1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代
70年代の邦楽のヒット曲というとどんな曲を思い浮かべますか?
当時リアルタイムで過ごされていた方は、さまざまなヒット曲を思いめぐらせると思います。
カラーテレビが広まったことにより、見る視点でも音楽の楽しみ方ができました。
70年代は歌謡曲やアイドルの黄金時代とも言われています。
生まれていない世代の方でも、「あれ、聴いたことがある!」となるような、親しみやすい曲も数多くありますよ!
そんな魅力的な70年代ヒット曲をぜひお楽しみください!
1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(11〜20)
うそ中条きよし

74年の年間ランキングの3位は、中条きよしとなりました。
この人は、今でも歌番組に出演しているので、知っている人も多いはずです。
この当時は、150万枚を超える大ヒットを達成して、一躍時の人となる活躍ぶりでした。
北国の春千昌夫

『北国の春』は、1977年にリリースされたシングルです。
累計売上は300万枚のモンスターヒットソングとなり、千昌夫の代表曲となりました。
歌詞は田舎から都会に出てきた男性の望郷の念が描かれています。
テレビ番組では、ボロボロのコートにゴム長靴姿、首にはテヌグリ、手にはくたびれたトランクを握りしめた衣装で歌唱。
歌詞とリンクする出稼ぎスタイルで歌う千の姿は、大変な話題となりました。
桑田佳祐、氷川きよし、美空ひばり、細川たかしらのそうそうたる歌手にもカバーされている、日本が誇る名曲です。
ナオミの夢ヘドバとダビデ

1971年にシングルリリースされ、4週にわたりオリコン1位を獲得、67万枚を売り上げた大ヒット曲です。
イスラエル人の歌手ヘドバとダビデが、東京国際歌謡音楽祭に出場し、ヘブライ語で『ナオミの夢』を披露。
みごとグランプリに輝いたことから、急きょ日本語バージョンを録音し発売されました。
ナオミはイスラエルなとではポピュラーな女性の名前です。
編曲を担当した馬飼野俊一は、日本を代表する著名なアレンジャーで、『ナオミの夢』のほか、『ひなげしの花』『てんとう虫のサンバ』など多数の編曲を手がけています。
女のブルース藤圭子

『女のブルース』は、1970年にリリースされた藤圭子のセカンドシングルです。
初のオリコンチャート1位楽曲。
累計売り上げは110万枚と、ミリオンセラーを記録しています。
発売当時18歳だったとは思えぬ、完成された歌唱力と、情念と哀愁に満ちた歌声で、ねっとりと女の業を歌い上げています。
作詞は石坂まさを、作曲は猪俣公章が担当。
藤圭子は、宇多田ヒカルの母親で、2013年に飛び降り自殺でなくなりました。
享年は62歳。
ファンキー・モンキー・ベイビーCAROL

1973年にリリースされた曲です。
CAROLは矢沢永吉やジョニー大倉が在籍していたバンドとして有名ですね。
この曲は後にバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』の企画の中で使用されていたので若い方にも比較的浸透しているのではないでしょうか。
サビの有名なフレーズが浮かぶあの曲です。
逢わずに愛して内山田洋とクールファイブ

『逢わずに愛して』は、1969年にリリースされた内山田洋とクール・ファイブのサードシングルです。
『長崎は今日も雨だった』につぐヒット曲。
オリコン1位を獲得し、累計売上は約120万枚でミリオンセラーを記録しています。
内山田洋とクール・ファイブは、ワワワワーというコーラスが特徴的な歌謡バンド。
3連のロッカバラードのリズムの楽曲を多数シングルカットしています。
『逢わずに愛して』ももちろん3連のリズムが心地よいムード歌謡ナンバーです。
内山田洋はバンマスでギターを担当。
メインボーカルは前川清です。
1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(21〜30)
岸壁の母二葉百合子

「岸壁の母」は、第二次世界大戦で出征した息子が引揚船に乗って帰ってくるのを待ち続けた、端野いせがモデルの流行歌です。
作詞は、日本作詩大賞、日本レコード大賞特別賞を受賞した、藤田まさとが担当。
作曲は平川浪竜。
1954年に菊池章子がシングルをリリースし100万枚を超えるヒット。
1972年に二葉百合子がカバーし、リバイバルヒットとなり、250万枚を売り上げました。
1976年に同名タイトルで映画化しています。
主演の端野いせ役は中村玉緒が演じました。