弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲
日本のフォークソング特集です。
もともと民謡のアレンジから始まりアメリカで広がったフォーク。
1960年代ごろから日本でも取り入れられ、時代の流れから反戦や反政府といったメッセージ性の強い曲が届けられました。
70年代に入ると大衆的にも親しみやすい内容で特に流行し、商業的に隆盛を極めました。
日本のフォークはいろいろな要素が含まれ変化しているものの、アコースティックな魅力や哀愁を感じられて言葉がきわ立って響くことと思います。
ぜひ、そんな日本のフォークにじっくり浸ってみてください!
弾き語り継がれる邦楽フォークソングの名曲(71〜75)
赤とんぼの唄あのねのね

あのねのねのメジャーデビューシングルとして1973年に発売されました。
35万枚余りの売上を記録し、あのねのねとしては最大のヒットとなりました。
あのねのねと親交のある嘉門達夫がこの曲をアレンジしたものを歌ったことでもこの曲は注目されることとなりました。
いちご白書をもう一度ばんばひろふみ

昭和50年発売ひとつの時代が終わりを告げ、大人になっていく恋人たちの青春の思い出を綴った曲です。
いちご白書は映画のタイトルで学生運動がテーマとなっており自分たちと照らし合わせた歌の設定が流石と思いきや作詞・作曲はユーミン(当時は荒井由美)でした。
この曲はオリコンチャートでも1位を獲得しました。
学生街の喫茶店ガロ

昭和47年発売今までのフォークのイメージがちょっと違った感じがするのは、ファッションセンスで、男性のフォークシンガーはあまり服装には気を遣っていなかったのですが、ガロはかなり服装などにもこだわっていたと思います。
この詞を聴くときっと誰にでもあるでき事のように感じますが、好きだった女性とよく通っていた喫茶店も、時代とともに全てが変わっていく時はもどせないという歌ですが、編曲もステキで大ヒットしました。
知床旅情加藤登紀子

1960年に発表されたこの楽曲は知床を舞台にしたご当地ソングとして有名です。
俳優として有名な森繁久彌による作詞作曲で、彼が知床に滞在していたときに書いた曲。
長い間他にアーティストにもカバーされ愛されてる楽曲です。
私は泣いていますりりィ

昭和49年発売りりィさんは若い時にお父様とお母様を亡くされていて、生活の為にスナックで弾き語りをしており、その時につけられたあだ名がりりぃだったそうですが、イはカタカナにしたのは雰囲気だそうです。
この曲は研ナオコさんに歌ってもらおうと作った曲だそうですが、事務所が自分で歌って欲しいといわれ仕方なく歌ったそうなのですが、ハスキーボイスと昭和の男性の身勝手さとすがる女性の悲しさがマッチして大ヒットしました。