【高齢者向け】おもしろくて盛り上がる!オススメのクイズ問題
デイサービスなどの高齢者施設でのレクリエーション時間に、とんちやなぞなぞのクイズはいかがでしょうか?
文字の配置や色、向きに隠された意味を読み解くとんち文字クイズやなぞなぞは、頭の体操として楽しめる問題です。
高齢者の方にもなじみ深い昔話や日常の出来事が答えになっているので、ひらめいた瞬間の「なるほど!」という驚きと達成感を味わっていただけますよ。
考える過程が脳の活性化につながり、正解を聞いた時の笑顔や会話も自然と生まれます。
今回は高齢者の方が盛り上がるクイズとして、思わず唸ってしまうようなとんちとなぞなぞクイズをご紹介します。
日本地理・都道府県クイズ(11〜20)
日本で最も広い湖の名前は何でしょうか?NEW!

湖と聞いて、皆さんはどこを思い浮かべますか?
風が静かに水面をなでる音、遊覧船がゆったり進む風景。
さて、日本にはたくさんの湖がありますが、その中でもいちばん広い湖をご存じですか?
この湖は、面積が約670平方キロメートルもあり、昔から「母なる湖」とも呼ばれて親しまれてきました。
場所は近畿地方で、京都のお隣にあり、歴史的にも交通や暮らしを支えてきた重要な存在。
また、自然も豊かで、四季折々の美しい風景が広がります。
湖岸の町では、昔ながらの町並みや、船で行う伝統行事も楽しめるんですよ。
日本一広い湖、答えは滋賀県にある琵琶湖でした。
神社の数が日本一多く、海藻を使っているソバへぎそば有名な都道府県はどこでしょうか?NEW!

神社の数が日本一多い都道府県は新潟県です。
新潟は明治時代、人口が日本一多く、当時の東京の130万人だったのに対し、新潟県の人口は160万人だったそうです。
日本有数のお米の産地として農業従事者が集中していたことや、航海中の船が途中の港に立ち寄る寄港地があったなど人口が多かった理由があげられます。
人口が増加するとともに、神社の数も増えていったそうです。
神社の多い理由は、他にも諸説あるようです。
へぎそばは、海藻がつなぎに使われているのが特徴です。
新潟県民なら誰もがなじみのあるそばで、小千谷市と十日町市は2大聖地となっていますよ。
金閣寺や二条城で有名な都道府県はどこでしょうか?NEW!

「金ぴかのお寺といえば、どこを思い浮かべますか?」歴史好きにも観光客にも大人気の「金閣寺」、そして世界遺産にも登録されている「二条城」。
どちらも、ある有名な古都にある名所です。
この都道府県は、日本の歴史や文化がぎゅっとつまった場所。
昔の天皇がお住まいだった「御所」があり、町には着物姿の人や昔ながらの町家が今でも残っています。
歩くだけでまるでタイムスリップしたような気分に浸れます。
また、春の桜や秋の紅葉、夏の祇園祭など、季節ごとの美しさも魅力。
和菓子やお抹茶、お漬物などの名物も多く、何度行っても楽しめる場所です。
答えは京都府でした。
昭和レトロ・懐かしクイズ(1〜10)
ある屋内のスポーツが大人気となった昭和30年後半から昭和40年代。スポーツとは何でしょうか?

答えとなるスポーツ、高齢者の方もこのブームに合わせて若い頃よくやったという方も多いかもしれませんよ!
さて、そのスポーツとは一体なんなのでしょうか。
ヒントは、重いボールを使うスポーツだということ、ある的に向かってそのボールを投げるということなど。
答えは、ボウリングです!
当時は全国に3500をこえるボウリング場があり、マイシューズやマイボールを持っている人も少なくありませんでした。
須田開代子さんや中山律子さんといった、スター選手も数多く生まれました。
パンチパーマの「パンチ」は何のことでしょうか?

唐突ですが、パンチパーマの「パンチ」ってなんのことなのでしょうか?
答えは、「『平凡パンチ』という雑誌の名前」です。
細かく、硬いカールがかかった短髪のパーマであるパンチパーマは、1970年代、北九州市の理容師に考案されました。
それが関西の利用器具商社によって、当時大流行していた雑誌『平凡パンチ』にあやかって「パンチパーマ」と命名されたのだそうです。
威圧感があり、ケンカをしても崩れにくい髪形として特にコワモテの方たちに人気が広がったパンチパーマ、さすが由来もパンチの効いた話ですね!
昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。
販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。
当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「タバコ」10本だったんです!
お酒ならまだしも、賞品や景品にタバコがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。
おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。
昭和35年家庭用のTVに革命が起きました。TVの画面はどうなったのでしょうか?

昭和35年に家庭用TVに起こった革命的な出来事、それは、カラー放送のスタート!
昭和28年2月1日にNHKの放送が始まり、同年8月28日に民放局の放送が開始されました。
その後、リモコン式テレビの販売開始やブラウン管の小型化を経て、昭和35年にようやくカラーでの放送が始まったのです。
当時のカラーテレビの価格は、大卒初任給の数十倍。
庶民にはなかなか手の届かない代物でしたが、技術の進歩とともに手に入りやすい価格へと変化していきました。
昔のテレビの写真や当時の番組の映像を見れば、若かりし頃の思い出がよみがえってくるかもしれませんね。