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1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代

70年代の邦楽のヒット曲というとどんな曲を思い浮かべますか?

当時リアルタイムで過ごされていた方は、さまざまなヒット曲を思いめぐらせると思います。

カラーテレビが広まったことにより、見る視点でも音楽の楽しみ方ができました。

70年代は歌謡曲やアイドルの黄金時代とも言われています。

生まれていない世代の方でも、「あれ、聴いたことがある!」となるような、親しみやすい曲も数多くありますよ!

そんな魅力的な70年代ヒット曲をぜひお楽しみください!

1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(1〜10)

17才南沙織

素人弾き語り 17才 南沙織
17才南沙織

1971年に沖縄から彗星のごとく現れた、南沙織さんの鮮烈なデビューシングルです。

当時16歳の彼女が歌う『17才』というタイトルも、すごく印象的ですよね。

好きな人と二人きりの海辺で、ちょっぴり背伸びした恋に胸をときめかせる情景は、誰もが経験したことがあるかもしれません。

洋楽風のおしゃれなサウンドに乗る、甘酸っぱくてどこか切ない気持ち。

南沙織さんの透明感あふれる歌声と見事に重なり、今聴いても思わず胸がきゅんとしてしまいますね。

傷だらけの人生鶴田浩二

傷だらけの人生         鶴田浩二
傷だらけの人生鶴田浩二

1970年リリース。

累計100万枚近い売上げを記録した、俳優、鶴田浩二の大ヒットシングルです。

任侠映画のワンシーンのような、語りから入るナンバー。

哀愁漂うサウンドと渋い歌声がマッチして、男の悲哀や美学が漂います。

リリース翌年にはこの曲をテーマに『傷だらけの人生』と『傷だらけの人生 古い奴でござんす』の2作の映画を公開し、本人が主演しています。

作詞は『浪花節だよ人生は』『岸壁の母』を手がけた藤田まさと。

作曲は『有楽町で逢いましょう』『いつでも夢を』を手がけた吉田正。

木綿のハンカチーフ太田裕美

★木綿のハンカチーフ★ 大田裕美/1975年(S50)
木綿のハンカチーフ太田裕美

1975年。

松本隆作詞、筒美京平作曲の黄金コンビによる不朽の名作。

凛とした太田裕美の歌も素晴らしく、彼女もまたこの曲によって永遠の輝きを得たといえます。

1編のラブストーリーが眼前に浮かぶように歌われ、何度聴いても心を奪われてしまいます。

1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(11〜20)

昔の名前で出ています小林旭

1975年リリースの小林旭のシングルです。

リリースから2年後の1977年に入ってからヒット。

ロングセラーとなり累計売上200万枚以上の売り上げを記録しています。

作詞は『兄弟仁義』『三百六十五歩のマーチ』『黄色いサクランボ』なども手がけた星野哲郎。

さまざまな源氏名を持つホステスが、愛しい人を待ちわびるストーリーとなっています。

作曲は冠二郎、香西かおり、中村美律子らに楽曲提供している、演歌メロディーの名手、叶弦大。

『自動車ショー歌』同じコンビの作品です。

神田川かぐや姫

かぐや姫が1973年に発売した楽曲で、当時メンバーの南こうせつがDJを担当していたラジオでこの曲を流したところ大反響を呼び、シングル化されました。

かぐや姫にとって最大のヒット曲となっており、レコード発売から19年後の1992年に「第43回NHK紅白歌合戦」で南こうせつがソロで初出場を果たし、この曲を披露しています。

ドリフのズンドコ節ザ・ドリフターズ

新ドリフのズンドコ節[ザ・ドリフターズ]
ドリフのズンドコ節ザ・ドリフターズ

『ドリフのズンドコ節』は、1969年にリリース、1970年代にドリフターズが出演するバラエティ番組『8時だよ全員集合』で披露され、お茶の間でおなじみのナンバーとなりました。

この楽曲は1945年に流行した「海軍小唄」をモチーフにしています。

1番から5番までは補作詞として、なかにし礼が作詞、6番は原曲詞を使用。

1番を加藤茶、2番を仲本工事、3番を高木ブー、4番を脱退前の荒井注、脱退後は志村けんが担当。

5番をいかりや長介、6番をメンバー全員で歌唱しています。

ドリフターズのほかにも、田端義夫、安城美智子と鈴村一郎、小林旭、朝丘雪路、氷川きよしらのズンドコ節が存在します。

我が良き友よかまやつひろし

1975年。

吉田拓郎作詞作曲のバンカラフォークとも言うべき愛すべき名曲です。

ロカビリー、グループサウンズ、ロック、とさまざまなジャンルを自在に遍歴してきたかまやつひろしの自由自在さが、この曲によってさらに強く印象づけられました。