弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲
日本のフォークソング特集です。
もともと民謡のアレンジから始まりアメリカで広がったフォーク。
1960年代ごろから日本でも取り入れられ、時代の流れから反戦や反政府といったメッセージ性の強い曲が届けられました。
70年代に入ると大衆的にも親しみやすい内容で特に流行し、商業的に隆盛を極めました。
日本のフォークはいろいろな要素が含まれ変化しているものの、アコースティックな魅力や哀愁を感じられて言葉がきわ立って響くことと思います。
ぜひ、そんな日本のフォークにじっくり浸ってみてください!
- campaign【無料】音楽特化のプレスリリース、月間100万人に届けます
- 【昭和】カラオケで歌いたい懐かしのフォークソングの名曲、人気曲まとめ
- 【邦楽】心に響く70年代フォークソングのヒット曲まとめ
- 色あせない名曲ばかり!弾き語りにおすすめしたい昭和のヒットソング
- 切ないバラードソング。泣ける邦楽の名曲
- フォークダンス曲の定番から隠れた名曲まで。おすすめの曲を紹介!
- 【心に響く】歌詞がいい、珠玉のバラード名曲
- 【70代の方におすすめ】グッとくるいい歌。懐かしき日本の名曲
- 【涙腺崩壊】心が震えるほど泣ける歌&歌詞が心に染みる感動する曲
- 【ふるさとの歌】懐かしさで胸がいっぱいになる人気の邦楽曲を厳選
- 後世に伝えたい名曲がズラリ!令和に生まれたバラードソング
- 【心に染みる】バラードの名曲。色褪せない名曲と最新曲まとめ【2026】
- ノスタルジックな空気感が涙腺を刺激する。昭和の号泣ソング
- 男性にオススメのバラード。恋愛・応援・青春を歌った名曲
弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲(71〜80)
ひとりぼっちの部屋高木麻早

高木麻早の1枚目のシングルとして1973年に発売されました。
高木麻早は1973年5にヤマハ第5回ポピュラーソングコンテストに出場し、この曲で入賞を果たしており、デビューを果たしました。
この曲は40万枚を超える売り上げを記録し、オリコン新人賞を受賞しています。
関白宣言さだまさし

グレープのメンバーのひとりだったさだまさしが、ソロになって発表し大ヒットした曲です。
男性が女性にプロポーズする時の言葉がそのまま歌詞になっています。
歌詞の量が多くまるで小説のようであるところが、フォークらしいです。
時には母のない子のようにカルメン・マキ

昭和44年発売この歌は19世紀にアメリカでうまれた黒人霊歌がSometimes I Feel like A Motherless Child(ときどき、わたしは母親のいない子のような気持ちがする)ベースとなっており、アフリカからアメリカへ連れてこられ奴隷となった黒人の絶望に近い悲しみがテーマとなっていて、無名だったカルメン・マキさんは憂いを伴う歌い方やハーフの顔立ちがより一層この歌のリアルさを出しています。
結婚するって本当ですかダ・カーポ

ダ・カーポの通算4枚目のシングルとして1974年に発売されました。
60万枚を売り上げる大ヒットを記録し、ダ・カーポにとって最大のヒット曲となりました。
横浜音楽祭では地域活動奨励賞を受賞しており、2人は1980年に結婚し、夫婦デュオとして現在も活動しています。
この空を飛べたら加藤登紀子
加藤登紀子が1978年に発売したシングルで、フジテレビ系ゴールデンドラマシリーズ「球形の荒野」の主題歌に起用され、累計売上は35万枚を記録しました。
作詞・作曲は中島みゆきが手掛けており、作詞者の中島がこの曲で「第20回日本レコード大賞」で「西條八十賞」(のちの作詞賞)を受賞しました。
母に捧げるバラード海援隊

武田鉄矢が在籍していたフォークグループが海援隊です。
息子の視点から母親に対する思いを語ったこの曲は、曲中のほとんどが語り口調で語られほとんど一人芝居のようです。
これが後の俳優活動につながったのかも知れません。
あの唄はもう唄わないのですか風
1975年に発売されたフォークデュオ「風」のシングルとなります。
「風」の由来は「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」といった意味があります。
手紙を読むような歌詞と切ないメロディで当時フォークソンググループが流行ってた中で一線を博しました。
赤とんぼの唄あのねのね

あのねのねのメジャーデビューシングルとして1973年に発売されました。
35万枚余りの売上を記録し、あのねのねとしては最大のヒットとなりました。
あのねのねと親交のある嘉門達夫がこの曲をアレンジしたものを歌ったことでもこの曲は注目されることとなりました。
いちご白書をもう一度ばんばひろふみ

昭和50年発売ひとつの時代が終わりを告げ、大人になっていく恋人たちの青春の思い出を綴った曲です。
いちご白書は映画のタイトルで学生運動がテーマとなっており自分たちと照らし合わせた歌の設定が流石と思いきや作詞・作曲はユーミン(当時は荒井由美)でした。
この曲はオリコンチャートでも1位を獲得しました。
結婚しようよよしだたくろう

よしだたくろうが1972年に発売したシングルで、フォークをメジャーに押し上げるきっかけとなった曲です。
“J-POPの原点”とも評されており、40万枚以上を売る大ヒットとなりました。
男性の側からのプロポーズやカラフルな言葉づかいの歌詞は当時としては斬新な内容として話題となった曲です。
弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲(81〜90)
学生街の喫茶店ガロ

昭和47年発売今までのフォークのイメージがちょっと違った感じがするのは、ファッションセンスで、男性のフォークシンガーはあまり服装には気を遣っていなかったのですが、ガロはかなり服装などにもこだわっていたと思います。
この詞を聴くときっと誰にでもあるでき事のように感じますが、好きだった女性とよく通っていた喫茶店も、時代とともに全てが変わっていく時はもどせないという歌ですが、編曲もステキで大ヒットしました。
さよならをするためにビリーバンバン

昭和47年発売俳優の石坂浩二さんが作詞した曲なのですが、フォークソングの中でも大人の歌で、兄弟のハモリも美しく年配の方にも受け入れられた曲です。
解釈が難しい詞なのですが、男性がある女性と別れ、新しい恋人と新たに歩きはじめようとすると言っているようなのですが、捉え方はさまざまです。
知床旅情加藤登紀子

1960年に発表されたこの楽曲は知床を舞台にしたご当地ソングとして有名です。
俳優として有名な森繁久彌による作詞作曲で、彼が知床に滞在していたときに書いた曲。
長い間他にアーティストにもカバーされ愛されてる楽曲です。
私は泣いていますりりィ

昭和49年発売りりィさんは若い時にお父様とお母様を亡くされていて、生活の為にスナックで弾き語りをしており、その時につけられたあだ名がりりぃだったそうですが、イはカタカナにしたのは雰囲気だそうです。
この曲は研ナオコさんに歌ってもらおうと作った曲だそうですが、事務所が自分で歌って欲しいといわれ仕方なく歌ったそうなのですが、ハスキーボイスと昭和の男性の身勝手さとすがる女性の悲しさがマッチして大ヒットしました。
空よトワ・エ・モア

1972年の札幌オリンピックのテーマを歌ったデュオでもあるトワ・エ・モアが1970年に発売されたこの楽曲は視聴者からの公募により生まれた曲です。
爽やかな曲調とあどけない歌詞でヒットを飛ばした。
トワ・エ・モアという名前の意味はフランス語で「君と僕」といった意味です。




