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ロック好きにもオススメ!~モダン・ブルースの名盤

ロックンロールやジャズのルーツと呼ばれるブルースの誕生は、19世紀後半にまでさかのぼります。

いわゆる戦前ブルースとも称されるデルタ・ブルースやカントリー・ブルース、戦後シカゴから発達したエレクトリックを用いたシカゴ・ブルースやモダン・ブルースなど、その形式はさまざまであって一口で語れるものではありません。

今回の記事では、2020年代の今も多くのミュージシャンがそのスタイルや魂を受け継ぐ、ブルースの名盤をご紹介します。

初心者の方でも聴きやすいモダン・ブルースをメインとしたラインアップとなっておりますので、日ごろロックを聴かれている方であっても、入りやすい内容となっておりますよ!

ロック好きにもオススメ!~モダン・ブルースの名盤(111〜120)

Straighten Up & Fly RightNat King Cole

1930年代からピアニストとして活動していたナット・キング・コールの人気曲です。

それまではピアノ演奏だけでしたが、1944年に歌手としてもこの「ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト(Straighten Up and Fly Right)」をリリースし大ヒットしました。

こちらの楽曲は「ナット・キング・コールのすべて(THE EXTRAORDINARY & UNISSUED)」に収録されています。

I`Cant Quit You BabyOtis Rush

バンド・ブルースは、後に白人のロック・バンドに大きな影響を与えましたが、ハードロック・バンドのレッド・ツェッペリンがライブでよく演奏した「I Can’t Quit You Baby」の作者がオーティス・ラッシュです。

ギターも歌も素晴らしいブルースマンです。

Otis Spann Is the Blues

The Hard WayOtis Spann

ブルースという音楽ジャンルは、何もギターだけが主役というわけではありません。

ピアノが主体のブルースを聴いてみたいという方にオススメしたいのが、シカゴ・ブルースの代表的なピアニストとして名高いオーティス・スパンさんの作品群です。

10代の頃からミュージシャンとして活動していたスパンさんは、1952年頃にあのマディ・ウォーターズさんのバンドにピアニストとして参加、バンド・メンバーの一員として活動しながら、ソロやセッション・ミュージシャンとしても大いに活躍した偉大なピアニストです。

1970年に亡くなってから10年後の1980年には、ブルースの殿堂入りを果たしています。

そんなスパンさんが、1960年にリリースした初のソロ・アルバム『Otis Spann Is the Blues』は、タイトル通りスパンさんのピアノとボーカルを中心として作り上げられたブルース・アルバム。

共演しているロバート・ロックウッド・ジュニアさんのギターとボーカルも楽しめますし、バンド演奏で織り成すシカゴ・ブルースとは一味違った魅力を味わえますよ!

Devil’s Son-In-LawPeetie Wheatstraw

ピーティー・ウィートストローは戦前のアコースティック・ブルースの名手で、多くのブルースマンが彼を手本としました。

「Devil’s Son-In-Law」(悪魔の義理の息子)は彼の代表的な曲で、彼の代名詞にもなりました。

Suger mamaPeter Green’s Fleetwood Mac

英国の白人ブルースギタリスト最高の名手といえば、ピーター・グリーン。

アップもスローも自在にプレイする彼の影響を受けたギタリストははかりしれません。

彼がリーダの初期FLEETWOOD MACも白人ブルースバンドの最高峰とおいえるバンドです。

All Of My Life (Official Music Video 1990)Phil Collins

イギリスのミュージシャン、フィル・コリンズによるムーディな名曲です。

80年代から90年代までバンド活動と共にソロ活動でも活躍しました。

中でもこの曲は89年にリリースされたアルバム「バット・シリアスリー」に収録されています。

I’m so GladSkip James

Skip James(スキップジェームズ)は、1902年生まれ、アメリカ・ミシシッピ州ベントニア出身のブルースシンガー、ギターリストです。

8歳の頃に同郷の年配者からギターを学び、高校の頃にはBentoniaスクールでピアノを習い、1930年にジャクスンに移り、1931年にパラマウントでDavil got my womanなど17曲を録音しています。

I’m So Gladという曲をCreamというバンドがカバーし、大ヒットによる印税で、ジェイムスの晩年の入院費がまかなわれたとのこと。

Beckもこの曲をカバーしています。

1992年にブルースの殿堂入りをしています。