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1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代

70年代の邦楽のヒット曲というとどんな曲を思い浮かべますか?

当時リアルタイムで過ごされていた方は、さまざまなヒット曲を思いめぐらせると思います。

カラーテレビが広まったことにより、見る視点でも音楽の楽しみ方ができました。

70年代は歌謡曲やアイドルの黄金時代とも言われています。

生まれていない世代の方でも、「あれ、聴いたことがある!」となるような、親しみやすい曲も数多くありますよ!

そんな魅力的な70年代ヒット曲をぜひお楽しみください!

もくじ

1970年代懐かしの邦楽ヒット曲。アイドルと歌謡曲の黄金時代(1〜20)

ドリフのズンドコ節ザ・ドリフターズ

『ドリフのズンドコ節』は、1969年にリリース、1970年代にドリフターズが出演するバラエティ番組『8時だよ全員集合』で披露され、お茶の間でおなじみのナンバーとなりました。

この楽曲は1945年に流行した「海軍小唄」をモチーフにしています。

1番から5番までは補作詞として、なかにし礼が作詞、6番は原曲詞を使用。

1番を加藤茶、2番を仲本工事、3番を高木ブー、4番を脱退前の荒井注、脱退後は志村けんが担当。

5番をいかりや長介、6番をメンバー全員で歌唱しています。

ドリフターズのほかにも、田端義夫、安城美智子と鈴村一郎、小林旭、朝丘雪路、氷川きよしらのズンドコ節が存在します。

我が良き友よかまやつひろし

1975年。

吉田拓郎作詞作曲のバンカラフォークとも言うべき愛すべき名曲です。

ロカビリー、グループサウンズ、ロック、とさまざまなジャンルを自在に遍歴してきたかまやつひろしの自由自在さが、この曲によってさらに強く印象づけられました。

うそ中条きよし

中条きよし うそ 演歌百撰
うそ中条きよし

74年の年間ランキングの3位は、中条きよしとなりました。

この人は、今でも歌番組に出演しているので、知っている人も多いはずです。

この当時は、150万枚を超える大ヒットを達成して、一躍時の人となる活躍ぶりでした。

ナオミの夢ヘドバとダビデ

ナオミの夢  ヘドバとダビデ 生歌録
ナオミの夢ヘドバとダビデ

1971年にシングルリリースされ、4週にわたりオリコン1位を獲得、67万枚を売り上げた大ヒット曲です。

イスラエル人の歌手ヘドバとダビデが、東京国際歌謡音楽祭に出場し、ヘブライ語で『ナオミの夢』を披露。

みごとグランプリに輝いたことから、急きょ日本語バージョンを録音し発売されました。

ナオミはイスラエルなとではポピュラーな女性の名前です。

編曲を担当した馬飼野俊一は、日本を代表する著名なアレンジャーで、『ナオミの夢』のほか、『ひなげしの花』『てんとう虫のサンバ』など多数の編曲を手がけています。

逢わずに愛して内山田洋とクールファイブ

『逢わずに愛して』は、1969年にリリースされた内山田洋とクール・ファイブのサードシングルです。

『長崎は今日も雨だった』につぐヒット曲。

オリコン1位を獲得し、累計売上は約120万枚でミリオンセラーを記録しています。

内山田洋とクール・ファイブは、ワワワワーというコーラスが特徴的な歌謡バンド。

3連のロッカバラードのリズムの楽曲を多数シングルカットしています。

『逢わずに愛して』ももちろん3連のリズムが心地よいムード歌謡ナンバーです。

内山田洋はバンマスでギターを担当。

メインボーカルは前川清です。

女のブルース藤圭子

『女のブルース』は、1970年にリリースされた藤圭子のセカンドシングルです。

初のオリコンチャート1位楽曲。

累計売り上げは110万枚と、ミリオンセラーを記録しています。

発売当時18歳だったとは思えぬ、完成された歌唱力と、情念と哀愁に満ちた歌声で、ねっとりと女の業を歌い上げています。

作詞は石坂まさを、作曲は猪俣公章が担当。

藤圭子は、宇多田ヒカルの母親で、2013年に飛び降り自殺でなくなりました。

享年は62歳。