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ロベルト・シューマン|名曲、代表曲をご紹介

ベートーヴェンやシューベルトのロマン的後継者として評価され、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残した作曲家、ロベルト・シューマン。

彼の作品はこれまでに、ピアノ曲と歌曲においてとくに注目されてきました。

古典派とロマン派の両方の様式を上手く掛け合わせており、ほかの作曲家にはない叙情的でロマンティックな作品が多く存在します。

今回はそんなシューマンの名曲、代表曲をピックアップしました。

後の作曲家にも大きく影響を残したシューマンの作品を、ぜひ聴いてみてください。

ロベルト・シューマン|名曲、代表曲をご紹介(71〜80)

交響曲第3番「ライン」Robert Schumann

Schumann: Symphony No.3 in E flat major – P. Järvi / NHK Symphony Orchestra
交響曲第3番「ライン」Robert Schumann

ピアノ曲がよく知られるシューマンの作品で、「ライン」というタイトルは本人が付けたものではありませんが、ライン川から着想を得たのは確かなようで、川の情景を思い描ける美しい作品です。

ベートーベンの「英雄」交響曲の影響を受けたともいわれています。

交響曲第4番 第1楽章Robert Schumann

SCHUMANN – Symphony no. 4 (SAWALLISCH, conducted)
交響曲第4番 第1楽章Robert Schumann

シューマンは1841年1月から2月にかけて交響曲第1番を完成し、3月に序曲、ピアノ協奏曲の第1楽章のもととなる作品などを作曲しました。

さらに6月から、のちに第4番とされるこの交響曲の作曲に取りかかり、9月13日の妻クララの誕生日にプレゼントしました。

子供のためのアルバム Op.68 第2曲「兵士の行進」Robert Schumann

シューマン:兵士の行進 Op.68-2(2020ピティナコンペ課題曲)pf. 菅原 望:Sugawara, Nozomu
子供のためのアルバム Op.68 第2曲「兵士の行進」Robert Schumann

こちらの曲は、ロベルト・シューマンが1848年に作曲したピアノ小品集『子供のためのアルバム』の第2曲『兵士の行進』。

明るく快活なメロディと躍動感があふれるリズムが、元気がいっぱいの子供たちの心をとらえる魅力的な1曲です。

勇ましい雰囲気をピアノで表現するポイントは、付点リズムをはっきりと正確に、そして一定のテンポで歯切れがよく演奏すること!

さらに、指示されたダイナミクスに注意ながら演奏することで、より生き生きとした音楽に仕上がるでしょう。

「子供の情景」より第1曲「知らない国々」Robert Schumann

シューマン:「子供の情景」より第1曲「知らない国々」(異国から)
「子供の情景」より第1曲「知らない国々」Robert Schumann

「兄と弟」編で使用されているこの曲は、ドイツの作曲家ロベルト・シューマンによって制作されました。

恋人への強い気持ちが生んだ楽曲だと言われています。

多くの作曲家、クラシック好きから高い評価を得ています。

チェロ協奏曲 イ短調Robert Schumann

Schumann: Cello concerto, op.129 – Michael Schonwandt – Andreas Brantelid – HD – Live concert
チェロ協奏曲 イ短調Robert Schumann

1850年の作品。

ロマン派のチェロ協奏曲として、多くの演奏機会に恵まれている。

全3楽章からなり、切れ目なく演奏される。

全体的に音域が高く、重音も見られるため、チェロ奏者の中では難易度の高い曲とされている。

ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調Robert Schumann

Schumann Violin Sonata no.2 in D minor op.121 Gidon Kremer/Martha Argerich
ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調Robert Schumann

ヴァイオリンソナタ第1番のわずか40日後に作曲されており、第1番よりも演奏される機会が多い本作。

シューマンは第1番のできにあまり満足できず、その反省を踏まえて、バランスや構成に十分な配慮を払って作曲したそうです。

フェルディナンド・ダビッドに献呈されており、ヴァイオリニストのヨアヒム・ヨージェフは「感情の驚くべき統一性と主題の意義から、当代の最もすぐれた作品の一つと考える」と賞讃しました。

ヴァイオリン協奏曲 イ短調Robert Schumann

シューマンの遺作。

ヴァイオリン奏者のヨアヒムの依頼で1853年に作曲されたが、ヨアヒムはこれを取り上げることなく封印し、クララも「決して演奏してはならない」と家族に言い聴かせていた。

しかし作者の没後80年後に発見され、再び注目されることとなった。