1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代
70年代の邦楽のヒット曲というとどんな曲を思い浮かべますか?
当時リアルタイムで過ごされていた方は、さまざまなヒット曲を思いめぐらせると思います。
カラーテレビが広まったことにより、見る視点でも音楽の楽しみ方ができました。
70年代は歌謡曲やアイドルの黄金時代とも言われています。
生まれていない世代の方でも、「あれ、聴いたことがある!」となるような、親しみやすい曲も数多くありますよ!
そんな魅力的な70年代ヒット曲をぜひお楽しみください!
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1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(1〜10)
木綿のハンカチーフ太田裕美

1975年。
松本隆作詞、筒美京平作曲の黄金コンビによる不朽の名作。
凛とした太田裕美の歌も素晴らしく、彼女もまたこの曲によって永遠の輝きを得たといえます。
1編のラブストーリーが眼前に浮かぶように歌われ、何度聴いても心を奪われてしまいます。
傷だらけの人生鶴田浩二

1970年リリース。
累計100万枚近い売上げを記録した、俳優、鶴田浩二の大ヒットシングルです。
任侠映画のワンシーンのような、語りから入るナンバー。
哀愁漂うサウンドと渋い歌声がマッチして、男の悲哀や美学が漂います。
リリース翌年にはこの曲をテーマに『傷だらけの人生』と『傷だらけの人生 古い奴でござんす』の2作の映画を公開し、本人が主演しています。
作詞は『浪花節だよ人生は』『岸壁の母』を手がけた藤田まさと。
作曲は『有楽町で逢いましょう』『いつでも夢を』を手がけた吉田正。
ナオミの夢ヘドバとダビデ

1971年にシングルリリースされ、4週にわたりオリコン1位を獲得、67万枚を売り上げた大ヒット曲です。
イスラエル人の歌手ヘドバとダビデが、東京国際歌謡音楽祭に出場し、ヘブライ語で『ナオミの夢』を披露。
みごとグランプリに輝いたことから、急きょ日本語バージョンを録音し発売されました。
ナオミはイスラエルなとではポピュラーな女性の名前です。
編曲を担当した馬飼野俊一は、日本を代表する著名なアレンジャーで、『ナオミの夢』のほか、『ひなげしの花』『てんとう虫のサンバ』など多数の編曲を手がけています。
1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(11〜20)
我が良き友よかまやつひろし

1975年。
吉田拓郎作詞作曲のバンカラフォークとも言うべき愛すべき名曲です。
ロカビリー、グループサウンズ、ロック、とさまざまなジャンルを自在に遍歴してきたかまやつひろしの自由自在さが、この曲によってさらに強く印象づけられました。
女のブルース藤圭子

『女のブルース』は、1970年にリリースされた藤圭子のセカンドシングルです。
初のオリコンチャート1位楽曲。
累計売り上げは110万枚と、ミリオンセラーを記録しています。
発売当時18歳だったとは思えぬ、完成された歌唱力と、情念と哀愁に満ちた歌声で、ねっとりと女の業を歌い上げています。
作詞は石坂まさを、作曲は猪俣公章が担当。
藤圭子は、宇多田ヒカルの母親で、2013年に飛び降り自殺でなくなりました。
享年は62歳。
昔の名前で出ています小林旭

1975年リリースの小林旭のシングルです。
リリースから2年後の1977年に入ってからヒット。
ロングセラーとなり累計売上200万枚以上の売り上げを記録しています。
作詞は『兄弟仁義』『三百六十五歩のマーチ』『黄色いサクランボ』なども手がけた星野哲郎。
さまざまな源氏名を持つホステスが、愛しい人を待ちわびるストーリーとなっています。
作曲は冠二郎、香西かおり、中村美律子らに楽曲提供している、演歌メロディーの名手、叶弦大。
『自動車ショー歌』同じコンビの作品です。
神田川かぐや姫

かぐや姫が1973年に発売した楽曲で、当時メンバーの南こうせつがDJを担当していたラジオでこの曲を流したところ大反響を呼び、シングル化されました。
かぐや姫にとって最大のヒット曲となっており、レコード発売から19年後の1992年に「第43回NHK紅白歌合戦」で南こうせつがソロで初出場を果たし、この曲を披露しています。





