風をあつめてはっぴいえんど

1971年にはっぴいえんどがリリースしたアルバム「風街ろまん」収録の曲である。
古きよき東京を写し出し洗練された楽曲により根強いファンは後を絶ちません。
後にメンバーの一人はYMOを結成、まだ他のメンバーも第一線で活躍することになります。