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1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代

70年代の邦楽のヒット曲というとどんな曲を思い浮かべますか?

当時リアルタイムで過ごされていた方は、さまざまなヒット曲を思いめぐらせると思います。

カラーテレビが広まったことにより、見る視点でも音楽の楽しみ方ができました。

70年代は歌謡曲やアイドルの黄金時代とも言われています。

生まれていない世代の方でも、「あれ、聴いたことがある!」となるような、親しみやすい曲も数多くありますよ!

そんな魅力的な70年代ヒット曲をぜひお楽しみください!

もくじ

1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(1〜20)

微笑がえしキャンディーズ

『微笑がえし』は1978年にリリースされた17枚目のシングルで、キャンディーズの活動期間中のラストシングルになります。

最後ということで、歌詞の中にシングル曲のタイトル「春一番」「わな」「アン・ドゥ・トロワ」「ハートのエース」などが多数盛り込まれています。

作詞は阿木燿子、作曲は穂口雄右。

阿木がキャンディーズのシングルを手がけるのはこの曲が初ですが、穂口は『年下の男の子』『春一番』など8曲を手がけています。

キャンディーズは、ラン、スー、ミキの3人組で、ランこと伊藤蘭の旦那様は俳優の水谷豊です。

傷だらけの人生鶴田浩二

傷だらけの人生         鶴田浩二
傷だらけの人生鶴田浩二

1970年リリース。

累計100万枚近い売上げを記録した、俳優、鶴田浩二の大ヒットシングルです。

任侠映画のワンシーンのような、語りから入るナンバー。

哀愁漂うサウンドと渋い歌声がマッチして、男の悲哀や美学が漂います。

リリース翌年にはこの曲をテーマに『傷だらけの人生』と『傷だらけの人生 古い奴でござんす』の2作の映画を公開し、本人が主演しています。

作詞は『浪花節だよ人生は』『岸壁の母』を手がけた藤田まさと。

作曲は『有楽町で逢いましょう』『いつでも夢を』を手がけた吉田正。

木綿のハンカチーフ太田裕美

★木綿のハンカチーフ★ 大田裕美/1975年(S50)
木綿のハンカチーフ太田裕美

1975年。

松本隆作詞、筒美京平作曲の黄金コンビによる不朽の名作。

凛とした太田裕美の歌も素晴らしく、彼女もまたこの曲によって永遠の輝きを得たといえます。

1編のラブストーリーが眼前に浮かぶように歌われ、何度聴いても心を奪われてしまいます。

昔の名前で出ています小林旭

1975年リリースの小林旭のシングルです。

リリースから2年後の1977年に入ってからヒット。

ロングセラーとなり累計売上200万枚以上の売り上げを記録しています。

作詞は『兄弟仁義』『三百六十五歩のマーチ』『黄色いサクランボ』なども手がけた星野哲郎。

さまざまな源氏名を持つホステスが、愛しい人を待ちわびるストーリーとなっています。

作曲は冠二郎、香西かおり、中村美律子らに楽曲提供している、演歌メロディーの名手、叶弦大。

『自動車ショー歌』同じコンビの作品です。

北国の春千昌夫

『北国の春』は、1977年にリリースされたシングルです。

累計売上は300万枚のモンスターヒットソングとなり、千昌夫の代表曲となりました。

歌詞は田舎から都会に出てきた男性の望郷の念が描かれています。

テレビ番組では、ボロボロのコートにゴム長靴姿、首にはテヌグリ、手にはくたびれたトランクを握りしめた衣装で歌唱。

歌詞とリンクする出稼ぎスタイルで歌う千の姿は、大変な話題となりました。

桑田佳祐、氷川きよし、美空ひばり、細川たかしらのそうそうたる歌手にもカバーされている、日本が誇る名曲です。

神田川かぐや姫

かぐや姫が1973年に発売した楽曲で、当時メンバーの南こうせつがDJを担当していたラジオでこの曲を流したところ大反響を呼び、シングル化されました。

かぐや姫にとって最大のヒット曲となっており、レコード発売から19年後の1992年に「第43回NHK紅白歌合戦」で南こうせつがソロで初出場を果たし、この曲を披露しています。