熊本の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ
『おてもやん』や『五木の子守唄』など、全国的に知られている民謡やわらべうたの舞台となった熊本。
これらの作品には、阿蘇の雄大な自然や、熊本城の勇壮な姿、そして人々の暮らしの営みが鮮やかに描かれています。
西南戦争の哀しみを伝える『田原坂』から、豊作を祝う『肥後米音頭』まで、歌い継がれる民謡の一つひとつに、熊本の歴史と文化が深く刻まれているのです。
この記事では、郷土を思う心や日々の喜びが込められた熊本の民謡、童謡、わらべうたを集めました。
熊本の魂が宿る歌の世界に、耳を傾けてみましょう。
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熊本の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(31〜40)
葵さんの御門(祭禮の唄)

熊本の祭礼に根ざした、心に響く伝統の調べ。
五音音階の素朴で荘厳なメロディが、聴く人を祭りの喜びへと誘います。
本作は「熊本地方民謡」として伝承され、現在も地元熊本の祭りなどで演奏されることがあるのだそうです。
ピアノ編曲版やボーカル版の楽譜も販売されており、熊本に根付いた歌として広く知られています。
日本の伝統音楽や、地域に息づく文化の温かみに触れたい方が聴けば、穏やかな気持ちで満たされることでしょう。
ばってんバテレン勝手に観光協会

熊本の風土と人情が、みうらじゅんさんと安齋肇さんの手にかかると、こんなにも愉快で温かいご当地ソングになるのですね。
この楽曲は、馬刺しや阿蘇山、天草四郎など熊本の名物や歴史を、愛情とユーモア、ノスタルジーにのせ歌い上げます。
みうらじゅんさん奏でるギタレレの素朴な音色と、「リョカ録」という旅館録音が生む土地の温もりが実に心地よいですね。
2003年1月にアルバム『Vol.1』等に収録、2008年2月にはアルバム『勝手に観光協会 勝手にご当地ソング47+1』にも収められました。
熊本の魅力を再発見したいときや、心がほっこりする音楽を求めるときにいかがでしょうか。
がまだせ熊本林田健司

熊本地震からの復興を心から願い、多くの人々の思いが結集した応援歌。
林田健司さんが被災した方々の生の声や切実な願いを丹念に歌詞へと昇華させ、熊本の皆さんとともに作り上げた作品です。
熊本弁で「頑張れ」を意味する言葉が象徴するように、聴く人の心に直接響く、温かくも力強い励ましのメッセージが込められています。
2017年1月にミニアルバム『みんなの音がさね』に収録された本作は、熊本城をはじめとする被災地への支援と深く結びつき、NHK熊本児童合唱団の清らかな歌声も加わって、故郷への尽きせぬ愛情と、困難に立ち向かう人々の絆を強く感じさせます。
心がくじけそうなとき、人の温もりに触れたいときにそっと寄り添い、明日への一歩を後押ししてくれる1曲です。
牛深三下り

熊本民謡「牛深三下り」は、「うしぶかさんさがり」と読みます。
三下りは三味線の三弦を一音下げることで、いわゆるチューニングのことです。
一音下げることで粋な音を奏でられるそうです。
この唄は「牛深ハイヤ節」の前唄として唄われています。
阿蘇干草切唄坂梨文男

熊本県阿蘇の的石地区で唄われていた民謡「阿蘇干草切唄」です。
昭和初期頃までは唄われていたようですが、その後長い間途絶えてしまったようです。
阿蘇の民謡を伝えていこうと立ち上がったのが坂梨文男さんで、この「阿蘇干草切唄」を復活させ、地域の子供たちにも披露し指導しているそうです。
熊本の民謡・童謡・わらべうた。歌い継がれる故郷のこころ(41〜50)
阿蘇の朝草切り唄山本時雄
熊本県阿蘇地方で唄い継がれてきた民謡「阿蘇の朝草切り唄」です。
早朝、一番鳥の次に鳴く二番鳥が鳴く頃、「朝草」を切る様子が唄われています。
朝靄に包まれた山道を行き、広い野原でサクサクと草花を切る…その様子を思い浮かべるだけでも清々しい気分になります。
大鞘節

肥後八代郡地方に伝わる民謡「大鞘節」は、「おざやぶし」と読みます。
文政2年に完成した「四百町新地」の干拓工事から生まれた「大鞘節」が、安政2年に築造された干拓地「八代新地地区」に伝わり、八代新地大鞘節として現在まで唄い継がれてきました。



