RAG Music失恋ソング
素敵な失恋ソング

50代の女性におすすめの失恋ソング。邦楽の名曲、人気曲

失恋ソングは定番です!

ほんとに悲しい曲は実はほとんどありません!

叙情的で切なく、魅力的です!

つまり、今回は50代女性におすすめしたい失恋ソングを集めました!

ぜひチェックしてみてください!

今までの思い出と照らし合わせながら聴いてみてください。

50代の女性におすすめの失恋ソング。邦楽の名曲、人気曲(81〜90)

瞳はダイヤモンド松田聖子

キャンディボイスの異名をもつ、松田聖子さんのキラキラした歌声がとても素敵な少し大人の失恋ソング。

松本隆氏の詞と、呉田軽穂こと松任谷由実氏の曲のコンビネーションがまぁすばらしい情景を思い浮かべさせてくれる聖子さんの隠れた名曲です。

ラブ・イズ・オーヴァー欧陽菲菲

欧陽菲菲 「ラヴ・イズ・オーヴァー」 Ouyang feifei/Love is over
ラブ・イズ・オーヴァー欧陽菲菲

50年代の方なら、この曲は永遠の失恋ソングといっても過言ではないでしょう。

79年にリリースし、毎週のようにテレビで見ていたので、覚えてしまった方も多いと思います。

カラオケでもみんなが歌う定番曲になっていました。

今、欧陽菲菲さんは日本で活躍しているのでしょうか?

哀愁でいと田原俊彦

田原さんのデビュー曲で、レイフ・ギャレットのカバー曲、で失恋曲という中でのヒット曲だったので、その当時の人気たるや、ものすごいものだったのだなと今感じています。

その当時、中高生だった人は、振付を覚えていたりするでしょう。

トシちゃん、かわいかったですものね。

バチェラーガール稲垣潤一

稲垣潤一「バチェラー・ガール」
バチェラーガール稲垣潤一

稲垣潤一さんは、しっとりとしたラブソングがとても印象的なのですが、この曲も、大瀧詠一さんの作曲により、爽やかさは残しつつ、失恋の切なさを一層深くさせる曲となっています。

ちなみに「バチェラー」とは「独身男性」という意味で使うそうです。

ふられてBANZAI近藤真彦

タイトルそのままのマッチの失恋ソングです。

この当時の失恋ソングは、ダークで暗いイメージか、アップテンポで「フラレタゼ」と開き直るイメージの曲かどちらかでしたが、この曲はもちろん後者で、あっけらかんとしてマッチらしい曲でした。

逢いたくて仕方ない郷ひろみ

[official] 郷ひろみ 「逢いたくてしかたない」 Music Video -サブスク解禁記念-
逢いたくて仕方ない郷ひろみ

今でも当時のファンがディナーショーに参戦するくらい、ファンも本人も現役バリバリの郷ひろみさんです。

カバー曲ブームの中のオリジナル曲がこの曲であり、大人の切なさが伝わってくる失恋ソングに仕上がっています。

スカイレストランハイファイセット

ハイ・ファイ・セット 『スカイレストラン』 1975年
スカイレストランハイファイセット

「スカイレストラン」は、ユーミンが楽曲を提供してハイファイセットが歌った作品です。

もともとは、ユーミン自身が歌って発表する予定だったそうですが、お蔵入りしていたものでした。

サウンドはボサノヴァタッチで、都会的。

別れの予感を胸に秘めながら、恋人との待ち合わせ場所(多分高層ビル上階のレストラン)に来た女性の複雑な感情の動きを描き出しています。

リリースは1975年。

あなたに会えてよかった小泉今日子

小泉今日子 – あなたに会えてよかった (Official Video)
あなたに会えてよかった小泉今日子

「あなたに会えてよかった」は、小泉今日子が1991年にリリースしたシングル曲。

民放ドラマ「パパとなっちゃん」の主題歌でした。

本作の歌詞は、キョンキョン自身が経験した大事な人との別離を元にして作られたそうです。

現在までのところ彼女の最大のヒット曲となっている本作は、大人にこそ歌ってほしい楽曲。

どんなに辛い別れや経験も、無駄なことは何もないのです。

思秋期岩崎宏美

岩崎宏美は、その抜群の歌唱力で定評があったアイドルシンガーです。

作詞阿久悠、作曲三木たかしという当時の売れっ子コンビによって書かれた「思秋期」は、彼女の歌唱力と表現力がなければ全く別の作品になったかもしれません。

本作のリリースは1977年。

カラオケで歌う時は、自身の少女時代を思い出しながら歌うと、感情がこめられると思います。

ラヴ・イズ・オーヴァー欧陽菲菲

欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)は、台湾出身のシンガーです。

現在も台湾を中心に音楽活動を継続しています。

彼女にはベンチャーズが作曲した「雨の御堂筋」というヒット曲がありますが、カラオケで歌うのならば「ラヴ・イズ・オーヴァー」がおすすめです。

ゆったりとしたバラードソングで、失恋を歌ってはいるものの、主人公の女性が凛としているので湿っぽさがありません。

そこが魅力です。

50代の女性におすすめの失恋ソング。邦楽の名曲、人気曲(91〜100)

さよなら 大好きな人花*花

花*花 hana*hana 「さよなら大好きな人」
さよなら 大好きな人花*花

「さよなら 大好きな人」は、聴いているだけで涙腺が緩む曲のひとつです。

相手から振られた形での失恋では、しばらくの間茫然自失な状態が続くもの。

相手の気持ちはすでにこちらには向いていないけれど、こちらにはまだ未練がたっぷり残っている。

それが少しずつなくなっていくのを待つしか方法はない、その辛さがこの曲からはひしひしと伝わってきます。

それでも相手に感謝の気持ちもちゃんと向けられているので、泣きながらでも爽やかな心持ちで歌える楽曲です。

リリースは2000年。

グッド・バイ・マイ・ラブアン・ルイス

Women~美人薄命~グッド・バイ・マイ・ラブ/アン・ルイス wPINX
グッド・バイ・マイ・ラブアン・ルイス

1970年前半の頃のアン・ルイスさんはデビュー当時はどちらかというと清純派アイドル的で売り出していました。

歌もそのイメージで、失恋をさわやかに歌っています。

今聴いても、時代を感じさせないメロディの美しさがある歌です。

その後は「六本木心中」などロック調の歌で活躍し、あまりにも奇抜すぎる衣装は話題となりました。

銀の指輪チューリップ

チューリップもこの時代は根強い人気が非常にあり、特にボーカルを務めていた姫野さんは財津さんよりも目立っていました。

失恋曲では代表曲の「心の旅」も同様なのですが、アップテンポで、エレキの音が軽快で失恋曲にはちょっと聴こえない所が魅力です。

恋人よ五輪真弓

独特の重みのあるイントロから、季節を肌で感じながらの永遠の別れの曲は「美空ひばり」さんや「淡谷のり子」さんなども歌われました。

数々の名曲をアーティストがカバーしたり、歌ったりすることは珍しくはありませんが、この実力者のお二人が、この曲をぜひ歌ってみたいと思うほどの名曲なんです。

二人でお酒を梓みちよ

梓みちよ「二人でお酒を」を斉藤和義がCOVERをCOVER
二人でお酒を梓みちよ

「こんにちは赤ちゃん」でレコード大賞を受賞し、この曲のイメージの清純歌手できていた梓さんですが、実は清純とは程遠いもので、飲酒や喫煙など行っており、イメージとは程遠く、自分ではない自分のイメージが嫌で仕方なかったとおっしゃっています。

そんな中にイメージにあった大人の別れの曲を歌い、大ヒットしました。

間奏からあぐらを掻いて歌った姿はかっこよかったですね。

あんたのバラード世良公則&ツイスト

当時のアーティストの登竜門のヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリ受賞曲です。

フォーク系やニューミュージックの音楽が多い中で初めてロック系の曲が受賞しました。

オーバーアクションとやさぐれた感じの曲は大ヒットしました。

木綿のハンカチーフ太田裕美

木綿のハンカチーフ (歌詞入り ) 歌 太田裕美
木綿のハンカチーフ太田裕美

男性の気持ちを田舎にいる恋人へ少しずつ都会に馴染み、もう帰れないとさよならを告げるまでの気持ちの変化を歌った名曲です。

当時としては斬新な詩の内容で、またたく間に大ヒットしました。

ただ、若い方はもう殆ど知らない曲かもしれませんね。

化粧桜田淳子

中島みゆきさん提供の曲で、この時代はアイドル路線からイメチェンを図るために、桜田淳子さんは「追いかけてヨコハマ」や「しあわせ芝居」など中島みゆきさんの曲を歌い、見事にヒットさせていました。

そんな中で、「化粧」は可愛らしいアイドルだった桜田さんが歌うのはちょっと似合わないような気もしましたが、この曲を歌いこなせた事に着実に歌唱力は上がっていたように感じます。

今夜だけきれいになりたい、見返してやりたい、失恋した女性は必ず脳裡に浮かぶ思いです。

勝手にしやがれ沢田研二

GS時代からソロへと転向し、次々とヒットを飛ばしたジュリーこと沢田研二さんは、衣装は勿論、パフォーマンスにも非常に凝っていました。

「勝手にしやがれ」では帽子を粋に観客席に投げ飛ばしたり、「LOVE抱きしめたい」では、片手には血の滲んだ包帯を巻いたり、「TOKIO」では、ついにパラシュートまで背負って歌っていました。

さすがにやり過ぎと感じましたが。

かっこよく別れを演じようとする男性をジュリーが見事にワンマンショーしています。

手紙由紀さおり

美しいメロディと美しい声で歌うのは、歌手生活が童謡歌手から始まり定かではないですが、17歳でレコードデビューし、かれこれ半世紀以上は歌い続けている凄い方です。

昔はドリフターズの人気番組ではいかりや長介さんとの夫婦役などコメディアンとしても活躍されていました。